よっつ



「オ、オレ、は…」

全ての者は注視する中、犬神は言葉を発する。

「オレは…犬神…ぜよ」

母様は黙って犬神の言葉を聞く。

「犬神憑きで、物心ついたときから周りに疎まれ…、学校では虐められ、殴られた…!オレが…!オレが、一体何をしたぜよ!犬神憑きだというだけで、オレは惨めに生きてきたぜよ!!」

静かな湖面が犬神の声で揺れる。

「オレは、オレを差別した奴を恨んだ…!オレを犬神憑きに生んだ親を恨んだ…!そして、犬神を恨んだ…!でも…」

犬神はぎりっと歯を食いしばる。

「それで、気付いたんだ…!人を恨み、憎み、呪う。オレ自身が既に犬神なんだと…!」

叫んだ後の犬神は、疲れたように少し笑った。

「オレは、犬神…ぜよ。犬神を落としたら、オレは、オレでなくなる…」

犬神は、私を見て恥ずかしそうに笑った。

「あんがとな、水姫。お前のお陰で、オレは前を向いてみようと思った。オレ自身が犬神なら、オレが恨むのをやめて前を向けば、犬神も救われると思ったんぜよ。だから…」

犬神は怖気づくことなくまっすぐ母様を見た。

「犬神は、落とさんぜよ」

「…」

静かにその犬神の目を見つめ返した母様だったが、次第にその肩が震えはじめる。

そして

「くく…、ふっふっふ、あはっはっはっは!!」

腹を抱えて、大声で笑い出した。

「は、は様…?」

驚いて声をかけるが、母様の笑いは止まらず、それどころか笑いすぎて涙まで流し始めてしまった。

犬神もぽかんと呆気にとられている。

「あっはっは!おもしろい!いやはや、面白い奴もいたもんだ!さすが##name_1##、我の娘よ!面白い奴を連れて来よった!」

そう言って母様が目元の涙を拭う。

「気に入った!犬神は落とさん!共に生きていくがよい。代わりに我の守護を与えよう。お主に幸があらんことを」

そう言って、犬神に向けて母様が腕を一振りすれば、犬神の周りで一瞬水が躍り、犬神の中に消えていった。

「好きに生きよ!短い命で精いっぱい生きて我を楽しませておくれ」

ニカッと犬神に笑ってから、母様は私の方を向く。

「さて、水姫や。お前、“神渡し”をしたそうじゃな」

「…はい」

呼ばれて神妙に答える。

やっぱり顔を見せに来いってことは怒られるのか。

そう覚悟したが


「ようやった!その若さで“神渡し”を成功させたなど前代未聞よ!我は早速他の神々に自慢しまわってしもうたわ」

…まじですか。


「今や、神の間ではお前のことはもっぱら噂じゃよ。我も鼻が高い」

嬉しそうに笑う母様に私はひきつった笑いを漏らす。

「しかし、“神渡し”は危険だと、母様が…」

そう言った私を見て、母様は笑いをとめる。

「そうじゃ。実に危険じゃ。ほんに、お前は良く出来た子じゃが、我の肝を冷えさせてくれるな。良いか?一度出来たかとて、再び成功するわけではない。母を悲しませたくなければ二度とやらぬことじゃ」

「…すみません」

母様の言葉が胸に響いてつきんと痛む。

「まぁ、今回はたまたま良くいったみたいじゃからのう。…そこでだ」

真剣な顔をする母様に私も居住まいを正す。

「お前も、先日数え年で十三になったじゃろう?」

「あ、そういえば…」

言われて思い出す。

白馬に学校に行かずに貴船に行きましょう、と言われた日。
実は、その日が私の誕生日だったのだ。

「全く。十三は成人の儀ということをすっかり忘れおって。その日に顔を見せぬとはとんだ親不孝者じゃのう」

言葉とは裏腹に、母様の顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

「神の間では、十三の成人の儀に神名をつけるしきたりになっているのは知っているか?」

「いいえ…」

神名?

聞いたことがない。

そう、首を振ると、母様が説明してくれる。

「神名とは、そのまま神の名前のことじゃよ。お前は水姫という。しかし、それは真名である。神にはそれぞれ守護するものや働きを意味した別名が与えられるのじゃ。そして、普段はそれを名乗る。我の“高淤加美神”も神名じゃ」

「え…!」

言われて、初めて知る。

「そして、水姫。お前も神名をこれから名乗るのじゃ」

「神名を…?」

「ああ、もちろん今通っている人間の学校では水姫のままでよい。ただ、神として名乗る時は神名を名乗れ。神名があって、初めてお前も神となるのだ」

私は頷く。

今までは神の娘。

だが、成人を迎えれば、私も一柱の神となるということなのだ。

私が神としてやっていけるかどうかはすごく不安だが、一人前として認められるのは普通に嬉しい。

「お前の、神名ももう決まっておる」

母が、近くに来るように私を手招きする。


「お前は“夜護淤加美神”(ヤゴオカミノカミ)。淤加美とは水の神を意味し、夜護とは、夜の秩序を見守る役目が与えられた、ということじゃ」


「夜護、淤加美…」

繰り返す私に母は頷く。

「夜とは物の化の跋扈する領域。すなわち、妖怪を見守り、陰と陽の秩序を守るのだ。どちらかがなくなってしまわぬように。それさえ守れば他に何をやっても構わん。そして」

母様は悪戯っぽくウインクして見せる。

「夜の神なのだから本来は中立である神が妖怪に関わったとてなんの非難も受けまいよ」

「母様…!」

母は私が妖怪を気にかけていることを知って、この役目を与えてくれたのだ。

「ありがとうございます!」

感激して抱きついた私の頭を優しく母様が撫でる。

「好きに生きよ。やりたいことをせよ。母はいつまでも見守っておるぞ」

「はい…!はい…!」


ぽたりと頬を流れた涙が湖に落ちて波紋をつくった。






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