5.

「パパ、これでいい?」
「うん上手だよ」

今日は家庭科でおにぎり実習があるから、
私は予行練習としてパパに教わりながらお弁当の一部になるおにぎりを作っていた。

パパは料理が上手いけれど、だからって私も上手いわけじゃない。
頼めばいくらでも教えてもらえるけど、基本的に必要なかった。
いつもキッチンにはパパがいて、パパに任せていれば美味しいご飯やおやつが食べられる。
それは幸せなことで、パパも料理を作って人に食べてもらうことが好きみたいだった。

けれど私は完璧主義なところがあって、予習なしで授業に望むことはできなかったというわけだ。
他に色とりどりのおかずを入れたお弁当を持って、私は家を出た。


一人で弁当を食べ終え、朝のおにぎりの出来がまあまあだったことを確認してから、私は調理実習室に移動した。
班で役割分担を決め、私はご飯を炊く準備をした。
するとそのとき、誰かとぶつかった。
目の前の場面が入れ替わる。なんの前置き、心当たりもなく見えるもの。これは未来だ。


 「今日は家庭科実習で作ったおにぎりを男子にくれてやるー!」

 舞台は教室で、どうやら調理実習の後みたいだった。
 悪い未来じゃなさそうなので、安心して、誰は誰にあげるんだろう、なんて好奇心を働かせて周囲を眺める。
 すると沢田君が京子ちゃんの前に出たのを見つけた。
 結構勇気あるじゃん、と思ったのに、何故か躊躇っている。
 見かねた獄寺君と山本君が代わりに貰おうとして、沢田君が意味不明なことを叫んで、
 どこかから銃弾が飛んできて、例のパンツ姿になった沢田君は“死ぬ気で”おにぎりを食べ始めた。みんなの分まで。


「かえでちゃん、大丈夫?」


京子ちゃんに声を掛けられて、私はやっと我に返り、曖昧に笑う。
なにか忠告をしようかとも思ったけど、忠告のしようがないと思ってやめた。
とりあえず、実習が終わったらおにぎりを持って、教室には戻らずに避難していようと思う。
知っているなら関わるのを避けたくなる未来だった。

とはいうものの、私はお弁当をしっかり食べていて、全くお腹が空いていなかった。
出来にこだわっていたわりには誰にあげるということは考えていなかった。
捨ててしまうのはあまりに勿体無いし、今更教室に戻るのも気が進まないし、持ち帰るのはもっと妙だった。
ちなみに終礼は調理実習の前に終わっている。
少し考えた末、私は応接室に足を向かわせた。

ノックして、許可を得て、ドアを開ける。
授業が終わったばかりの時間だというのに、雲雀先輩はやっぱりそこにいた。今日も麗しい。

「何の用?」
「先輩、お腹空いてませんか?」
「なんで」
「調理実習でおにぎり作ったんです。食べてもらえませんか?」

雲雀先輩に食べてもらえたらこのおにぎりも本望だろう。
かなり大胆な行動をしているという自覚があったけれど、
駄目で元々だと思っているから、断られたら断られたで大人しく引き下がって、
持ち帰って並木さんにでも押し付けにいこうと決めていた。

「なんでそれを僕に持ってくるの」
「私お腹いっぱいなんです。雲雀先輩は今日もお仕事ですよね?
お腹が空いたときにどうですか。いらなかったら捨ててもいいです」
「……そこに置いといて」

了承が出たので、私はありがたく机の上にそれを置かせてもらった。
本当に食べてくれるといいな、と願いながら。
ふと、先輩が欠伸をするのが目に入った。

「寝不足ですか?」
「まあね」
「先輩ってずっと仕事してるんですか?少し休んだ方がいいですよ」

机の上には、なんでそんなに仕事があるんだと思うくらい大量の書類があった。
前回私がやった作業系のものは少ないのが不幸中の幸いか。
報告書の類のようで、ほぼすべてに風紀委員長のサインを記入する欄があった。
この書類に加えて、雲雀先輩は校内や町内の見回りもしてるというのだから、ちゃんと休んでいるのだろうかと思う。
私も風紀委員の一員なんだから、もっと貢献しなくてはいけない。

「だったら君が仕事してくれるの?」
「書類の類で、私に出来る範囲なら」
「此処にある報告書の内容を簡潔にまとめて、数字を全部集計しろと言っても?」
「いいですよ。先輩がこのおにぎりを食べてくれるなら」

半分以上冗談だったのか、簡単に了承してしまった私に雲雀先輩が驚くのがわかった。
私は、並木さんが仕事をしていると首を突っ込んで「なにしてるの、なにをするの」と聞きたくなるし、
面倒な書類や資料の整理を手伝ったこともある。黙々と取り組む、この手の仕事は得意だった。

