2.

いつもより遅めに登校した私を差し置いて、
遅刻ギリギリでやってきたのは隣の席の沢田綱吉君。
通称で"ツナ"とか"ダメツナ"とか呼ばれている。

「おはようございます十代目!」

そのダメツナ君に元気よく挨拶をしたのは転校生の獄寺君で、
彼は何故か沢田君を十代目と呼んで慕っている。
見た目も行動も不良に分類される(でも勉強はできる)彼と、
ダメツナ君はどう考えても結びつかない。
二人の間になにがあったのか、過去を見てやりたくなるほど気になるところだ。

そういえば、ここ数日 沢田君がダメツナと呼ばれるのを聞いていない気がする。
私はほとんど人と会話しないせいで噂や流行に疎いから、
"ダメツナ"はもう古くなったのかなと少し寂しくなった。


「この問題を……沢田」
「わ、わかりません」
「ちゃんと話を聞いていたのか? まあいい、じゃあ隣の内藤!」
「X=17です」
「正解」

隣の席であるせいで、沢田君が答えられなかった問題は大抵私に回ってくる。
見せつけたいわけじゃないのに、沢田君に恥をかかせたという理由で獄寺君は睨んでくる。

英語の小テストは交換して採点で、満点の答案を返してくれた沢田君に、
私は赤ペンの文字が沢山並んだそれを渡した。なんか落ち込んでいる。
人には向き不向きがあるから仕方ないよ、と言いたいところだけど、
実際に私が誰かに話しかけることは皆無に等しい。
他人が嫌いなわけじゃないが、できる限り人と関わらずに静かに学校生活を送ろうとしている。


「かえでちゃん、よかったらお弁当一緒に食べない?」

お昼休みになって中庭に移動しようと席を立つと、ニコニコ笑顔の京子ちゃんにお誘いを受けた。どうしたのかな?と思ったけど、今日は京子ちゃんの友達の黒川さんが休みだったことを思い出す。京子ちゃんは一人で食事をするのは似合わない子だ。もっとも、誘う相手は私以外にも沢山いるはずだけど。

「私はいいよ」
「よかった!わたし、かえでちゃんと仲良くなりたいと思ってたの!」

否定的な意味で放ったはずの言葉を喜ばれて、どっちにも取れる言い方だったことに気付く。
失敗した、と思いながらも、京子ちゃんの言葉が結構嬉しかったりした。
私も所詮ただの中学生なのだ。


クラスの中で一番多く話すのが京子ちゃんだと思う。
私が名前で呼んでいるのも、呼ばれているのも唯一だ。
いつも一緒にいるわけじゃないけど、何かの機会で一緒になると悪い気はしない、そんな女の子。
無邪気な笑顔は同性の目から見ても可愛いし、誰にも偏見を持たず、分け隔てなく接する。
何度か彼女の過去を見てしまったことがあるけど、映し出される日常は微笑ましいばかりだった。
だから近づいても、私はあまり怯えなくて済む。
あまりに利己的な考えで申し訳ないから、独占したいとかは思わないけど。


「それでツナ君がね、」

先ほどから京子ちゃんが話しているのは沢田君のことについてだ。
最近の沢田君の変化は京子ちゃんも関わりがあったらしい。
まあ、沢田君が京子ちゃんを好きだってことは気づいていたけれど。

それにしてもね、パンツ姿で突然告白されたっていうのは、どう考えても異常な状況だと思うの。
よっぽど複雑な事情――いじめられたとか脅されたとかいう説が有力――があったにしろ、相手が京子ちゃん以外の女の子だったら二度と口利いてもらえない。私でも全力で避けると思う。
その点に関しては京子ちゃんでよかったねと言いたい。直接は言わないけど。

その他にも沢田君は、あのうざったい剣道部の持田先輩を少し異常な方法で倒したり、
あの頭悪い根津先生の学歴詐欺をばらして解雇に追い込んだり……。
ここ数日いろんな意味で目立つ活躍をしているらしい。
私は「大変だね」の一言に留めた。
冷淡すぎたかな? と思ったけど、京子ちゃんは気にしていなかった。


「かえでちゃんのお弁当って凄く美味しそうだね。お母さんが作ってるの?」
「ううん、これはパパが」
「お父さん料理上手なんだね」
「うん、料理教室もやってるし、この前本も出したみたい」

そういうと京子ちゃんはちょっと驚いたようだった。

「お父さんの名前ってなんていうの?」
「?内藤あろうだよ」
「えっ、すごいね!!」

京子ちゃんは子供のように目をキラキラさせた。
知ってるの?と尋ねると、雑誌などで何度も見かけ、本も買ってくれたとのこと。

「かえでちゃんのお父さんだったんだね!そのお弁当も……」
「お父さんのご飯はレストランよりも美味しいんだよ。そうだ、今度家に遊びに来る?」
「うん、行きたいな!」

