とおあまりここのつ
「落ち着いた?」
両手に茶器を乗っけたお盆を持って、犬神が座っている縁側に声をかける。
「…」
犬神は膝を抱えて体育座りをしたまま顔をうずめて返事をしない。
私は、静かに犬神の隣に腰をかけて、お茶をいれる。
こぽこぽ、とお湯の音が静かな空間に響いた。
もう熱いお茶の季節じゃないけれど、心を温めるにはこれが一番良い。
「ねぇ、犬神」
返事をしない犬神に私は語りかける。
「庭にさ、ここから見える池があるでしょう。そこに咲いてる花菖蒲、見える?」
ちらりと視線をあげた犬神に見えるように、池の方を指で示す。
「私、あの花が大好きでね。いつだったか、菖蒲の季節でない秋頃に、どうしてもあの花が見たくなって、母様に無理言って咲かせてもらったこともあったの」
その時のことを思い出してくすりと笑う。
「その時は、季節狂いの菖蒲が山の湖いっぱいに咲いて、たくさんの人が訪れたっけ」
懐かしくて目を細めたが、犬神がまた顔を伏せてしまったので話を続ける。
「この菖蒲にさ、あなたはよく似てるよ。決して華やかではないけれど、強く、たおやかに生きるこの花に。…菖蒲の花言葉、知ってる?」
「…」
小さく首が横に振られる。
「優しい心。ね、犬神によく似合う」
「…ぃ」
私の言葉に、犬神が小さく返す。
「オレは、醜い、妖怪ぜよ。人を呪い、憎み、力を得る…」
その言葉に、私は息をついて再び池に目をやる。
「人を呪い、憎み、人を愛す。…あなたもリクオのように人に愛されたかったのでしょう。あなたが人を愛してたから。犬神は、優しい。妖怪としてではなく、“あなた”を知って私はそう感じた」
風に、菖蒲がゆらりと揺れる。
「…犬神。あなた自身は妖怪ではない、犬神憑き。あなたが望むならば、母様にお願いして犬神をおとすこともできる。そうすれば、妖怪としてではない人生を送れる」
静かに、お茶に口をつけて私は立ちあがる。
「考えておいてね。決めるのは、あなただから。これからどうするのかも」
来ている着物が崩れないように、すっと歩いて私は自分の部屋に入る。
一段高い床の間に飾られている刀を手にとって私はかちりと鯉口を切る。
「白馬、黒馬、少し出てくるね」
言えば、後ろで二人が頭を下げるのが空気を伝って分かった。
「いいかげんにしろよ、バカ牛頭〜〜!」
四国勢の拠点としてるビルの一室。
牛頭丸が、馬頭丸の言葉を無視して開けた扉の中を見てばっと慌てて後ずさる。
「?」
しーっと首を傾げる馬頭丸に言ってからもう一度扉を開けた。
「あの刀だ」
「えっ…!」
牛頭丸の言葉に馬頭丸は驚いて中を見る。
「…、これが…一体何だって言うんだ…?」
真っ暗な部屋の中心に置いてある一振りの刀に近づく二人。
「ん?何か書いてあるぞ。“魔王”…“招喚”…?」
その瞬間
「伏せて」
―ガキィインッ…
「なっ…!?」
「牛頭丸っ!」
突然の衝撃に牛頭丸は息を詰まらせる。
「なっ、にしやがんだ…って…!…てめえ…!?」
自分の目の前に立ち、刀で大きな妖怪の攻撃を止めている人影。
頭から羽織った流水紋の衣に白い面。
忘れもしない、あの時…捩眼山の事件からずっと自分たちが探していた、“あいつ”。
さらに、部屋にぞろぞろと入って来るたくさんの妖怪達。
その先頭に立つ男―玉章が笑う。
「ふん…。分かってたよ。そろそろ…そっちから仕掛けてくる頃だろうってね…。でも、君は意外だったな。ボクの犬の飼い心地はどうだい?」
玉章の言葉に答えることなく、静かな声が流れる。
「玉章。私は、覚悟を決めた。もう、無駄に血は流させない」
かちり、と金属音が部屋に響いた。
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