9.夏の思い出

待ちわびていた玄関の呼び鈴がなって、パパに「かえで、出て」と言われて作業から離れる。
錠を開けて、扉を開けると、少し懐かしい顔に出会った。

「いらっしゃい!」
「久しぶり、かえで」

夏休み最初のイベント、エリちゃんとナオが遊びにきた。

「久しぶり、エリちゃん」
「かえでももう中学生ね。制服姿が見たいな」
「じゃあ後で着てくるよ!」

エリちゃんはママの高校時代からの友達で、オシャレで綺麗で可愛い。
隣町に住んでるけど、並木さんみたいに暇じゃないからそんなに頻繁に会うことはできない。
でも、ときどきママと三人で出かけるととっても楽しい。

「ほら、ナオも挨拶しなさい」
「……よぉ」
「相変わらず小さいね」
「うるせー!」

身長の話だ。
エリちゃんの息子で、私より一つ年下のナオは小学6年生で、
成長期終わりかけの私と、始まったばかりのナオでは、まだ私の方が大きい。
でもサッカー少年だから、インドア派の私はすぐに追い越されるだろう。
悔しいからそれまでは苛めさせてもらう。

「さあ、二人とも上がって」

二人をリビングに通すと、ママも締め切りが近い仕事を放って顔を出した。
私は静かに二階に上がって制服に着替えた。
制服のお披露目をすると「可愛い」とか「ブレザーなのね」とか色々言われた。
そして浮かんだのは旧制服を着ている雲雀先輩……恭弥先輩の姿だった。
女子の旧制服はセーラーなのかな?着ている人はいないけど。

そのとき、ちょうど食事の準備が整った。


パパのランチを食べながら会話が弾む。
ナオが試合で得点したとか、塾が忙しいとか、近状報告のようなものが多い。
ママが「ナオはどんどん大きくなるね」と言うと、
ナオは「かなでは相変わらず童顔だな」と生意気に笑ってエリちゃんに殴られていた。
私も学校のことを中心に聞かれる。
驚いたことに、ナオは“並中の風紀委員長”について知っていた。

「中学に兄ちゃんとか姉ちゃんいる奴が多いからさ、隣町だけど有名だよ。そんなにヤバイ奴なの?」
「うーん……、はは、私詳しくないから」

恭弥先輩は強くて乱暴で麗しくて格好良いことは事実だから否定もできず、苦笑いするしかない。
ナオは、私が風紀委員に所属してるって知ったらなんて言うだろう。
ママやパパは私が委員会に属していることは知っているけど、何の委員会かは忘れているはずだ。
学校でも、学ランを着ていない風紀委員は忘れ去られている。


昼食が終わると、いよいよお出掛けタイムになった。
ここでは男性陣と女性陣に別れる。
というより、女三人で買い物に行きたいから、他はどうにかしてもらう。
並木さんも巻き込んでバッティングセンターとか銭湯に行くこともあるらしいし、
ナオは自分で宿題を持ってきて、延々とそれをこなしてるだけだったりするらしい。
中学受験するらしいナオは、サッカーだけでなく勉強も頑張っている。

洋服を見て、アクセサリーを見て、お茶をして、いろんな話をした。
エリちゃんはセンスがいいから、服を選んでもらうととても頼りになる。
人の好みを考慮した上で似合う服を見つけ出せるって凄い才能だと思う。
エリちゃんはナオや江沢君の服も買っていた。

ちなみに、エリちゃんもナオも“江沢”なんだけど、
ママの学生時代の名残で、エリちゃんのことはエリちゃん、ナオのパパのことは江沢君と呼んでいる。

「ナオってちゃんとエリちゃんの買ってきた服着るんだね」
「着るわよ。私が買った中から選んで ね」
「最近生意気ぶってるから、反抗期かと思った」
「あの子はいつもああよ」

小学校高学年って男女の差が出来てきて、ちょっと背伸びしたくなる年頃だ。
ナオは最近江沢君のことを親父と呼ぶようになった(それまでは“父さん”だった)。
エリちゃんのことを『エリ』と呼ぶのも、私やママやパパを呼び捨てするのも相変わらずだけど、
私との間にも距離が出来たように思う。それは自然の流れなのかもしれないかった。
男女の壁、年齢の壁、滅多に会わない時間の壁。そして、
ナオは私たちの目隠しが欠陥品であることを知らないから、私はナオに安心して触ることが出来ない。
そんな心に作った壁も一つの原因かもしれないかった。

少し思考が暗くなっていると、突然顔を両手で包まれて、じっと目を見つめられる。
私も目が逸らせなかった。それからぎゅっと抱きしめられる。体温が温かい。
暫くすると、「大丈夫ね?」と聞かれた。

