妖、泣く。
「情けないぞ、夏目。少し走ったくらいで」
腰に手を当てて草原に大の字に横たわる夏目を見下ろしながら私は鼻を鳴らす。
「はぁ、はぁ。そんなこと…ごほっ、言ったって」
肩で息をしながら反論する夏目の横に私も横たわる。
「まあ、私も少し疲れた」
風情のある月見酒を楽しむつもりが、まさか鬼事に変わるとは。
ため息をついた時
「全く。お前らはせわしないな。酒を持ったまま居なくなりおって」
のそりと茂みからブサ猫が姿を現す。
その手にはちゃっかりと団子の皿が。
「なんだ、来たのか。あわよくばお前も撒いてやろうと思ったのに」
忌々しげに呟くとブサ猫が妖しく笑う。
「ほう。私にそんなことを言っていいのか?折角、低級共が入れないように結界を張っておいてやったというのに。これでゆっくりと酒盛りができるのだぞ」
む。
そうか、結界という手があったか。
しかし、あれは疲れるし、気が張ったままになるからこの猫がやってくれるにはそれに越したことはないな。
「…ふん。まあ、そういうことならいいだろう」
心の広い私はブサ猫にそう言って酒を注いでやったのだった。
さて。
これでようやく私も酒が飲めるぞ。
全員に酒を注いだ後、ようやく私も酒を口に運ぼうとしたのだが…
「夏目様ー!!」
「ぶっ!」
突然茂みから飛び出してきた妖に私は押し潰された。
「中級達…」
「夏目様!このかぐわしい香りはどこから!?ぜひ我らにも分けてください!」
「いや、ちょっと待ってくれ、お前ら李葉を…」
夏目が慌ててこの妖共を退けようとしているが、こいつらは私を押し潰しているということにも気づいていないようだった。
「お、おのれ…!」
があぁあ!と私はそいつらを吹っ飛ばして立ち上がる。
「ブサ猫!結界を張っていたのではなかったのか!?」
怒り心頭で指をさしてブサ猫に言うが、ブサ猫はしれっと答える。
「うむ。低級が入れない程度のものをな。こいつらは中級だから仕方がない」
な、なんだとう…!
「それに、ほれ、そこでお前の酒を勝手に呑んでるそいつらにも結界は効かんぞ」
その言葉にばっと振り向けばいつの間にやら私の酒で勝手に酒盛りをしている顔のでかいちょびひげや着物姿の妖達がいた。
「き、貴様ら!一体誰の許可を得てその酒を呑んどるのだぁあ!」
叫べば、眉をひそめてこっちを見てくる奴ら。
「夏目、あれは何だい?やけにうるさいねぇ」
着物姿の妖が煙管をくわえながら夏目に問う。
「い、いや、ヒノエ。あれは俺の友達で…」
苦笑しながら答える夏目に妖達が色めきだつ。
「なんと。夏目殿に人間のご友人が。しかも我らのことが見えるようではありませんか」
「なんだい、夏目。あんな女と親しいのかい!?」
騒ぎながらも相変わらず酒を呑んでいく奴ら。
「ヒノエ、ちょび。その酒は一応李葉のなんだけど…」
夏目が言ったとき、空からシャンシャン、と鈴の音が聞こえた。
もしかして、と口をひきつらせた夏目のそばにほどなくして大きな妖が降り立つ。
「夏目殿。何やらかぐわしい香りに誘われてやってまいりました。千年酒とお見受けします。私にも分けてもらえますかな」
「み、ミスズ…」
なんと、なかなかの大物までやってきおった。
しかも、夏目に聞いたにも関わらず、あいつも勝手に私の酒を呑み始めたではないか。
見れば、ミスズとやらの分でとうとう酒は底が尽きてしまったようだった。
私の…
楽しみにしていた、酒が…
ぽろり、と頬を暖かい物が伝う。
「!?李葉…!?」
それに気づいた夏目が驚いたようにおろおろとする。
何やら怪しい雰囲気に騒いでいた妖達もこちらを窺っているのを感じたが、私は気にせずに涙を流し続ける。
そういえば、以前泣いた時も人の子の前だったな、とぼんやりと思いだしながら涙を拭うこともせずに泣いた。
私はこの酒が本当に呑みたかったのだ。
「やれ。困ったねぇ。どうして、こう人の子は涙もろいんだか」
私は人の子じゃないし、妖だって泣くときだってある。
「よほど千年酒が呑みたかったのでしょうねぇ。しかし、酒はもうなくなってしまいましたし」
さて、どうしましょうか。
ちょびひげがちっとも困ってなさそうな顔で言う。
「泣かれるのが困るのなら、泣かないように喰ってしまえばどうでしょう」
ミスズが言うが、夏目に怒られる。
その時
「やれやれ。仕方のない奴だ。ほれ」
私の目の前に短い手で一杯の酒が差しだされた。
「え?」
驚きで思わず涙が止まる。
「欲しいのだろう?最後の一杯にと密かにとっておいたのだが。いらないのか?」
ブサ猫が表情の窺えない相変わらず不気味な顔で問うてくる。
「い、いる!」
慌てて私はその盃をはしっと受け取る。
それを見て、夏目が安心したようにほっと息をついたのが見えたが、そんなことも気にならずに私は満面も笑みを浮かべる。
ああ、ようやく呑める。
いつか呑みたいと話していた酒だ。
満ち足りた思いで盃に口をつけようとした時
「どうか…どうか、千年酒を恵んでください…」
小さくか細い声が聞こえた。
そんなもの、無視すれば良いのだ。
しかし、手が動かない。
「千年酒はどんな病も治すと聞いております。どうか、どうか私の妻に下さいませんか?」
ちらりと視線を送れば、随分と遠いところに立っている妖が見えた。
恐らく、結界が張ってあって入ってこれないのだろう。
「私の妻は不治の病で、もう2年も寝込んでおります。これを治すには千年酒しかないのです。どうか…」
深く頭を下げる妖。
ああ、この私に念願の酒をよこせだと?
いつか呑みたいとあの子と話していたこの酒を?
ああ。
何だって言うんだ、全く。
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