『見上げた空は違う色』番外編

盆と正月にはこの鮮やかな庭に囲まれた内藤家に人が集まる。
なぜこの場所なのかと言われれば、居心地がいいからだと答える。
どんな関係なのかと聞かれれば正しく説明するのは難しい。
高校時代の知り合いとその子供、ひいては孫。
月日が流れるのは驚くほど早い。
自分はまだジジイと呼ばれるには早いはずだと思うのに。

表札の前で偶然鉢合わせた、俺にとっては知り合いの息子で、相手にとっては単なる知り合い。
ただし、男同士ということもあって、こういう集まりのときには比較的会話することも多かった。

「よお」
「並木さん」
「ガキは元気か」
「アンタに苛められると思って連れてこなかったんだ」

話題がないから尋ねただけなのに、平然とそんな返答をされる。
この生意気な男は名を江沢ナオという。
反論しようと口を開くと、それよりも早くため息を含んだ言葉が投げられた。

「アンタは昔から、かえでしか可愛がってなかったからな」
「……ああ、そうだな」

あの少女――今は立派な女性に成長した――がこの家を離れたのはいつだったか。
季節が巡るたびに、懐かしい映像が蘇ってくる。
空を見上げるたび、新しい本を買うたび、豊かな箱庭を訪れるたびにその顔が浮かぶ。
だから否定はしかなかった。

20年も前だったら、可愛がっていたのは
かなでの子だからだとか、かなでに似ているからだとか主張していただろう。
けれど今思えば、実際に愛しかった人に似ていた部分なんてさして多くはなかった。
容姿は贔屓目に見ても父親似だったし、成長するにつれて、
母親譲りの笑顔よりも、少し離れた誇るような自慢げな笑みと、慈しむような微笑みが多くなった。

あの二人の子にしては頭がよく、大人に取り囲まれて育ったせいで、大人びていた。
大人になった今でも、きっと背伸びを続けている。
理由もなく、困難な道を選ぶんだ。
自分が笑うよりも大切な人に笑って欲しいから。
似ているのはむしろ、

「アイツは俺に似てたからな」

一時期は控えていた煙草を一本取り出しながらそう答えると、
思うところがあったのだろう、ナオは沈黙した。
俺は再び庭を眺める。

此処は傍目で見ても幸せな家庭だった。
それぞれが尊重し合い、いつでもあたたかさに溢れていた。
たしかに両親である二人は平和な性格をしていたのだろう。
特殊な力を持っていても、それを乗り越えられる強さがあった。
けれど、だからといって"同じ"力を持った娘が、幸せになりきれていたかはわからない。

大きな宿命を背負い、彼女の内側には孤独が巣食っていた。
同世代に分かち合える誰かが居なかったのは、当然のことかもしれなかったけれど、
俺たちの運がよすぎたんだ。それをかえではずっと見ていたんだ。

幸せな人間には理解できないこともある。
だから彼女はよく俺の元を訪れていた。
孤独を分かち合うことはさぞかし心地が良かっただろう。
けれどそれは傷の舐めあいに過ぎなかった面もある。

かえでは今でも俺によく連絡を寄こす。
「出来ることなら何でもしてやりたい」と彼女の父親は言った。
「出来ることならな」と俺は答えた。
彼らは小学生だった彼女の懇願を聞き入れてこの家に引っ越した。
同じように近隣に越した自分は文句を言える立場ではないが、
すべてを叶えられるわけではない。このままではいけないことはわかっていた。

中学生になって少しずつ変わっていく様子は心配でもあったが、手出しをすることはできなかった。
自分で庇護の殻を破ろうとしているのだと気づいたからだった。
イタリアに留学すると聞いたときは自分の道を見つけられたのだと思って嬉しかったのだ。
たしかに、あまりにも早く雲雀恭弥という男にさらわれていったことには憤ったし複雑な気分になったりもしたが、
身内以外のところで大切な居場所を作れたのならやっぱり祝福して送り出すしかなかった。

「お前、アイツが初恋だったんだろ」

あまりにも急に静かになったナオを見かねて、適当に話題を振ってみる。
すると彼は慌てるでもなく「それでアイツの初恋はアンタだったんだ」と言った。
なるほど、昔から成長していないわけではないらしい。
伊達に二児の父親になっただけのことはある。

ナオは父親に似て、見た目のいい男に成長した。
財力もあり、言い寄ってくる女は多かったはずなのに、初恋のかえでも美人の部類に入るのに、
最終的にナオが選んだのは家庭的で平凡な雰囲気の女だった。
そこに、なぜかナオとかえでとの距離を感じたんだ。信じることと、受け入れることは違うから。


小さな花のようだった。
風に揺られてもめげずに立っているように見えても、儚くて仕方なかった。
いつまでそんなに寒いところで耐えるつもりか、と。
いとしい、慈しむような気持ちが自然に湧きあがってきた。

澄ました顔を崩すことを嫌い、その奥で形のない悲しみを押し殺していた。
俺たちは出来る限りのものを彼女に与えてきたが、与えられないものもあった。
本当は掴み取る術でも教えてやれればよかった。
彼女自身が乗り越えなくてはいけない壁があった。

余計な気を使って、他人の苦しみまで請け負っていたのだ。
俺が生涯独身を貫くことだって、自分のせいにしていた気がする。
俺は他人の幸福に救われたが、かえでは自分の幸福に苦しんでいたかもしれない。

他の誰でもなくて、自分の幸せを願えばいいのに、と思う。
彼女の両親も、俺も、ナオも、エリも、江沢も、染谷も、勝手に幸せになるのだから、それぞれ道は違うのだから。
俺たちは俺たちの人生を歩いている。だから、お前はお前の人生を歩けばいい。

遥かな異国まで、そんな思いが届けばいいと思った。

「なあアイツ、笑ってるかな」
「笑ってるだろ」

そうでなくては困る。


どうか笑っていてくれ。


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