やっつ
『奴を信用してはならぬぞ』
大闇比古の背中を追いながら、大物忌神様の言葉を頭の中で反芻させる。
…確かに、彼は私を利用するために近づいた。
しかし、それは私にとっても不都合ではない。
それに、私自身権力とは何ら関係がないはずだ。
ぐるぐると頭を悩ませて私はため息をひとつこぼす。
これ以上考えたってわからないことはわからない。
今考えなきゃいけない問題は、私が今しなくちゃならないことだ。
そう。なぜか大物忌神様は私に黄泉へ行けと言われた。
その真意が分からない。
「…か」
まぁ、この穢れは黄泉のもの。
黄泉へ行けばどうにかなるのかもしれない。
「夜護殿、聞いておられるか!」
大闇比古の大きな声にびくっと肩を震わせて顔を挙げると、不審げに顔を覗き込む大闇比古と目線がかち合う。
「あ、ごめんなさい、ちょっと考え事してて…」
慌てて謝ると大闇比古は少し呆れたように片眉をあげた。
「…まぁ、かような事態だ。考え込むのも無理ないが、周りが見えなくなるのは頂けぬな。神たるもの、視野は常に広く持たねば隙を突かれるぞ」
「隙…?あやかしに?」
首を傾げて尋ねれば大闇比古はくっと息をつめてかすかに笑う。
「いろいろなものに、だ」
意味深に言葉を濁して大闇比古は東の方角につい、と指を向ける。
「さて。あちらにそなた付きの白兎がおる。まずそなたは黄泉へ行かねばならぬゆえ暇願いの手続きをしてくるといい」
大闇比古の言葉に、私は頷きかけてはたと疑問に思う。
「ねぇ、大闇比古、黄泉に行って穢れをどうにかするにはどれくらいかかるのかしら」
「順調にいけばひと月というところだろうな」
大闇比古の答えに私は思わず目を見開く。
「ひと月!?」
「?どうかしたのか」
「どうしたもなにも…!」
言いかけて、私は相手が神様だったことに改めて思い至る。
そう、神にとってのひと月など一日にも満たぬ一瞬の感覚なのだ。
しかし、私はそういうわけにもいかない。
なぜなら…
「ひと月も学校休めないもの…!私7日しか欠席届出してない…!」
そうでなくとも夏以降、穢れの影響で出席日数がやばいのだ。
この7日の欠席だって届け出たとき担任に渋い顔で言われたのだ。
『高尾…。お前、成績はいいが、このままだと出席日数不足で単位落とすぞ…』
単位落とせばどうなるか…。それは留年に決まっていて、そうなると春奈やリクオ達と離れ離れになってしまう…!
それだけは阻止しなくてはならないのだ。
そして、そのためには1か月も欠席することがあってはいけない。
そう必死の思いで訴えた言葉に大闇比古は一瞬目を丸くして、うつむいてしまった。
そして徐々に震える肩。
「?」
どうしたのかと見守っていると、突然
「ぷっ。ふふ、ははは、あっははは!」
大きな声で笑い始めた。あの大闇比古が。
まだ会って僅かしかたっていないが、とても落ち着きのある佇まいの彼がこんな声を出して笑うことは珍しいことのように思えて眉をひそめる。
「私、そんな変なこと言ったかしら…?」
本気で分からず尋ねれば、彼は口元を手の甲で押さえて笑いを隠しながら首を横に振る。
「いや、すまない…!ずいぶんと…ふっ…人間に馴染んだ神もいるもんだと思ってな」
言いながらまた吹き出す大闇比古の様子に怒る気も失せて私は肩を落とす。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない…。私にとっては、いえ、学生にとっては死活問題なのよ」
「ああ、大変なのだな…ふふ」
ああ、もうこれは何を言っても無駄なのだろう。
しばらく彼の笑いのツボが収まるまで待つほかなさそうだ。
「もう。いいわ。日数のことはあとで考える。とりあえず私、白兎のところ行ってくるからね」
彼を放っといて足を進めようとした私の腕をぱしりと大闇比古が掴む。
「なに?」
引き留められると思っていなくて思わず驚いて聞けば、大闇比古は柔らかく笑みながら口を開いた。
「いや。私は先程までのそなたの話し方よりも今の方が良い。これからもそのように話してくれ」
言われて、初めて自分の言葉から敬語が抜けているのに気付いて苦笑する。
「ふふ、やっぱりあなたって変な神様ね」
「それはお互い様だろう。…引き留めて悪かった。行っておいで」
言われて私は再び歩き出す。
自然とその足取りはいくらか軽いものになっていた。
やっぱり、私には大闇比古が信用できない神様だとは思えませんよ。
そう、心の中で大物忌神様に向かってつぶやいたのだった。
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