……調子乗りすぎたかな?
京子ちゃんの回答を聞いてからふと我返り、そう思った。
けれど、笑顔の京子ちゃんに「やっぱりやめ!」とは言えない。
まあ京子ちゃんなら大丈夫だろうし、その内に考えよう。


なんだかんだと言っている間に放課後になり、私は図書室に寄ろうと教室を出た。
すると階段のところで、慌しく走ってきた男子とぶつかる。

「うわ、悪ぃ!」

手を合わせたのは同じクラスの山本武。
野球部で一年のくせにレギュラーであり、明るい性格で人気者だ。
私はぶつかったはずみに転んでしまったのだけど、動けなくなったのはそのせいじゃなかった。


 ユニフォーム姿でグラウンドに倒れる山本君。
 赤く腫れた腕。
 激痛に顔を歪めている。


一瞬垣間見てしまった、未来。
おい大丈夫か?と覗き込んできた彼の制服の裾を思わず掴んだ。

「練習、行かない方がいい」
「……は?」
「疲れてるみたいだし、きっと怪我する」

我ながら、賢い忠告の仕方ではなかった。
突然のことであまり頭が回らなかったのだ。
案の定、彼は変な物を見る目を向けてくる。

「おいおい、不吉なこと言わないでくれよ。
今はレギュラー取れるかどうかの大事な時期なんだ。頑張るしかないだろ?」

その言葉は私にとって都合の良いではなかったけど、
たしかにそれが正常な意見だろうなと、どこか冷静に受け止めた。
どうやら余計なことを言ってしまったみたいだった。
未来が決まってないと思い込んでいる人に未来を教えようなんて。

彼には野球しか見えていないのだ。
どこまでも突っ走るくらいなら、一度懲りればいい。
人生、自分が体験しないとわからない。それが“普通”なのだから。
同時に「もしこれで本当に怪我をしたら、私が不吉なことを言ったせいになるのかな」と怖くもなった。いつだって人は理不尽だ。

「野球を長く続けたいなら、焦りは禁物だと思うよ」

吐き捨てるように言って、私はその場を去った。
結局図書室には寄らなかった。


「並木さん、おかえりー!」
「……かえで」

それから私は並木さんのマンションにお邪魔していた。
学校から近く、一人暮らしのくせに広い立派な部屋だ。
私は此処のカードキーを持っていて、頻繁に入り浸っている。
勝手知ったる他人の家なので、制服を着崩して、自室並にくつろいで読書していた。
帰ってきた主人様に顔だけを上げてアイサツする。

「良く考えたら今日自転車じゃないんだよね。だから帰りも送って」
「お前なぁ……、」
「ついでに夕飯うちで食べればいいよ。たしか今日は中華だから」

何度も言うけど、パパの料理はとにかく美味しい。おかげで私は嫌いな食べ物が一つもない。
釣られてくれたのか、並木さんは私の前を過ぎって、黙ってソファに座った。勝利のゴングが鳴った。
並木さんは若干イライラしているが、気にしてはいけない。

「それにしてもこの本面白いね」
「ああ」

並木さんの家には本棚が並んでいる部屋があって、中々いい品揃えをしている。
洋書や専門書が多いから、学校の図書室と違う楽しみがある。
私が今読んでるのは数学の専門書だ。

「かえで」

しばらくして名前を呼ばれたので、私は並木さんに寄っていく。
さすが大人だから、私の我侭に対する怒りはもう引き摺っていないようだ。
相変わらず格好いいし、もしかしたら彼は私の理想なのかもしれない。

「仕事?」
「そうだ」

並木さんはそう言って、私の額に手を当てた。
一瞬だけ並木さんの今日の生活が見えてしまったけれど、すぐに目を閉じて気にしないようにする。
私はパパと違って過去に対して目を閉じることができるから、意識すればあまり見なくてすむ。
未来は突然やってくるからどうしようもないけど。

仕事を手伝うとき、毎朝新聞で株価をチェックしている習慣が役に立つのだ。
並木さんは数日先の株価などを見ることで楽に稼ぎを出している。
こんな力を与えられてしまったんだから、そういう使い方が正しいんだと私は思っている。
ちなみに並木さんの影響で、私も遊び程度に株を始めてみたりした。

「かえで、明日の登校中は怪我しないみたいだぜ」

いつもより長い時間が経ってから手を離して並木さんは言った。
一瞬遅れてその意図を理解する。
思わず笑みがこぼれた。

「気にしててくれたんだ」
「かなでのために、な」
「ありがとう」


温かい両親、温かい食事、温かい人の傍で、私は幸福だった。
そのときは束の間の寂しさなんて忘れてしまっていた。


次の朝学校に行くと、腕にギプスをつけた山本君が屋上に佇んでいた。


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