永遠の残り香

 並木さんの家に向かう途中、既視感のある衝撃と共に白煙が上がり、目の前の光景が移り変わった。
 気づけば見知らぬ部屋のベッドに横たわり、私は点滴のようなコードにいくつも繋がれていた。
 そのせいで、ただ視界が移り変わったわけじゃなく、私自身が移動したのだとわかる。
 生活感の薄い殺風景さから、病室のような印象を受ける。
 ベッドの傍に置かれたぬいぐるみに触れて、私はここが誰の部屋なのかを知った。

――「恭弥、匣に触らせて。製作過程を見てくるから」
――「……できるの」

 恭弥に似ている大人の男性。私に似ている大人の女性。
 そんな、まさかと目を見開いたけれど、私はその恭弥に似た男性を以前見たことがある。

――「見ないほうがいいよ、楽しみが減ってしまうからね」

 そういえばさっきの衝撃と白煙は、あのときと似ている。
 あの牛柄の子供が持っていたバズーカで、また撃たれたのかもしれない。
 だとするとしばらく待っていれば元の場所に戻れるはずだ。
 たしか五分で戻れるって、前に沢田君(仮)が言っていた。

 さらに情報を得ようとベッドに触れかけて、……やめた。
 以前、恭弥(仮)に「見ないほうがいい」と言われたのを思い出したのだ。
 ここが未来なら、知りたいことはそりゃたくさんあるけれど、「知らなければよかった」と後で悔いるのは懲り懲りだ。
 すべて知るのは、どう考えても情報過多。
 十年先も恭弥の傍にいることがわかった、それだけで充分すぎるほどだ。好奇心もほどほどにしよう。
 ……気になるけど。気になるけど!
 目を瞑るなんて無理だ。触れたら絶対に見てしまうから、こちらのものには何も触らないようにする。
 我慢するから、早く終わりにして。元の場所に戻して!

 時間が長く感じる。忍耐力を試されているんだろうか。
 前回は五分やそこらだったのに、もう二十分はくらい経っているんじゃないかな。
 ケータイを見る。圏外なのは想定どおり。時間の表示を観測し始める。

 それから、五分が経った。
 私はいつまでここにいればいいんだろう。ちゃんと帰れるよね?
 不安が沸き立って、少しでも落ち着くため、鞄から手袋を取り出して嵌めた。自分を守る手段は多いほうがいい。
 沢田君たちのボンゴレリングを巡る戦いが終わって、ようやくこの手袋から解放されたところだったのに。
 でも、やむをえない。持ち歩いていてよかった。

 とりあえず、誰か人を探して事情を聞こう。
 前回こんなふうになったとき、私以外、大人になった皆は誰も驚いていなかったから、きっとこの十年間で慣れてしまうようなことなんだ。だから聞けばわかるはずだ。
 ここが恭弥の領域内だってわかっていてよかった。敵のアジトとかだったらへたに動けない。

 手袋に守られて、今度は自由に触れることができる。
 そういえば、沢田君の武器も手袋なんだよね。まったく数奇な縁だ。
 彼は平凡に見えて非凡で、非凡なまま平凡な私と、きっと似ている。

 部屋を探っていると、ベッドの傍にブザーのようなものがあるのを見つけた。ナースコール、のような。
 押すと鳴った。繋がると、切れた。
 今ので伝わったかな。それとも、取り込み中かなぁ。しばらくしたらもう一度押してみよう。

 それにしても、この病室。入院していたのは私、だよね。
 恭弥の入院姿なら不本意ながら見慣れたものだけど、立場が逆というのは不思議な感じだ。
 点滴ということは、きっと怪我よりも病気。
 恭弥も風邪をこじらせて入院していたことがあったなぁ。
 不吉な可能性を考えてしまうのが怖いから、早く恭弥に会えたらいいのに。

 不機嫌そうな足音が近づいて、ノックもなしにドアが開いた。
 例の、恭弥似のかっこいいお兄さん。お久しぶりです。

「恭弥?」

 その人は、黙ったままベッドの傍へ早足で来ると、低く掠れた声で私の名を呼んで、確かめるように抱きしめた。
 激しく動揺する。
 同時に、触れて、視える。


――「やってみる。どこまで行けるかわからないけど、何度か潜ればちゃんと見られると思う」
――「君は耐えられるの?」
――「触ってみないとわからない。でも、私も、戦いたいの。組織のためじゃなくて、並盛が好きだから。この町を守りたいから」


――「よせ。今度こそ帰って来れなくなるかもしれない」
――「後少しだったの。大丈夫。少し迷ったり、遠回りすることがあるかもしれないけど、必ず恭弥のところに帰ってくるから」


 視界が戻る。恭弥が私を離したんだ。

「ごめん」

 そのさびしそうな短い謝罪は、抱擁に対して?
 過去を見せたことに対して? それとも、別の?

