ひとつ
「それでは」
私は山を降りる足を止めて今一度振り返る。
「母様。また近いうちに顔を出します。どうか、お元気で」
ぺこりと頭を下げた私に母様がうむ、と頷く。
「それから、白馬と黒馬、今まで本当にありがとう」
母様の横に目を移すと、寂しげに笑う二人の姿。
「いつでも、いつまでも、見守っております」
「何かあれば駆けつけます」
そう言ってくれる二人に手を振って私は再び貴船山に背を向ける。
「さ、獏。行こう」
「…ん」
寡黙な獏に苦笑しながら私は山を降りる。
すぐにまた、京都へ来る。
きっと、その時はリクオと一緒に。
「タカオカミノカミ様…、どうしても、私達は着いていってはいけないのですか?」
水姫の姿が見えなくなったところで、ようやく涙を流す白馬がタカオカミノカミに問う。
「…白馬。お前が使えるべき神が誰かぐらい分かっているじゃろう」
「それは…、しかし、あまりにも突然ではございませんか!水姫様はまだ若く、無茶をしがちです!何かあったら…」
その言葉にタカオカミノカミが呆れたようにため息をつく。
「我も大概過保護じゃと思っとったが、お前もたいしたもんじゃ」
そう言ってタカオカミノカミは水姫の去った方向を見る。
「我とて、心配でたまらん。しかし、いつまでも過保護にしておくわけにもいかんのじゃよ。…水姫は、夜護淤加美の名をもらってしまったのだから」
その言葉に、黒馬が静かに問う。
「何故、ご自分がその名前をつけたと水姫様に嘘を?」
「…まだ、分からんじゃろう。天から神が名をもらうことの意味を。あの子は、他のどの神もが触れられぬ、崩れつつある陰と陽の調律を任されたのじゃ。ある意味、この先の神々の命運を握るじゃろう」
ほうっとため息をついて空を仰ぐ。
「知らぬ方がよい。知らずに好きにさせておいた方があの子は歩いて行ける」
「…やはり、タカオカミノカミ様の方が過保護ですね」
黒馬の物言いにタカオカミノカミは苦笑を漏らす。
「なぜ、あの子ではならなかったのかと時々、天に問いたくなる。…しかし、答えなぞ分かっておるから無駄なことよの」
黒馬が首を傾げる。
「あの子だからこそ、選ばれたんじゃろう。若く、力を持ち、人も妖怪にも気をかけるあの子だからこそ、な」
さわり、と爽やかな風が通り抜けた。
「ただいまー」
新幹線で帰ってきた私は早速家の鳥居をくぐる。
「お帰りなさいませ!」
「我らきちんとお守り出来ました!」
「やればできるのです!」
胸を張る木霊達の頭を偉い偉い、と撫でてから私は家の扉を開ける。
「ほら、獏。いつまでそこにつったてんの?家、案内するから」
そう言われて、驚いたように辺りを見回していた獏がこっちへ向かう。
が
「何奴!」
「怪しい奴!」
「家に入れるわけにはいきませぬ!」
木霊達が獏の足元にまとわりついて邪魔をする。
その木霊達をひょいっと持ち上げて獏が困ったように言う。
「…これ、どうすればいい?」
その言葉に私は苦笑を漏らす。
「木霊達、よく聞いて。彼は私の神使となった獏。白馬と黒馬は母のもとへ戻ったの。これからは彼と暮らすのよ」
「なんと!」
「白馬様と黒馬様がもういらっしゃらないと!」
「こやつが神使ですと!?」
口々に驚きを表す木霊達に頷けば、木霊達はしゅん、と大人しくなる。
「寂しく、なりますのう…」
一匹の木霊の声が小さく響いたのだった。
「…で、ここが厠。だいたい分かった?」
聞けば、頷く獏に私は紙袋を渡す。
「…これは?」
問う獏に私は悪戯っぽく笑う。
「ふふふ。高校の制服。あなた、私の学校の近くの高校に行くの」
「高校?」
怪訝気に首を傾げる獏に頷く。
「そう。編入手続きはもう母様に頼んであるから。私の通う中学のすぐ近く。何かあったら駆けつけてね」
その私の言葉に戸惑ったように獏が自分の猫耳を触る。
「しかし…、白澤になれるまでこの耳、隠せない…」
それに、うーん、と考え込んでから私は笑う。
「常にパーカー被ってれば?」
あっけらかんと笑う私に獏は眉をひそめる。
「…怪しくならないか?」
「なるだろうね。いいじゃん」
その言葉に獏はため息をついて小さく、服を買ってくる、と呟いた。
どうやら私の案は採用されたようだ。
もうすぐ夏休み。
新しい神使も加わった。
さて。
これからの舞台、どのように立ち回ってみせようか。
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