妖、詰まる。
「夏、目…」
言葉が続かない。
私は彼になんと言えばよいのだ?
いつからいたのか。
的場との話を聞いていたのか。
聞きたいことなど幾らでもある。
だけど、それは聞いてはいけないこと。
否。聞いた後に帰ってくる返事が私は怖いだけなのだ。
ああ、夏目。
何故、
何故、何も言ってくれないのだ?
的場から逃げて駆け込んだ八つ原の木陰で、私と夏目はただ、空を見上げていた。
どれほど、そうして時が過ぎただろうか。
相も変わらず蝉の声は降るように夏の森に響き渡り、蝉時雨とはよく言ったものだ、と場違いに感心してしまった。
だが、その目の前で力尽きた蝉が、ぽとり、ぽとりと落ちていく。
短い命を精一杯に生きて落ちていく彼らを見ながら、ああ。ある意味これも蝉時雨なのだな、とぼんやり思った。
私もかつては鳴くことを誇りに精一杯生きていた蝉だったのだ。
嘘をつくことも、何かを恐れることもなく、私が“私”であることに迷いなど微塵もなかったというのに。
このまま落ちるのは、あまりに滑稽ではないか。
私はゆるりと笑んだ。
「…なぁ、夏目」
夏目、聞いてくれ。
大事な話がしたいんだ。
そう、隣で木に寄りかかって空を見上げていた夏目の肩に手をかけた。
…が。
ぐらり、と夏目の身体が揺れたかと思うと、そのままどさりと地面に倒れてしまった。
「な、なな…、夏目ーー!?」
慌てて彼の肩を掴んでゆさゆさと揺さぶる。
いったい、どうしたというのだ!
「目を、覚ませ!夏目!」
呼びかけても、夏目はその目を開けることはなく、苦しげに眉を寄せるだけだ。
「夏目!なつ…」
「案じるな」
焦って、さらに激しく夏目を揺さぶろうとしたところに、ブサ猫の声が割ってはいる。
「こいつは、暑い中走ってバテただけだ」
ぽてぽて、と草むらから現れ、のっしと夏目の上に乗っかったブサ猫はにやりと目をゆがませる。
「そもそも夏目はお前を自分の家で匿うと言っていたのに、こんなところにまだいるということは大方ここで力尽きたのであろう」
人間とはか弱いものだからな、とのたまうブサ猫の言葉に私は呆気にとられる。
夏目が、先ほどから私に何も言ってくれなかったのは、既に意識がなかったから…?
「は、は…。夏目、お前という奴は…」
はぁ、とため息が口からこぼれる。
拍子抜けというか、ほっとしたというのか。
ほう、と肩の力を抜いた私を見て、ブサ猫がすい、と目を細める。
「李葉」
珍しく名前を呼ばれてブサ猫を見れば、一度も見たことのないような鋭い視線が私を射抜く。
「いつまで逃げとるつもりだ?覚悟がないなら、ここから立ち去れ。そしてこいつの前に二度と姿を現すな」
その言葉に、息を飲む。
「こいつはすぐに人にも妖にも情を移して厄介事に巻き込まれよる。まぁ、ある程度は仕方の無いことだとは思うが、お前は違う」
言葉が、出ない。
何が、と問い返すことも、反論することも出来ずに、私はただその言葉を聞く。
「お前が、夏目に入れ込みすぎなのだ。向き合う覚悟もなく半端な気持ちのまま、な。妖から見れば人の一生ははかない。だが、お前は人よりも遥にはかない。…そこの蝉のようにな」
木の上からまたひとつ、ぽとりと落ちた。
「このまま消えるならば、いっそ、目の届かぬとこへ行け。こいつは繊細でないーぶな奴なのだ。本当に面倒くさいことにな」
そういい終わると、ブサ猫はごうっと風を起こして大きく変化する。
「さらばだ、李葉。名のある主よ」
威厳のある声が響き、立派な獣は夏目を背中に乗せて駆けていってしまった。
私はその後を追うことも出来ず、ただ、ただ見送ったのだった。
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