68.賽は投げられた

壁に触れるたびに"幻術"とやらを破って怪我をしてはたまらないから、
少しでも自衛するため、学校では薄い布の手袋をつけていることにした。

触りたくないものがあるからと両親に伝え、
アレルギー性の皮膚の病気ということにしてもらって、
治るまで着用する学校の許可を取った。校舎が直るまで。
円滑な手続きができたから、こういうときは風紀委員でよかったと思う。
灰色のそれは周囲から浮いてしまうけど、そもそも制服が違うんだから今更だ。
全く似合わなくて変なんだけど、短期間のことだから我慢する。
心配の声をたくさんもらってちょっと申し訳ない。

布一枚の隔たりを増やしただけで、私の学校生活はかなり快適になった。
人に触れても 教室のドアに触れても 机に触れても
廊下の壁に触れても 階段の手すりに触れても、視界が移り変わることがない。
心臓が脅かされることもなく、平穏で、安心感がある。
緊張が和らぎ、息がしやすくなった気さえする。

たまに悪夢の幻影に視界が揺らめくけれど、落ち着いて黒い影が去るのを待てばいい。
必要に迫られて考えただけだったんだけど、嬉しい誤算だ。なんでもやってみるものだ。
見てしまうことをコントロールするようにはずっと努めてきたけど、意思の訓練しか想定していなかった。
今までの努力を鑑みれば、道具に頼るって自転車の補助輪くらいズルく感じてしまうけど、こういう逃げ道もありなんだなぁ……。

使える物を使うこと。
頼りきれば依存して手放せなくなりそうだし、
ある程度自力でできているコントロールを損なうのも困る、
生涯四六時中付けているわけにいかない。
だから根本的な解決にはならないけれど、今回はとても助かった。
きっとこれからも、必要になることがあると思う。

入学当初なら、思いついてもおそらく実行できなかっただろう。
周囲の目を気にして異端を隠し、ただ息を殺して内に籠り、自分の異常に耐えていたから。
――縮こまって、受け身で、誰にも理解されないと諦めて、そのくせ時間に押し流される理不尽を嘆いていた。

最初から持っていたら、おそらくこれに甘えて手放そうとしなかっただろう。
人に決して触れず、理解されようとせず、張り付けた笑みの薄氷の上で自分を呪い続けるようになっただろう。
目隠しを外すのは家の中だけ、なんて、そんな。

今の私はそのどちらでもないから、きっと変わることができたんだろう。

私が弱く傷つきやすかったとき、あたたかな家族に守られていた。
恐れ躊躇っていたとき、外から殻にひびをいれてくれた人がいた。
手をのばしたら、誰かに届いて、自分の意志で羽ばたくことを許され、広がった世界が、今ここにある。

未来って、見るばかりじゃなく、
いくつかから選ぶのでも、既製品を歪めるかどうかでもなくて、
きっと自由に思い描き、塗り重ねて、創っていけるものなんだ。

人と、世界と、かかわり合って生きていく中で、過去も未来も、現在さえままならない。
魘される夜も 苦悩で息が詰まる白昼もあって、それはこれからもそうだろう。
それでも理解しようとしてくれる人がいて、理解したいと思える人がいる。
世界がいつまでもいとしくあるように、
私は私の個性と上手に付き合っていく方法を模索していきたい。





見張られているような気がするのは、ボンゴレの関係者だろうか。
"幻術"を破ったこと。その方法、能力の分類。今までのアレコレも含めて、
興味を持たれてしまったことは知っている。
幸い、対策を打ったので、昨日のようなヘマはもうしない。
今の私は人並み以上のことをできないから、痛くない腹だ。あくまでも、今は。
ずっと監視が続くようなら困ってしまう。純粋に嫌だし。
沢田君に相談すればどうにかしてくれるだろうか。
特訓で忙しいだろうから、この戦いが終わったら。

ボンゴレは敵じゃないつもりだから、
敵みたいに探らないでほしい っていうのは我が儘かな。
すべてを明かす決断には至らなくても、友達……のつもりだ。
情報の欠如によって沢田君が危険に晒されないようにとか、
私を悪いマフィアから保護するためにとか、
好意的に解釈することもできるけど、今は隠すしかない。

本当は、不都合なことをされたくないなら徹底的に遠ざかればいい。
それをしないで、結論を先延ばししている優柔不断さが悪いのだ。

どっちつかずって一番不安定な状態なのかもしれない。
二匹の兎をどこまで追いかけていられるのか。
選ばなければ、いつか選べなくなるかもしれない。
不自由な状態で選択を迫られることがあるかもしれない。
両方失ってしまうかもしれない。

じゃあ不安定を取り除いたらすべて上手くいくのかっていうと、それもわからない。
逃げた先にはまた別の困難があるものだから。
何を選んでも後悔するなら、どちらかに後悔しなければならないというのなら、
最良だと思える道をまだ探していたい。
揺るがない心も一朝一夕で得られないものなら、悩み、工夫と努力に足掻くことも無駄じゃない。

私は心から彼らの勝利を願っている。

今夜は恭弥の出番のはずだし、見届けられたらいいのだけど、
さすがに夜中に学校に行きたいなんてママには言えない。
たとえば忘れ物とか嘘をついても車で送ってくれちゃうだろうし、
本当のことは危なくてもっと言えない。
無茶をして抜け出しても、恭弥は声援なんて必要としないだろうし、
私に何ができるわけでもなく、ただ墓穴を掘りにいくようなものだ。

しょうがないからおとなしく祈るだけにする。
もどかしくても、"何もしない"ことを選ぶ意志も私には必要だ。

せめてのなぐさめなのか、恭弥は私に小鳥を預けていった。てのひらに乗るほどの可愛い黄色の鳥は、並盛の校歌を覚えて歌う。
元は六道骸の部下のペットだったのを連れてきたらしい。
それより古い過去さえ避ければ、てのひらに乗せるだけ・撫でるだけで、恭弥のいる光景が見える。
何もかも見ようとは思わないけど、修行風景を眺めるのはなかなか楽しい。
その強さを見ていれば、祈らず信じて待つことができる。



きっと、私はとっくに巻き込まれていたんだ。
彼らの織り成す日常に。
そして私も彼らを巻き込んでいたのだろう。

数奇な運命の上。
紡いだ糸は絡まって繋がって機織られ、影響しあう。
今までもこれからも、巻き込み巻き込んでいく。


世界は目隠しをする。

fin.


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