69.

「すみません、駅はどちらですか?」

 恭弥の勝利を祈りながらひとりで帰る道すがら、声を掛けてきたのは知らない女の子だ。
 黒曜中の制服で、嫌な記憶と同じ髪型。そのせいで一瞬強ばってしまったけど、その子はにっこりと愛想が良い。
 無関係の人にまで余計な先入観を持つの、よくないなぁ。
「むこうです。ここからだとこの道をまっすぐ行って、コンビニの角を右に回って……」
 指差しながら説明すると、その子は私の手を取った。手袋しててよかったぁ。
「よくわからないので、途中までついてきてくれませんか?」
「……いいですよ」
 ずうずうしい人だと思うけど、断りづらい。
あまりにも髪型が似ているから、六道骸の知り合いなのかと気になるが、触りたくはない。
 歩きながら横目で見る。
 眼帯で隠れている瞳は、もしかして紅いんだろうか。
 彼女は大人びた笑みをたたえたまま、唐突に「貴方は野球部の試合中に女性が階段を踏み外すのを先回りして防ぎましたね」と宣った。
「え?」
「それであなたに興味があって」
愛想の良い笑みが、さっきとは別の物に見える。物腰の柔らかい不気味さに見覚えがあって、警戒と嫌悪感を強める。
「言っている意味がわからない」
「それにあの縄を抜けたでしょう?」
クフフ、と独特に笑った。それは何度も悪夢に見た笑みだ。
「あなた、六道骸……!」
見かけも声も性別も違うけれど、どんな手品を使ったのかわからないけれど、どうやら本当にそうらしい。
 未来に行けてしまうくらいだから、地獄にいたくらいだから、これくらい、あり得ることなんだ。
「おや、気付かれてしまいましたか」
 青ざめて距離を取る。逃げ出そうにも、背中を見せるのが怖い。
 じりじりと後退りしながら、ケータイと護身具を握る。
 恭弥が静けさを孕んだ漆黒の闇だとしたら、彼は混沌と襲い来る闇だ。トラウマの対象。諸悪の根源。嫌だ、嫌だ!
「なんのつもり」
「クフフ……今日は騒ぎを起こすつもりはありません。それに今は敵ではありませんよ。ほら」
 そして、六道骸が取り出して見せたのは、――ボンゴレリング、だった。ドッと脱力する。
 沢田君はなんなの、どういうつもり?
 これは沢田君の守護者、味方の証で、大切な物のはずだ。それを、六道骸に与えるの?
 恭弥を引き込んでおいて、六道骸も同列の地位に置くの?
 ああでも、リボーンが恭弥に「遠くない未来に六道骸とまた戦えるかもしれない」と言っていたのを思い出す。それはこれのことだったのか。

 たしかに六道骸を倒したのは沢田君たちだけど、だからって、御せるつもりなんだろうか。
 私も、生死の心配くらいはしたけど、過去を同情もしたけど、だからって行いを赦すことはできない。なにより、怖い。
「君に興味があったのは本当です。ただの好奇心――とでも言いましょうか」
「帰ってください」
 興味を持たれるようなことをした覚えはない。私はただの暇つぶし用の人質だった。
 野球部の大会のときに人助けを見られたからって、それがなんだっていうの。
 あんなの、六道骸の持つ闇に比べたら些細なことだ。
「僕と一緒に来ませんか」
 六道骸はあの、全てを見透かすような眼で私を見据えた。意識が吸い込まれ、吸い取られそうだって錯覚する。
「ばかじゃないの」
 挑むように吠える。虚勢を張らないと心が折れてしまいそうだった。
 以前の私なら、この闇に居心地を求めてしまったかもしれない。
「クフフ。言ってみただけです。今日のところは退散することにします。よければこの子と仲良くしてやってください。僕のかわいいクロームですあなたはきっといい話し相手になる」
 また連れ去られるのかと怯えたが、骸はあっさり引いた。
 この子、と言いながら片手で扇ぐように自分を示したのがよくわからない。クロームってどういう意味だろう?
「また会いましょう」
 微笑みを残すと、ふいに骸はすっと表情を消し、その場に崩れ落ちた。
 びっくりして慌てるけど、罠かもしれないって気づいて、見守る。隙ができたんだから、逃げるべきだろうか。
「骸様……」
 呟かれた声はかぼそい。気弱そうな表情は今度こそ女の子にしか見えなかった。まるで憑き物が落ちたようだ。
 あるいは、本当に骸は"憑き物"だったのかもしれない。
 警戒は崩せないし、触りたくないけれど、危険度は減ったようだ。
 この子も、骸の名を知っていて様付けしているから知り合い……しかも配下の可能性が高い。
 女の子は、きょろきょろと不安げに周囲を見渡してる。立ち上がろうとしない。
「大丈夫……?」
 思わず声をかけてしまったのは、あまりにも頼りなさげな"ただの女の子"に見えたからだ。勝手な誰かさんに振り回されて途方に暮れているところに、親近感を覚えてしまった。
「もしかしてこのへんに来たのは初めて?」
 こくりと頷いた。行きは骸が勝手にやってきたらしい。普段は黒曜中の学区にいるのだろう。
 この格好だって、骸が勝手にやったのか真似をしたのか知らないけど、恭弥に倣って旧制服を来ている私が言えたことでもない。
「しかたないな……途中まで送るよ」
「ありがとう……」
 お礼の声は、聞こえるかどうかってくらい小さいものだった。
 京子ちゃんとはまた別の、守ってあげたくなるタイプ だと思う。

「ねえ、クロームってどういう意味? 六道骸が言っていたの」
「私の名前。クローム髑髏」
 ドクロとはまた、物騒な名前だ。骸とは屍繋がりだし、ろくどうむくろのアナグラムにもなっている。特別な存在なんだと感じた。
 どっちが名前なのか判断がつかないけど、ドクロって呼びづらいし、六道骸もクロームと呼んでいた。
「クロームちゃん?」
「なに」
「……私は、内藤かえで」
 一方的に名前を知っているのが気持ち悪くて、名乗った。どうせ六道骸に聞けばわかることだ。
「内藤かえで」
 クロームはただ呟くように復唱した。素直そうで、悪い子には見えない。
 ……なんて、六道骸に二度もまんまと騙されたから、見る目に自信はないけれど。
「六道骸に伝えて。恭弥は骸との再戦を望んでる。私の前に二度と現れないで。現れるなら恭弥のところに。あなたなんて、恭弥がやっつけちゃうんだから。……って」
 すると、クロームが立ち止まって私を振り向いた。純朴の大きな瞳に、私が映る。同じ顔立ちでも、表情でこんなに違って見えるんだなぁ。
「骸様、負けない」
 急に反論されてむっとした。
「恭弥だって負けないよ!」

 ああ、やっぱり私たちは、きっと似ている。


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