猫と淀殿。
珍しくまだ日の高い夕暮れから、京の都に白い猫がふさりとしたしっぽを振ってすまして歩いている姿が見えた。
華やかな城下町の屋根の上ををてとてとと素知らぬ風に歩いて向かう先は大阪城。
門番に見られることもなく、白い猫はひょいっと高い壁をいともたやすく登って、塀の内側に消えたのだった。
「おや、そこにいるのは白尾かえ?」
庭先を、まるで我が物顔で歩いている不思議な白猫に声をかけたのは、ほかでもないこの大阪城の現在の権力者である淀殿だった。
その声に、白尾は足を止めてゆっくりと縁側に出ている淀殿の方へ近づく。
「にゃおうん」
そして、淀殿が差し伸べる手に頭を甘えるようにこすり付けたのだった。
「ほうれ、よしよし。たんとお食べ」
その言葉に、私は心の中でにんまりしながら目の前の薄く切られた栗羊羹を上品に口に含む。
さすが、大阪城にある栗羊羹は他のと一味も二味も違う。
ここ、大阪は大きな港町である堺も有しており、珍しいものや一級品ものなどの集まりが良く、さらにそれらの最高級が大阪城に集められるのだから、やっぱり貴族や庶民のそれとはどこか違う。
私は違いの分かる猫なのだ。
そして、ここ大阪城は私の中でもお気に入りの栗羊羹スポットだった。
「にゃうにゃうにゃう」
「ほほ。そんなに美味しいかえ」
「にゃー」
「そうかそうか。そんなに急がんでも、おかわりは幾らでもあるぞ」
「にゃにゃっ!」
「ほっほ。白尾はほんに不思議な猫よのう。わらわの言葉がわかるのかえ?」
「にゃんにゃ」
美味しさのあまり、つい口から声が漏れてしまうのはご愛嬌だ。
淀殿も、それが可愛いと背中をゆっくり撫でてくれる。
淀殿と出会ったのはもう何年前か。
たまたま興味でこの大阪城に入ったら、彼女に見つかり、この国には珍しい長い毛と金目銀目を気に入られたのだ。
他の城の者は私を妖の類ではないかと気味悪がったが、淀殿とその周りの者たちは気にすることはなかった。
それから気が向けばここで、欲しいだけの最高級の栗羊羹が食べられるようになったのだ。
「淀殿、失礼します」
おかわりを要求した私に淀殿が答える前に、扉がすうーっと開く。
「“会議”の時間にございます」
扉を開いた男の言葉に、淀殿は残念そうに溜息をつく。
「忘れておった。もうそんな時間かえ。白尾、少々待ってておくれ」
そう言って、淀殿は吸っていた煙管の灰を、灰皿にかんっと叩いて落として腰を上げた。
そして豪華な着物を引きずり、しずしずと出ていく淀殿とそのあとに続く家来。
それを私は目を細めて見送ったのだった。
「待ったかえ?白尾」
その言葉に、私はぱちりと目をあけてふかふかの座布団の上で大きく伸びをする。
“会議”は長かったのだろう。
空にはすっかり三日月が昇っていた。
「にゃふ〜」
思わず大あくびすると、淀殿は口を開けて笑う。
「お前といると、何もかも忘れられてええのう。猫に礼儀も作法も必要ないからのう」
些か疲れる、とこぼした淀殿の言葉は本物なんだと感じたが私は特に反応せずにゆっくりと開け放たれた縁側に向かう。
「おや、白尾や。行ってしまうのかえ?」
淀殿が名残惜しそうに手を伸ばすが、それをするりと避けて私は高く飛び上がって松の木の上へ。
「にゃ〜あ」
また逢おう。今宵はここでお別れよ。
そう鳴いて、私は笑うように目を細めて淀殿を見下ろす。
その体からは鼻が曲がるほどの血の匂い。
ちょっとやそっとの刃傷沙汰での匂いではない。
これは、人の生き血をすすった者の匂い。
残念じゃが、その匂いが取れてからまた来よう。
ああ、今宵はこれでおしまいじゃ。
そうして、白い猫はたーんと足音を残して三日月の光に消えたのだった。
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