「この時代の[私]は過去を見に行って、帰ってこられなくなっていたの?」

 六道骸に囚われたときに無茶を感覚がある。
 あと少し深ければ危なかったと思った、あの。
 たしかに”帰ってこられなったかもしれない”と思った。
 きっと[私]は、あれをもう一度やったんだ。

「……そうだよ」
「私は何を見ようとしたの? 今はいつ? 私はどうやったら帰れるの?」

 質問したいことは山ほどある。
 恭弥は私にベッドに座るよう促し、自分もその隣に座ってから、落ち着いて一つずつ語り始めた。

 ここが十年後だということ。ミルフィオーレのこと。匣のこと。ボンゴレリングのこと。沢田君との計画のこと。私が五日間目覚めていなかったこと。
 視て知るよりマシだからと、すべて教えてくれた。
 混乱するなっていうのは無理な注文だ。
 ここは未来で、帰れなくて、危険な場所だなんて。

「事情はわかったけど、どうして私を呼んだの?」

 事件解決なら沢田君たちで十分だったはずだ。
 沢田君は守るもののために戦う。だから京子ちゃんとハルを呼ぶ。それもわかる。
 でも私は? この時代の私の代わりに何か視るため?  
 それとも……

「ここで寝かせておくよりも安全を確保できるから」

 正直な言葉が、ショックじゃなかったって言えば嘘になる。
 未来の私や沢田君たちが眠っている装置の中では、時間が止まっているような状態らしい。
 常に傍にいられないときに、いつ敵が攻めて来るかもわからない場所に、昏睡状態で置いておくよりも、自律して逃げられる私を呼んだというわけだ。
 大事にされている。それは、私じゃなくて、この時代の私。
 この人は私の知っている恭弥とは少し違う。いとしい人とは別人だと、思ったほうがいいのかもしれない。
 おそろしいくらいにかっこよくて、手を伸ばしたくなってしまうけれど、本当におそろしいのかもしれない。

「これが君の愛用していたリングと匣。属性は雨、鎮静の炎」

 恭弥はベッドの傍の引き出しから婚約指輪が入ってそうな箱を取り出して、開けてみせた。
 出てきた指輪は物々しく、獄寺君がしてそうな感じだ。
 匣はリングが入っているのと同じくらい大きさ。

「こうして覚悟を炎に変えてリングに宿し、匣を開ける。もっとも、君にはリングをすること自体が覚悟になっていたけれど」

 恭弥は自分用に取り出した指輪と匣で実践してみせた。
 沢田君の炎ならみたことがあったけど、何もないところで火を灯されると手品を見ている気分だ。
 恭弥は、私の持ち物だったという指輪と匣を巾着袋に入れて、私に渡してきた。

「君が持ってて」
「そんなの、いらない」

 指輪も匣も、マフィア由来のものだという。
 私がボンゴレリングに触れることをどれだけ嫌がっていたか、覚えていないの?

「護身用だよ。いざというとき、身を守るように。
 ただし安易には触らないほうがいい。いくつか試した中で一番不快感の少ないものだけど、君は緊急時にしか使いたがらなかった」

 だから、そんな物騒なモノは持っていたくないって言っているのに、恭弥は譲らない。梃子でも動かない様子だ。
 逡巡してから、受け取る。
 この人にとって、今の私は[私]の命を運ぶ輸送車でしかないんだ。
 恭弥は立ち上がり、言った。

「おいで。ボンゴレのアジトとの連絡通路を開けてあげる。むこうには君が親しくしていた女子も来ているはずだから」

 気まずさを察したのか、少し距離が離される。
 保護されているのだと感じた。
 それでも、恭弥と同じ顔をしたこの人の好意を、願いを、祈りを、振り払うことはできなかった。
 今、どうか、あなたがそばにいてほしいのに。

 私のよく知る恭弥がこの時代に来たのは、それから二十日後のこと。


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