「じゃあ昼寝するから、30分は起こさないでね」
「普通は30分後に起こしてね、ですよ」
「僕は葉が落ちる音でも目覚めるんだ。くれぐれも気をつけてね」

こともなげに言い放った先輩の言葉に私は驚いた。
「よっぽど眠りが浅いんですね」と思わず呟き、視線を感じたので言い繕うようにこう言った。

「ああ、でも、横になって眼を瞑るだけで身体は休まるって言いますから、問題ないと思いますよ」
「……君は不思議だね」

何か不思議なことを言っただろうか。言ってないと思う。言ってないよね?
その一言がなんだか凄く気になったけど、先輩はソファに横になったから、私も口を噤み、仕事を始めた。

仕事は、「なんでこれが風紀委員の仕事なんだろう」と思うようなものばかりで、異様に請求書・領収書の類が多かった。
私は理由や経緯を考えることをせずにすべてを受け入れて、書類をまとめていった。
すべての内容を要約してレポート形式にしたし、それぞれ記入する欄の残りはサインだけだし、
締め切りなどの日付順に勝手に優先順位をつけて並び替えたりした。
ページを捲ったりペンを走らせたり、葉が落ちるよりも大きな音は沢山していたと思うけれど、先輩から苦情は飛んでこなかった。

30分経った頃に起こそうかどうか悩んだけれど、実際、30分で起こせとは言われていなくて、
しかも私が見たとき先輩は眠っていたから、絶対に起こしたくないと思った。
結局、先輩を起こしたのは下校のチャイムだった。
先輩は私の仕事の成果を見て、感心してからこう言った。

「どうして僕の名前も書いておいてくれないの」
「だって私と先輩じゃ字が違います。先輩の署名は先輩が書くものですよ」
「適当に筆跡を真似てくれればいいじゃない」

先輩の字は、男の人のものとは思えないほど綺麗で美しい。
その字で紡がれる先輩の署名を書けるようになる。許可がある。
それはとても魅力的だった。

「じゃあ今度からそうします。また来てもいいですか?」
「仕事があるときにね」

肯定だった。相変わらず嬉しかった。
下校のチャイムが鳴ったから荷物をまとめた。
きっと今日も幸福なまま帰路に着ける。


次の日は、いつもよりうんと早く、しかも歩いて登校した。
雲雀先輩なら毎朝 誰よりも早く学校に来るのだろうと思った。
案の定、他に誰もいない通学路に、雲雀先輩はいた。

「おはようございます」
「……随分早いね」
「朝早いと人も車も少なくていいですね。空気も冷たいし、一回やってみたかったんです」

とは言っても、この時間が日課になることはきっとない。
今日は我侭を言ってしまって、パパは私に合わせて朝ごはんを作ってくれた。
ママも一緒に食べたけど、とっても眠そうだった。

「先に言っておくけど、今日は仕事しなくていいよ」
「えー!どうしてですか?」

仕事する気は満々だった。折角雲雀先輩の署名も覚えてきたのに。

「昨日の分で今週は充分だよ。それに今日僕は外に出るから」
「見回りですか?ご苦労様です」

さすがにどこに行くのか何をするのか知らなかったから、付いていきたいとは思わなかった。
どう考えても私は役に立たないし、連れていってくれるとも思えない。

私たちは一緒に歩いていたけど、間には一メートルくらいの距離があった。
雲雀先輩が群れることを嫌うからだし、私が触れることを恐れるからだった。
でも、校門付近で私は何かに躓いて、思わず先輩の腕を掴んだ。
視界が変わる。


 「お前が並盛のヒバリだな?」
 風紀委員の先輩たちよりも柄の悪い、年上の、武器を持った大勢の男たちが雲雀先輩に言う。
 「だったらなに」
 先輩はいつもどおりの涼しい顔で薄く笑ったけど、明らかに多勢に無勢だ。
 男たちは先輩に殴りかかった。


「離してくれない?」
「あ、すみません」

数歩の距離を取りながら、私は今見た未来をどうしたら雲雀先輩に伝えられるか、忠告できるかを考えていた。
でも、事故じゃないから“気をつける”も何もない。
具体的にどこで起こるのか、どの道を通ってはいけないのかはわからなかった。

考えてるうちに、校舎についてしまう。
昇降口が違うからどちらともなくそこで別れることになった。
言わなきゃ、何か言わなきゃと思っていると、離れていく先輩の腕を無意識にまた掴んでしまった。
先輩は怪訝な顔をする。

「なに?」
「なんでも、ないです……」


私の目隠しは片目しか塞げない。
しかもときどきズレてしまう、本当に役立たずだ。

ズレた目隠しが見せる未来は、大抵が大きな試練で、私を苦しませる。
人と違う力があるからといって、未来を変えたり、受け入れたりする力があるとは絶対に限らないのだ。


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