妖、その後。
どんよりとのしかかるような暗い雲からしとしとと雨粒が落ちる。
下校する生徒達は憂鬱そうに顔をしかめて、傘を開いてだるそうに歩き始める。
「夏目!今日俺達先生に呼ばれてるから先帰っててくれ」
教室で言われて夏目は頷く。
「分かった。また明日な」
笑って、手を振って教室を出る。
まだ、にゃんこ先生は目を覚まさない。
久しぶりに一人で帰る道が何だかひどく長く感じる。
ぽつぽつと周りにいた下校中の学生も、河川敷に通りかかる頃には誰もいなくなっていた。
人気の無い帰り道、ぽつりと佇む人影を見つけて夏目は一瞬足を止めるが、それが誰だか分かると、夏目は手をぎゅっと握りしめて近づく。
「的場さん」
いつもなら見つからないように逃げるが、夏目は声をかける。
番傘を開いてぼんやりと立っていた的場が夏目を見る。
「おや。君から声をかけてくるなんて珍しいこともあったものですね」
的場は薄く笑うが、いつものような威圧感は感じられなかった。
そんな的場に夏目は問う。
「李葉を覚えていますよね」
確認するようにそう聞けば、薄く目を細めてから的場は頷く。
「李葉は…逝ってしまいました」
そう言えば、的場は一拍間をあけてからそうですか、と呟く。
「的場さん、俺、李葉が消える時に彼女の記憶を見たんです。真実と、彼女の想いも」
そう言った夏目を的場はちらりと見る。
「子供だった的場さんを見ました。李葉と二人で、崖に遊びに行ったんですよね。…そのとき、後ろに、御月神がいました」
その言葉に軽く的場が目を見開く。
「…貴方を襲おうとしていたんです。それを庇った拍子に貴方は崖から落ちてしまった。しかし、李葉は御月神を止めるために貴方を助けに行けなかった。…李葉は、自分が的場さんを傷つけたのだとずっと悔んでいました」
それを聞いて、的場は無感情にそうですか、と呟いた。
それに、ひと息吸って夏目は声を絞り出す。
「消えていく李葉は、的場さんに会えなくなることが辛いと…」
その言葉を聞いた的場はぴくりと肩を揺らしてから、すっと空へ目をやった。
そんな的場の腕を掴んで、その手のひらに夏目は一粒の種を乗せた。
「李葉が、最後にこれを的場さんに、と。これに想いを託したから自分は未練なく逝ける。…綺麗な、最期、でした…」
抑えても、声が震える。
そんな夏目を見てから、的場は手の中の種を見る。
雨はまばらになり、うっすらと遠い空が明るくなっていた。
「…妖はいつだって卑怯で、自分勝手ですね」
「的場さん!」
その言葉に夏目は拳に力を入れる。
「そうでしょう。最後に、自分の想いをそうやって人づてに伝えるとは」
「それは…」
言いかけた夏目ははっと口をつぐむ。
的場の涼やかな目元がゆがんでいた。
その頬を綺麗な滴が流れる。
「涙雨、ですよ」
変わらず空を眺めたまま、的場は呟く。
「私も…」
愛していました。
そう声にならない呟きが確かに聞こえた気がした。
番傘で隠れた的場の顔を見ることはせずに、夏目も空を眺めた。
空では、雲の隙間から差し込んだ西日がきらきらと輝いていた。
いつのまにか雨は、止んでいた。
季節が巡り、また夏が来た。
八つ原の、ある開けた場所。
月の光が煌々と照らすそこに、番傘を開いて立つ一人の男の姿。
その足元には月の光を受けて白く輝く花畑。
それを見て、的場は薄く笑った。
「月見草。花言葉は“無言の恋”…か」
的場はそれを一つ手折って匂いを嗅ぐ。
「全く、嫌な花言葉だ」
くるりと踵を返した的場を名残惜しそうに見送る月見草の花が、苦笑するように、風に揺れた。
end.
*涙雨
ほんの少し降る雨
悲しみの涙が化して降るという雨
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[mokuji]
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