65.

いつもの応接室に恭弥は不在で、
どこ行ったんだろう と 平凡な疑問を抱いたから壁に触れた。
普段見ないようにしている人や物の『過去』に目を向ける。
私にとっては日常的で、呼吸をするくらい簡単な行為だ。

その映像内には意外な人物がいた。
金髪、鳶色の瞳。


  「お前が雲雀恭弥だな」  「誰……?」
  「俺はツナの兄貴分でリボーンの知人だ  雲の刻印のついた指輪の話がしたい」


どうしてディーノさんがここにいるのだろう。
恭弥にかかわるのだろう。
雲の刻印の指輪? なんだ、それは。


  「ふーん赤ん坊の  じゃあ強いんだ
   僕は指輪の話なんてどーでもいいよ。あなたを咬み殺せれば……」
  「なるほど問題児だな いいだろう そのほうが話が早い」


そして二人して応接室を出た。
私の感想としては、
ディーノさん、恭弥に喧嘩を売るなんてどういうつもりだろう。という感じだ。
見た目はかっこいいけど、ドジなお兄さんだ。大怪我するんじゃないかな。
なにがあったにしろ、知ってしまったからには軽減させたいところだ。

仕事をいったん置き、応接室を施錠し、廊下に出た。
壁に触れて軌跡を負う。
彼らは屋上へ 向かっているようだったから、追いかける。

*
*
*

「恭弥っ!」
「……何」
「かえで!?」

精一杯の大声で彼の名を呼んだ。
反応はクールで、一瞬でもこちらを見てくれたからよしとしよう。
ディーノさんのほうがオーバーに驚いてくれた。
それを見て、ようやく恭弥がトンファーを持った手を止める。

「なんだ、お前ら知り合いなのか?」
「それはこっちの台詞」
「うん。ディーノさんとは病院で、沢田君のお見舞いに来ているところに会ったことがあるの」

二度。というのは、なんとなく伏せることにする。
恭弥との関係は説明しなくても、まぁ、いいだろう。照れる。
同じ学校だし、同じ委員会ってことも一目瞭然だし、不自然じゃない。

ふうん、と恭弥は頷いて、攻撃の手を再開する。
ちゃんと私のほうをむいてくれていたディーノさんの不意を打つことになった。
ディーノさんは鞭でそれを捌く。武器だ。

階段から転げ落ちたお兄さんとは思えないほどだった。

どちらかが一方的に怪我をする感じではなく、互角 というのかな。
なんにしろ恭弥が楽しそうだからいい。
私の出る幕じゃない と 思った。でしゃばるのは良くない。
どういうことなのか、あとで話を聞こう。
私にできるのは、

「かえで、仕事は任せたよ」
「うん。任せて」

そういうことだった。

*
*
*

あれから、数日が経った。
ディーノさんのことを聞こうと思って、
廊下や2-Aの教室を覗いたときにそれとなく沢田君や山本君を探してみたけど、なかなか出会えない。
わざわざ呼び出したり人に居場所を聞いてまで会うほどじゃないし。
たまたま休んでいるのかもしれない。

下校のチャイムが鳴って、
恭弥は荷物を取りにいったん応接室に帰ってきた。
彼らは私が授業を終えて来る前から下校時刻まで、ずっと屋上で戦闘している。
一度食事をすませて、夜中に戦うこともあるらしい。
ここのところずっとこの調子だ。

「結局、ディーノさんの話ってなんなの?」
「知らない」

終止聞く耳持たなかったのか。
恭弥らしいといえば恭弥らしい。
ディーノさんには気の毒だけど。

恭弥は、私の作った書類の束に目を留めると、
ソファに座ってパラパラとチェックし始めた。
途中で退屈そうに手を止めてあくびをすると、
徐に変な指輪を取り出し、指で玩ぶ。

「それ……」
「何?」
「雲の刻印の指輪ってそれ?」
「見たい?」
「うん」

恭弥は興味なさげに指輪を投げてよこした。
取りやすい軌道だし、これが取れないほど私は鈍くない。
だから、片手で受け止めて、ナイスキャッチ!だったけれど、
"それ"に触れた瞬間、眩暈がした。

ずんっと重みが指から伝わってきて、
でも物理的な重さというよりは”それ”の本質が問題だった。
毒だった。少なくとも、私にとっては。闇に襲われた。


  騙し、貶め、陥れ、裏切り、踏みにじり、奪うことがあった。
  砂埃に塗れ、容赦ない銃声を合図に、悲鳴が反響し、鮮血が跳ね、苦悶の表情が映った。
  信用は仇で返された。懇願は聞き届けられなかった。
  全のために一は切り捨てられた。
  手を伸ばしたのに、すり抜けて崩れ落ちた。声にならない。


思い出したくもない骸の闇は、
化け物じみていて、いわばグロテスクなホラーで、悪夢だったけれど、
これはもっと現実味を帯びた、サスペンス と でも言おうか。

外国語はほとんどわからない。
様々な色の炎が鮮やかに、暴力の中で爆ぜる。
その点が、まるで映画や幻想のようだったけれど、
きれい ではなく、 ただただ おそろしい と思った。

怖い、恐い、こわい。
これが人間か。"ボンゴレ"か。

綺麗じゃない世界の一面を、教えてもらわなくていい。
もう嫌なの、知りたくないの、受け止められない、見たくない。
世界のどこかでいつかの歴史に何が起こっていても私は知らないの。
私には重すぎる、こんなもの背負いたくない。
ようやく彼らを信頼できると思ったのに、こんな恐ろしいものに触れたくない。

今すぐこの映像から逃れたいのに、出口がなかった。
"指輪"は、こぼれ落ちるどころか呪いのように手に吸い付き、手放したいと思うのに自分ではどうにもできない。
どこに行けばいいかわからない。出れないの。永遠に?
息が苦しい。これ以上何も。誰か、たすけて。



ふっ と 

世界に光が戻った。
まるで突然照明が灯ったみたいだった。

緊張で握り込んでいた手のひらを、こじ開けられたのだとわかった。
指輪をもぎとられたのだ。
知らぬ間に、苦しむ形で床にうずくまっていた。

つかつかと足音が窓辺に近づく。
恭弥は窓を開けると、大きく振りかぶって、
その指輪を遥か彼方の外界に投げ捨てた。
そして私を振り向いた。

「大丈夫?」
「……ゆびわ、いいの?」
「最初からいらなかったよ」
「そっか……」

声も身体も震えている。
『大丈夫』ではなかった。

恭弥は何も言わずに傍に来て、私が立ち上がらせるのに手を貸してくれようとしたが、
その手を取る事もできない とわかると、膝を折った。
床に座っている私を抱きしめてくれた。
きっと震えを抑えようとしてくれているんだ。
めったにない行動にドキドキするとともに、
心臓の音が伝わってきて、あたたかさに安心して泣きそうになった。

私の身に何が起こったかなんて恭弥にとってはわけのわからないことに違いなくて、
それなのに何も聞かないでなだめてくれる。
原因が彼の渡したものだとわかって、即座に処分して、
けれど不用意な謝罪や慰めの言葉を持たない彼の、不器用な潔さがいとしいと思った。

これは、恭弥のせいじゃない。
あえていうなら私の好奇心のせいだ。好奇心は猫を殺すと肝に銘じよう。
迂闊に危険に近寄らないように、怖いものから遠ざかっていられるように。
悪夢が蓄積されず、早く忘れられるように、
この光を 愛し愛されている事実を 覚えていることにしよう。


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