猫と狒々とぬらりひょん。


「おお!白尾じゃねえか!」

ふんふん、と機嫌よく歩いていた矢先のことだった。

突然の大きな声にびくっと体を震わせて私は思わず細い塀の上から落ちてしまった。

「おっと」

腐っても猫。

どんな状態であろうが、華麗に着地してみせる気で満々だったが、そんな私を空中で見事受け止めたのはいつぞやの大きな妖怪。

名は確か…狒々、といったか。

「悪い悪い、大丈夫だったか?」

「にゃー」

受け止めてもらわなくても大丈夫だった、と意味を込めた答えに狒々はくうっと体を震わせる。

「お前…!」

に、にゃんにゃ…?

「ほんっとうに可愛い奴だな!さすがオレの猫!」

「にゃ?」

オレの…?

そんな疑問を抱える私に構いなく、狒々は仰向けに手のひらに収まる私の頭をぐりぐりと撫でる。

「最近姿を見せてくれなかったから寂しかったじゃあねえか。あ、そうだ、大将にも紹介しなくちゃあな」


そう言って、狒々は私の収まってる手と違う手を大きく振る。

「おーい、大将!」

「ん?なんじゃ、狒々。突然こんなところに消えおって」

そしてぬらりと闇の中から現れたのはぬらりひょん。

「大将、見てくれ。こいつがこの前話していたオレの嫁だぁ」

言われて狒々の手のひらを覗き込んでぬらりひょんは目を丸くする。

「はあ?お前、嫁って…猫じゃねえか!」

「おうよ!オレが猫好きなのは大将も知ってるだろう?」

「しかし、お前が嫁なんぞというからワシはてっきり…」

そこで、はたと私の姿に気付くぬらりひょん。

「お前…!おい、狒々この猫…」

言いかけたぬらりひょんに向かって、私はにんまりと笑う。

またからかい甲斐のある奴が自ら飛び込んできたのだ。

ひょいっと狒々の手のひらから抜け出して、私はぬらりひょんに向かって飛びかかる。

「う、うお!?」

驚くぬらりひょんに、地面に着地した私は奴の懐から掠め取ったものを自慢げに見せる。

「こいつ、それワシの刀じゃ!返さんか!」

ほほほ。

猫ごときに必死になるぬらりひょんが面白くて、奴の手をことごとくかわしては馬鹿にしたように鳴いてみせる。

こやつ、自分自身はぬらりくらりとするくせに、反対にぬらりくらりとする奴のことを捕まえるのは慣れていない。

全く、相変わらずじゃ。

そんな私たちを見て、狒々は笑いをこぼす。

「おい、大将。あんた、遊ばれてるぜ」

「うるさい!」

はあはあ、と肩で息をするぬらりひょんは余裕がないのか狒々にまで怒鳴る始末。

大人げなく、いつまでも子供っぽいのも相変わらずじゃ。

のう、私がお前のことを思い出しているのと同じようにお前も私を思い出しておるのかえ?

それともやはり、何十年も前の猫のことなぞ私と繋がりはせんのかのう。


そんなことを思いながらあっちにひらり、こっちにひらり。
終いにはこやつの頭の上で欠伸さえしてやった。

そんな私たちを見かねたのか、狒々が隣で肩を震わせながら私に言う。

「おいおーい、白尾。そいつは大将の大事な刀じゃ。そいつがなけりゃ俺達も戦いようがないってもんよ。悪いがそいつは返してやってくんねえかい?」

…ふむ。

そうだった。こやつ、百鬼を背負っているんじゃったか。

大層なものになりおって。


何かふてくされたものを感じながら私はぬらりひょんの頭をだんっと蹴り上げて狒々のもとへ。

「いでっ!」

蹴られて声をあげるぬらりひょんを無視して、私は狒々の足元に刀をぽとんと落とした。

そして、落とした刀に私は視線を注ぐ。

何十年か前のこれは青臭く、無鉄砲な妖怪がお似合いの新品の刀じゃったというのに、今のこれは、使い込まれてところどころ血痕と垢で黒ずんでいた。

…これが、こやつの覚悟と背負ったものの証か。

相変わらずではないものに、私はほう、と溜息をつく。

ときどき忘れそうになるが、時は流れる。

大きく、流れているのじゃった。



そんな感慨深いものに包まれていると、狒々が何を勘違いしたのか私の頭を再びぐりぐりと撫でる。

「悪いな。そんなにこいつが気に入ったのか。んー…、代わりにこいつをやろう。どうだい?」

そう言って狒々が取り出したのはちりん、と涼しげな音を奏でる一つの鈴。

「にゃあ?」

それを、私の首飾りにつけて、狒々は笑う。


「よう似合っとるぜ!これで、白尾が近くにいたらすぐに見つけられるな」


そう言って笑った狒々の面をつけてない顔が本当にうれしそうで。

鈴を外す気にはならなかった。


「狒々よお。ちょいっとそいつに甘すぎねえか?こいつ、大した悪猫だぜ?」

それに比べて、こいつは。

本当に百鬼を率いているのかと問いたくなるくらい昔のまんまじゃ。

…まぁ、努力は認めるがの。

ちらり、と刀に目をやってから私は空を見上げた。



―…まったく、相変わらずのいたずら猫め。



そんな小さな言の葉を聞き逃して見上げた空では、月が膨らみかけていた。




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