ななつ

その瞳に意識を奪い取られ、大物忌神様の言葉に反応が少し遅れた。

「え、と、黄泉へ、ですか…?」

恐る恐る聞き返したときには、彼女は既に自分の着物の袖の方へ意識をうつした後だった。

「黄泉の穢れと神気とは本来反発し合うもの。しかし、そなたの中では神器“黄泉路”や…ふむ、他にも要因がありそうだが、それらのおかげで上手く陰陽の均衡がとれていたようじゃの」

本来、黄泉のものに手を触れたにしては陰の気が少なすぎる、とつぶやかれた言葉に私はうなづく。

「母が、その身に多くの穢れを移してくれました」

言えば、納得したように大物忌神様は天井を仰いだ。

「…そうか。母の愛か」

ぽつりと呟いてから大物忌神様は懐から何かを取り出して私へ放った。

「これは…」

すっぽりと手の中に収まったのは小さな鏡だった。
縁に装飾の類はほとんどなく、裏返してみれば大きく『封』の文字が描かれていた。

「黄泉へ行く前に、自分の真名をそこへ吹き込んでおくがいい。それがお前の帰途の導きとなるだろう」

「あ、あの…」

意味が分からず、質問しようとした言葉を、大物忌神様は手を降って遮った。

「もう行け。お前が求めるものもそこにある。あとはお前次第だ」

「ま…」

待ってください。私はまだ何も理解していない。

言いかけた私の手を大闇毘古が掴んで首を降る。

「貴重なお時間をいただき、誠に感謝いたします。あとはこの大闇毘古にお任せください。では、失礼いたします」

釈然としないままで、深く頭を下げた大闇毘古にならい、私も頭を下げた。

「ありがとう、ございました」

そう言って大闇毘古の後に続いて出て行こうとしたとき、小さな声が聞こえた。

「お前の母は…己の命をかけてお前を守ったのか…」

その言葉に私は後ろを振り返った。

「はい。…私の、誇りです」

自然と微笑んで言ったその言葉に、大物忌神様は少し目を細めた。

「そうか…。ならば、その母に敬意を払い、一つ忠告しておこう」

大物忌神様の突然の言葉に、私は首を傾げる。

「…奴を信用してはならぬぞ」

「え?」

鋭い視線が、既に部屋から出て行っていた大闇毘古のいる方を射抜いていた。

「神の世は、お前が思うより、陰謀や策略に塗れておるのだ。利用されたくなければ、隙を見せるな」

それはどういう意味なのか。

聞きたかったが、大物忌神様はそれ以上話すつもりはないらしく、部屋の中に漂う白い靄が彼女の姿を隠してしまった。

「夜護殿?」

言葉をなくし、立ち尽くす私の後ろから不思議そうな大闇毘古の声が聞こえて、私はぎこちなく振り返った。

「どうなされた?」

問う彼に、どう答えていいのか分からず私は首を降った。

「いえ、なんでも…」

「そうか。なれば、行くぞ。表に白兎が待っておる」

促す言葉に曖昧に頷いて、私はもう一度大物忌神様の部屋をちらりと見やった。
結局、彼女の話の半分もろくに理解ができなかった。
これは私の理解力が足りないせいなのか…
いや、明らかに説明不足だ。
神様ってみんなこうなのかしら。

私は、小さくため息をついて大闇毘古の背中を追いかけたのだった。




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