6.

終礼と同時に、私は鞄を掴んで教室から駆け出した。
応接室の扉をノックするが応答はなく、
罪悪感を感じながらもドアノブに触れて雲雀先輩がその扉に鍵をかける過去を見た。
次に校門に向かい、触れて、四次元の中で先輩の姿を探す。
見つかると、壁に触れながらそれを追いかけた。


山本君が自殺しようとしたとき、私はとてつもなく後悔した。
知っている未来を見過ごしたことに対してだ。

それじゃあ、今は何をすればいいの?
忠告したところでどうせ信じてもらえないけれど、例えば、
先輩が物騒な人に囲まれてたら、警察とか大人を呼ぶとか、大声を出すとか、何か出来るはずだ。
しないと絶対に後悔する。
というのが、今日一日中散々考えて出した答えだった。
私は雲雀先輩の未来を防ごうとしていた。


過去を見つめながら、先輩の軌跡を辿る。
こんなふうに繰り返し積極的に力を使うのは殆ど初めてだった。
複数の世界を視界に映すと気持ち悪くなる。
ふらつきそうになりながら、必死で進む、進む、進む。

今朝見た未来に先回りできるのが一番よかったんだけど、それは出来なかった。
何百回目か、壁に触れて前を見ると、今朝は未来だった過去が見えた。
それは過去と未来が重なる瞬間。
未来の続きが上書きされる。

促されて、路地裏に入っていく過去の雲雀先輩を恐る恐る追いかける。
そこで、“現在”の私が見たのは異様な光景だった。


ボロボロに怪我をした図体のデカイ男たちが倒れている。
その数、ざっと20以上。

雲雀先輩は、トンファーのような武器を持って中央に立ち、
もはや自力で立ち上がる力さえもない男たちに尚も攻撃を加え、
返り血を浴びて、薄く笑っていた。

「無様だね。群れるしか能がない草食動物は」

私は衝撃で動けなくなった。
逃げることも、隠れることも忘れていた。

殺人現場を見たことがある。
交通事故の現場も、イジメの現場も。
でもそれは過去の話だった。
直接起こった"リアル"ではなかった。

雲雀先輩が怖い人だとは聞いていた。
でも関係ないと思っていた。
美しい人の役に立つことが楽しいだけで、本人について深く知る必要はないと思った。


先輩は再び一人の男の胸倉を掴み、立ち上がらせ、そしてトンファーで殴る。
思わず「ああっ……!」と小さく声が漏れた。
すると先輩がこちらに気づき、視線が交わる。

「……なんで此処にいるの」

先輩が放した手から男がドサリと落ちる。
不機嫌そうに先輩は私に近づいてきた。
何か言わなきゃいけない、と思うのに上手く頭が回らず、「すみません」と謝罪の言葉を繰り返した。

「質問に答えろ」

カチャ、っと音がしたと思ったら、顔のすぐ横に先輩の武器があった。
殴られるかもしれないということよりも、血がついていることに注意がいった。

そういえば、此処は学校からだいぶ離れている。
先輩が私の家を知っているとは思わないけれど、家からも反対方向だ。
偶然此処にいるという言い訳は成立しない。

「すみません」と口を動かせば、先輩の怒りが増幅するのを感じた。
必死で何か喋る言葉を探す。

「あの人たちは、大丈夫なんですか?」
「救急車は呼ぶよ」
「そう、ですか」
「君は」

睨まれると怖いと思うのに、こんな状況でもその顔が美しいと思うから目を逸らせなかった。
目を逸らさないことが精一杯で、他のすべてのことを忘れていた。
例えば、目を瞑ること。

雲雀先輩は黙秘権を行使し続ける私の肩を掴んだ。

過去に対して目隠しを持たない私は、
意識して目を閉じなければ、過去が流れ込んできてしまう。
だから、流れ込んできた。


 暗い、赤い、灰色の、モノトーン、セピア、
 屍の上、美しい横顔、断末魔、漆黒、言葉、暴力、懇願を切り裂く、歪んだ……


解放されたのは驚いた先輩が手を放したからだった。
掠れる声に気付かされたけど、私はぼろぼろと涙を流していた。


「あなたは、かなしい……!!」


ぼろぼろと、ぼろぼろと、ぼろぼろと。
何を言ってるんだ。
とめよう、やめようと思うのに、涙は止まらなかった。
雲雀先輩が困惑しているのがわかる。

「すみません」

再三、謝罪だけを口にして、先輩を振り払い、逃げ出した。
全力で逃げているのにまだ泣けるってどういうことだろう。


多分、私が泣いてしまったのは、単なる恐怖じゃなくて、

例えば折角追いかけてきたのに何の役にも立たなかったことに対する悲しみだとか、
例えば神聖視していた先輩の真実を知って、失望しかけた自分に対する失望だとか、
例えば人を傷けるほど先輩の傷は深いのかなとか勝手に考えてしまった結果だとか、
例えば単純な同情とか、それを蔑む自分だとか、
例えば暴力の現場に居合わせてしまったことで余計な映像が頭を過ぎったからだとか、
例えば先輩の質問に答えられなかった自分に対する嫌悪だとか、
例えば嫌われてしまっただとか、

そんなふうにいろんなことが混ざり合って、止まらなかった。
泣いたこと自体久しぶりなのに、不思議だった。


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