ふたつ


「御出立は日暮れになりますので、それまでにご準備を」

という龍蛇神様に言われたから、とりあえず私は学校に一週間休むことを伝え、リクオくんの家へ向かった。

ここしばらく私の身体の心配をいろいろしてくれていたみたいだから、一週間とはいえ挨拶してから行こうと思ったのだが。

「ごめんなさいね。今日は朝からどっか行っちゃってるみたいで…」

インターホンを押して出てきたのは、若菜さんだった。

「そうですか。…それでは、よろしく言っておいてください」

仕方なく若菜さんに伝言を頼むことにした。
今日の日暮れには出発するのだから、仕方ないか。

少し後ろ髪をひかれる思いで奴良家をあとにしようとしたとき。

「水姫…」

「春奈?」

突然、春奈の声が聞こえて驚いて振り向けば買い物帰りか、袋を手に下げて私を見つめる春奈がいた。

「どうした…」

どうしたの?と聞こうとして、私ははっとする。

いやいや、忘れていたわけじゃない。忘れていたわけじゃないんだけど…!春奈ってリクオくんのこと好きだったんだよね!?

もしかして、今リクオくん家訪ねていたところ見られていて勘違いを…!

いや、全くの勘違いと言えないところが心苦しいのだけど…どうしよう。

「あ、あのね、春奈…」

とりあえず弁解しようと口を開くが、春奈は相変わらず厳しい顔のまま私を見つめている。

ああ、女の友情って恋に負けるのか…!

冷や汗をだらだらと流しながら、どれくらい春奈と見つめ合っていただろう。
そして、ふと、気づく。

(…あれ?春奈の顔…)

なんだろう。
怒っている、とか妬んでる、とかじゃなくて…。

すごく、心配そうな…顔をしてる?

眉根をぎゅっと寄せて、袋を握る手に力が入っている様は怒っているようにも見えなくはないが…何か違う。

「春奈」

落ち着いて、もう一度名前を呼べば、春奈は目線をあげて私を見る。

「どうしたの?」

春奈にこんな表情をさせている原因は私に違いないと思う。
だけど、その理由はもっと深いところにありそうで。


「…水姫…。これから、どこへ行くの?」

「え?」


そうして、ようやく春奈の口から出てきた言葉は意外なものだった。

「これから?いや、家へ戻るけど…」

「明日は?」

間髪いれずに尋ねられて、さらに戸惑う。

春奈に、明日休むことはまだ伝えてないはずだし、出雲へ行くことになったのは今朝の話だから春奈が知っているはずもない。

「…」

だからと言って、出雲へ行くなんてそのまま伝えるわけにも行かずに黙ると、春奈が駆け寄ってきた。

「水姫!行っちゃだめ!」

「!?」

肩を掴むその細い手が小刻みに震えているのを見て、私は驚く。

「本当にどうしたの、春奈。大丈夫だよ。明日から確かに少し休むけど、危険なことをしに行くわけでも…」

「帰ってこれなくなる!」

「え?」

私の言葉を遮って大きな声でそう言った春奈は、自分でも驚いたのか慌てて首を振った。

「…ごめん。なんでもないの。でも、でもね」

涙のたまった目で私を見て、小さく一言。

「お願い。これからどこに行くかは知らないけど…“下”には行かないで」

お願い。

そう言い残して、走って行ってしまった彼女を追いかけることが出来なかった。

私が春奈に神であることを隠しているように、彼女もまた、何かを隠している。

でも、自分のことを打ち明けていないのに彼女の秘密だけを暴くような行為を、私に出来るはずもなかった。





「ただいま」

いくらか沈んだ声で鳥居をくぐった私を迎えたのはぐったりとした獏だった。

「帰ったか、水姫…」

「ちょ、どうしたの?」

慌てて聞けば、獏は後ろの家を指さす。

「頼む…。“あいつ”をどうにかしてくれ…」

そういって、獏はその場にばたんと倒れてしまった。

「ちょ、獏?」

慌てて抱えて家の扉を開ければ、奥の座敷がやけににぎやかだ。

怪訝に思いながらそこを覗くと、白尾さんと…ふくよかな男性が酒を飲みながらはしゃぎ倒していた。

周りでは、酒を飲まされたのかふらふらになりながら笑う木霊達。

そこらへんは宴会グッズのようなもので溢れている。

抱えている獏からもお酒の匂いが漂ってくるし、よく見れば最近少し伸びてきていた髪を二つ結びにされてリボンをつけられている。

そして私はだいたいのことを察して溜息をつく。

「留守神様。お戯れもほどほどにお願いしますよ」

「おお。主様のご帰還か!この神使の方が良いと言ってくれたのでお邪魔させてもらいましたぞ」

にこにこと人の良い笑顔を浮かべるこの神様。
かの有名な七福神の一柱である恵比須神…の分身の一人だ。

神無月になると、神様は自分の社を留守にして出雲に出向かなければならないので、その間の留守を守ってくれるのがこの留守神様だ。

本体は恵比須様なのだけど、たくさんの神社に赴くために分身するらしい。

この神様、福の神様だけあってとにかく陽気だ。

「全く。いくら留守神様だからって白尾さんも私がいないときに勝手に人の社に他の神様をあげないでよ」

文句を言えば、すでに酔ってるのか白尾さんはにょほほ、と笑う。

「気にするな、水姫!ほれ、おぬしも呑まんか!」

「呑めるか。もう少ししたら出発するんだからね。白尾さんも用意するの。留守神様も、あまり散らかさないでくださいね」

「なんじゃ、ここの神様は若いくせに可愛げがないのう」

「分かるか、留守神。全くこいつの頭の固さと来たら…。少しは母を見習えと言うに」

「あら。では、母様風にお二方には頭を冷やしてもらおうかしら」

私の言葉に、白尾さんと留守神様がぶつくさと文句を言うから、私はにっこり笑って二人の頭の上から水を被せてやっといたのだった。




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