ひとつ


空には煌々と三日月が輝く子の刻。

丁度日付が変わる真夜中、風もないのに奴良組の屋敷の枝垂れ桜がざわりと揺れた。

そこを見て、縁側で酌をしていたぬらりひょんはにやりと笑う。


「おぉ。来たかい」


その声に答えることなく、私は立っていた枝垂れ桜の枝からふわりと地面に降りる。

羽織っていた衣だけがぱさり、と音をたてた。

「待ちくたびれたぞ。先に一杯やらせてもろうたわ」

盃を掲げて見せたぬらりひょんに私はため息をつく。

「皆が寝静まってから伺おうと思っていたので」

その言葉に、ぬらりひょんが大きく笑う。

「なぁにを言っとるんじゃ。妖怪は夜活動するもんじゃぞい」

「…あ」

その通りだ。

リクオが人間な生活を送っているからてっきり…!

自分の間違いに恥ずかしくなって私は首を振る。


「失念していました。…はぁ。リクオは寝ていますか?」

「うん?まぁ、“人間”のリクオはのぅ…」


“夜”のリクオは寝てないんかい!

つくづく、リクオの体が心配になってくるわ。


心の中で呟くと、ぬらりひょんは笑う。

「なぁに。四国との争いのばかりで今宵は幾ら妖怪といえども本家の者たちは皆寝とるわい。リクオもしばらくは大人しくしとるだろうから疲れは取れるじゃろう」

「心を読まないでください」

ほんっとにこのじじいはどこまで狸なんだか…。

「で。約束通り来たんですから、聞かせてくれますね?私を知っている理由を」

言えば、ぬらりひょんは自分の隣の縁側をぽんぽん、と叩いてにかっと笑う。

「まぁまぁ、とにかく水姫さんも一杯どうじゃ?」

「…。失礼します」

とりあえず座らないと埒が明かないと判断して、私は大人しく従う。

「ほれ。“のんあるこーる”じゃ」

そう言って注がれた盃を手に取った私は、はたと困る。

今、私は衣面をしているのだが、ここで取っていいべきか、否か。


「そのお面、まだ必要かい?」


迷っている私に、ぬらりひょんは庭の桜の木を見ながら、なんてことのないように言う。

「少なくとも、わしの前で遠慮はいらん。酒を呑み交わす時に顔を隠すなんぞ、風情がないじゃろう?」

「…それも、そうですね」

ぬらりひょんの言葉に毒気が抜かれたように頷いて私は衣面を外す。

同時に、衣で隠れていた艶やかな黒髪が首の動きに合わせてはらりと揺れる。

そんな私の顔を見て、ぬらりひょんは顔をほころばす。


「ああ、やはり、よう似とるのう。貴船の龍神さんに」


「え?」


ぬらりひょんの言葉に、思わず耳を疑う。

私が誰か知っているだけでなく、ぬらりひょんは母様のことも知っている?

「な、んで、母様のことを…?」

思ったことをそのまま口に出して聞いてみたら、帰ってきたのは思いもよらない言葉だった。


「そりゃ、貴船の龍神さんは、わしの初恋の人じゃからのう」



「…はい?」


なんじゃそりゃ。

寝耳に水もいいところだ。


「ふふふ。400年前に魑魅魍魎の主を目指して京に入る前に、こっそり京へ通っていた時期があったんじゃよ。その頃に、時々都に降りてくる龍神さんに惚れてしもうてのう」

ぐいっと盃をあおってぬらりひょんは少し照れくさそうに笑う。

「わしもあの頃は若かった。いや、若すぎてのう。ただ見つめることしか出来んかった。神と妖怪、あの頃のわしには縮められる距離ではなかった…」

そこで、またぬらりひょんは空になった盃にとくとく、と酒を注ぐ。

「それも何百年前だったか。今はもう数えることも出来んよ。未練もない。ただ、楽しそうに笑うあの笑顔と、美しい黒髪だけは忘れることはできなんだ」

私はただ聞いていることしかできなかった。

「それすらも思い出すことが少なくなってきた時、お前さんを見つけたんじゃよ。リクオ達と一緒にいる姿をな。わしはすぐに分かった。あんたのことは、リクオからもよう聞いとったしのう。優しい娘さんじゃと。…そして、その面」

指で指し示され、私も衣面に目を向ける。


「今朝、玉章を庇ったお前さんがつけている面を見て、わしは確信したよ。リクオの言っていた水姫さんが、貴船の龍神の娘じゃとな」

「そう、ですか」

あまりのことにそれしか言えない。

「全く。神様も粋なことをなさる。…リクオ達には自分が神様だと明かさんのかい?」

その問いに少し考えてから、私は返す。

「最初は、神の私を妖怪の彼らが受け入れてくれるか怖くて隠していました。…でも、今は怖くはありません。それでもまだ面をつけてるのは、意地なんですよ」

その言葉にぬらりひょんは首を傾げる。

その様子に私はくすり、と笑いをもらす。

「かくれんぼ、なんです。リクオが私を見つけることが出来るか。面姿の私を、水姫だと見破ったときは、堂々と胸を張って彼らに私の姿を見せます。神としての、私の姿を」

そんな私と同じようにぬらりひょんも笑う。

「そうかい。そりゃリクオも大変じゃのう」

「ばらしちゃ、嫌ですよ。これは私とリクオの真剣勝負なんですから」

「ほっほ。そんな無粋な真似はせんよ。…これからもリクオのことは見守ってくれるんかい?」

今度の問いには私はすかさず頷く。

「ええ。そのために、私はここに来たんですから」

その言葉に、ぬらりひょんは目を見開いたが、そうか、と呟くと酒をぐいっとあおった。

私もぬらりひょんにならって盃の中身を飲み干す。

熱い液体が喉を通って、私は舌打ちをした。

やっぱり酒じゃねぇか。この狸じじいめ。





もういいかい。

まぁだだよ。

もういいかい。

まぁだだよ。


もう、いいかい?





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