「うん」
「ナオは丈夫に出来てるから、何でもこき使って良いのよ。
私の子だもの。ちょっとくらいじゃビクともしないわ。
だから、あなたが相応しいと思う時期が来たら、話してやって」
「……うん」

私はとても臆病者だ。なによりも、力を人に知られることを恐れている。
イトコのように育ったナオのことだって疑っている。
いつからだろう。こんな性格になってしまったのは。

いつか、ナオには力のことを話したい。
大切な人に勇気を持って話せるくらい、自分に自信を持ちたいよ。
それから、…………、


家に帰るとパパの作った夕食の匂いが漂ってきて、食欲を誘った。
リビングでは並木さんとナオが格闘ゲームで対決していた。
エリちゃんとナオがうちに来るときは、大抵並木さんもやってくる。
ちなみに戦況は並木さんの方が優勢のようだ。
「ナオ、宿題は終わったの?」とエリちゃんが聞くと、ナオは簡潔に「だいたい」と答えた。
あ、エリちゃんがちょっと怒ってる。
でもね、今日くらいはいいと思うの。

賑やかな食事の後半になって江沢君が到着した。
相変わらず、第二ボタンまで外したスーツ姿はホストにしか見えない。
これでも、お父さん(ナオのおじいさん)の大会社の次期社長だ。

デザートにパパが焼いたベリーのタルトを食べて、大人たちはお酒を飲み始めた。
頻繁に開催される同窓会みたいなものなので、放っておくことにする。
私はナオに少しだけ勉強を教えてからお風呂に入った。
もう良い時間だし、私は一番風呂じゃないとゆったりと入れない。理由は言わずもがな、だ。


髪を乾かして脱衣所を出ると、私が出たことに気付かないらしい大人たちの会話が聞こえてきた。
かえで、と名前を呼ばれた気がして、足を止める。

「かえでが大丈夫だって言ってるなら、何も出来ないわね」
「中学生なら多少のトラブルはあるだろ。そんなに気にすることじゃないと思うぜ」
「うん……でも、心配で」

この間、泣いて帰った日の話だと思った。
ママがエリちゃんや並木さんに相談しているらしい。

「あの子、学校でちゃんと人と話してるのかしら」

エリちゃんの言葉に、一瞬息が詰まった。
会話は続く。

「さあ、難しいだろ」
「かえでは俺たちとも状況が違ってしまうからね」
「いつか、かえでにも分かり合える人と出会えるよね?」
「奇跡的な確立だな」
「でも、見守りましょう」

私は最後まで聞いてはいなかった。
聞かなかったフリをして、こみ上げてきた熱いものを飲み込んで、少し間を空けてナオの元に行った。
ナオは勉強のときだけ眼鏡をかけていて、それが妙に似合うのか似合わないのか、多分見慣れないせいで私には笑える。
微笑もうとしたら、嗚咽のようなしゃっくりが出た。
ナオが顔を上げる。多分私は涙目だ。

「どうかした?」
「なんでも、ない」
「じゃあ、」

私は人差し指を唇に当てて、静かにするように示す。
そして口を閉じたナオの隣にすとんと腰掛けた。

「ちょっと感傷的になってるだけなの。すぐに止むから待ってて」

私はこんなに泣き虫じゃなかったはずなのにな、と思った。
何年も殆ど泣いていなかったはずなのに、ここ最近、泣いてばかりだ。
それともずっとストレスのようなものが溜まっていたんだろうか?

心配されることは多分とても幸せなことだ。
でも、それが辛くもある。
あんなふうに噂話されたら、疎外感を感じてしまう。

孤独。という言葉が恭弥先輩の声で蘇った。
自分を落ち着けるために、きょうやせんぱい、と頭の中で三回繰り返す。
魔法の呪文だと思ってたのに、効果はイマイチだ。

ナオは私を気にしている風だけど、何も言わなくなった。
多分、こういうときに一番疎外感を感じているのはナオなんだ。
今更悟った。
どうにかしなきゃ、と思う。

「ナオ、あなたが私より背が高くなったら、私は秘密を話す、ね」
「……また身長の話かよ」
「うん」
「俺、そろそろ成長期なんだからな。すぐ追い越すぜ」
「いいよ」

未来と過去に板ばさみにされている私が前に進むためには、なにか切っ掛けが必要なんだ。

「顔洗ってこいよ。かえでが泣いて喜ぶ奴なんて、誰もいないんだからな」
「……うん」

一つ年下の幼馴染が、やけに頼もしく感じた。
幸せすぎて泣けてしまうのは、私がいけないんだろうか。


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