7.

家に着く頃にはすっかり日が傾いていた。
普段自転車通学のせいか、帰り道がやけに長く感じた。
乾いた涙が顔に張り付いていて、
鏡を持ってないのが残念なくらい酷い顔をしているんだろうと予想できた。
知り合いに会わなかったことが不幸中の幸いか。
いや、もしかしたら見られていたかもしれないけど、私は気付かなかった。

玄関を開けると、いつもと変わらない「おかえり」が聞こえてきて、
泣きそうになったけどもう涙は乾いていた。
「ただいま」を言えずにいるとパパが心配してやってきて、私の顔を見て驚いていた。

「かえで、どうしたの!?」
「……なんでもないよ」

声を絞り出すとパパは更に心配してしまって、近づいて、私に触れようとした。

「ダメ!」

優しさを振り払うと、パパは酷く傷ついた顔をした。
私はその苦しみを知っていたけれど、ダメなものはダメだった。
パパは触れた人の過去を見ることが出来る。

「私は大丈夫だから、怪我とかしてないから、お願い。気にしないで」
「……わかった」

平気なフリをしているけど、パパがどれだけ傷ついているか痛いほどわかった。
ごめんね、赦してと思いながら階段を上り、自分の部屋に篭った。
ベッドに倒れ込む。
自己嫌悪の海に溺れそうだった。自責の念で沈んでしまいそうだった。


しばらくすると、「ただいま」と明るい声が聞こえて、ママが帰ってきたのがわかった。
そろそろご飯かな、今日のメニューはなんだろう?とぼんやり考えてみるけど、体が動かなかった。
泣きつかれてるのかもしれなかった。
すると部屋のドアがノックされて、ママの声で「かえで」と呼ばれた。

「入っていいよ」
「かえで、どうかしたの?あろう君が心配してたよ」
「うん、パパには悪いことしちゃった……」

声を落とすと、ママは「大丈夫だよ」と言った。

「あろう君はかえでが大切なだけだから」
「私も、パパが大切だよ。もちろんママもね」
「うん。私もかえでとあろう君が大切」

そんなふうにほのぼのとした会話をすると、少し心が晴れた。
私がどんなに自分を嫌っても、私のことを愛してくれる人がいる、幸せ。

「かえで、怪我とかはしてないんだね?」
「うん」
「辛くない?明日学校行ける?」
「うん、大丈夫」
「触っても、いい?」
「――うん」

ママはゆっくりと私を抱きしめた。
中学生にもなって、って思われるかもしれないけど、
我が家では特殊だからこそ“触れる”ことを大切にしていた。
誰かの体温って安心する。

「ありがとう、ママ」
「うん。あろう君が待ってるから、ご飯食べに行こうか」
「……うん」

それから私はダイニングに行って、親に叱られた子供みたいにパパに「ごめんなさい」を言って、
両親に“つらいときは相談すること”をしっかり約束させられた。
大袈裟にしちゃったな、と思いながら、あったかさを感じた。
大丈夫、大丈夫。


次の日は驚くほどスムーズに日常が回った。
朝起きて、着替えて、朝食を食べて、学校に行って、教室に行って。
良く考えてみれば、私の琴線に触れた人、雲雀先輩は、会おうとしなければ会える確立は物凄く低い人だった。

風紀委員といっても、特に一年生には殆ど仕事はなくて、
簡単な雑用や地味な仕事を時々言い渡されるだけだった。
雲雀先輩を始めとして、学ランを着ていることが風紀委員の証のようなもので、
着ていない委員たちは風紀委員であって風紀委員でないようなものだった。

つまり、放っておけば昨日のことを忘れるのは簡単に思えた。
昨日の出来事を知る人は教室に誰もいないし、
私の目はもう赤くなんかないし、時間は淡々と過ぎていった。
授業中に当てられては優等生ぶった完璧な答えを返し、それ以外は大人しくしていた。

応接室に行かなければいい。
興味本位なのに、私は近づきすぎていた。
雲雀先輩もきっと変な女だと思っただろう。
ちょうど良い機会だ。
あの人に関わるのはもう止めよう。

そう考えた。
それから、今日は何をする気も起こらないから真っ直ぐ家に帰ろうとも。


『1年内藤かえでさん。1年内藤かえでさん。
風紀委員長がお呼びです。すぐに応接室までお越し下さい』

突如鳴った放送に、教室の目が私に集まる。
私は眉を顰めながら読んでいた本を閉じ、立ち上がった。
黙って教室を出ながら、「放送の声、震えてた。また暴力で言うこときかせたのかな」と考えていた。


「失礼します」

私はさっきの放送を不快に思っていたから、ノックもしないで返事も聞かないでドアを開けた。
日々大人しく生活してる私の努力を無駄にするものだった。

「ノックくらいしなよ」
「どうして放送で呼び出したんですか」
「教室まで呼びに行かせたほうがよかった?」

学ランの上級生が教室までやってきても目立つことに変わりはない。

「両方嫌です、けど私目立つのが嫌いなんです」
「充分目立ってるじゃない。学年一の優等生さん」
「先輩に言われたくありません」

私はこの間のテストで主席を獄寺君に奪われてしまった。
授業にはあまり出ないのに、先輩が二年生の主席を保っていることを私は知っていた。

「結局、昨日はなんだったの?」
「たまたま偶然通りかかって、先輩がいて、吃驚した。
それだけです。気分を悪くしたんだったらすみません」
「ふーん」

明らかなデタラメだった。
雲雀先輩もそれをわかって、下手に干渉はしなかった。

「これ、今日の仕事ね」

指差された先にあったのは書類の束だった。
たしか雲雀先輩は、今週はもう仕事がないって言ってたはずだ。
だけどそれくらいの矛盾、私の言い訳に比べたら大したことじゃない。
でも、さすがに今日は何時間も雲雀先輩と同じ空気を吸う気にはなれなかった。

「今日は用事があるので、家に持ち帰ってもいいですか」
「いいよ。明日の朝、提出ね」
「わかりました」


応接室を出て、それまで詰まってたのかと思うくらい盛大に息を吐き出した。
自転車に乗って家に帰って、自分の部屋に入って、渡された書類を捲る。
枚数の割に内容が薄くて、この前の仕事の付け加えみたいなものが多かった。

私は空欄に、あの綺麗な字を真似て“雲雀恭弥”と書くたび、また泣きそうになった。
ひばりきょうや、きょうやと口に出してみて、胸が熱くなった。


 top 


- ナノ -