とあまりよっつ



「翠蓮は、不思議な女だった」

遠くを見つめながら、凌雲さんは言う。

「確かに、美しかったが…父を虜にするほどかといったらそうでもない。かといって女らしい繊細さもなく、何をするのも大雑把で…。しかし、一緒にいると暖かくなる。そんな人間だった」

私は黙って、凌雲さんの話に耳を傾けていた。

「彼女は、儂のことを家族だといった。そして、幼雲のことを腹違いの弟なのだと。儂と幼雲と父と、皆愛すべき家族なのだと。儂は今まで、そんなことを考えたことはなかった。兄弟とは蹴落とすもの。愛しいなどと思ったことは一度もなかった。家族だと思ったことも」

その声からは寂しさや悲しみなどは一切聞き取ることはできなかった。
だから、そう思っていたことは凌雲さんの本心なのだろうし、今も変わってはいないのだろう。

「そう言った儂に、彼女はこう言った。儂には欠けてるものがあるのだと。儂には力はあるが、心に欠けているものがある。幼雲には、力がないが儂にないものがあると。だから、足りないところをお互いが補うようにして支え合って生きていけ。それが、家族なのだから、と」

そう言って、微かに凌雲さんは口の端を上げて笑った。

「いつの間にか、翠蓮に幼雲の世話も無理やり任されるようになっていてな。大変だったが、あの日々は楽しかった。初めて、情というものを知った。儂が弟と呼ぶのは後にも先にも幼雲だけなのだろう」

その言葉に、私は小さな声で疑問を口にした。

「でも、凌雲さんにもお母さんはいたんでしょ?お母さんを愛しいとは感じなかったの?」

「母、か。あれはただ己の子供のことを“蠱業の儀式”のための駒としか考えてはいなかったんだろう。儂は生まれてから数回しか母に会ったことがない。ただ、強くなれと突き放されていたし、儂もそれが母というものだと思っていた」

「そんな…」

思わず声が沈んだ私に、凌雲が笑う。

「いや、今では流石に自分の置かれていた状況が尋常ではないと気が付いているさ。ただ、そうやって成長していった儂は翠蓮が言うように、確かに何かが欠けていたのだろうな」

そう自嘲した凌雲さんの話をそれ以上遮る気にもなれず、私は大人しく話の続きを聞いた。

「しかし、どんなに情を持とうと“蠱業の儀式”はやってきた。…幼雲がまだたったの十五のときだ。儀式を迎えるのに、あいつは幼すぎた。そんなあいつを放っておくことが出来たはずもなく、儂はあいつを守りながら戦った。
勿論、白澤となれるのは頂点に立ったものだけ。だが、もとより幼い幼雲に白澤になりたいなどという意思はなく、儂はただ二人とも生きられる道を選んだ。たとえ、幼雲が獏となろうとも」


だんだんと明らかになっていく二人の関係。
それは、やはり私が想像したような思いの通じ合っている兄弟の姿だった。

そして、獏が未だに獏と名乗っている理由も分かった気がした。

兄が守ってくれた命だから。
その結果の獏という姿を、彼は誇りに思っているんじゃないだろうか。

今でも、獏は凌雲さんを尊敬している。
凌雲さんは獏を大切に思っている。

なら、今のねじれた関係は一体…


その疑問に答えるように凌雲さんが呟く。


「翠蓮が、生きていれば…今もあいつと共に助け合いながら魑魅魍魎を率いていたのかもしれないな」

そうだ…。

「翠蓮さんは、死んだ…」

それに凌雲さんが頷く。

「それが、あいつと儂の道を分けた決定的な出来事だった。…儀式が終わり、儂が白澤と決まった頃、一度父を負かしている北からの軍勢が凄まじい勢いで迫っていた。派閥の内部でも混乱があり、とてもすぐには白澤を継げるような状態ではなかった。しかも、白澤となるには“九星八音の数珠”というものが必要になるのだが、それがまた厄介なものでな」

「もしかして…千の夢を集めないと…力を発揮しない…?」

獏の持っていたあの数珠がその“九星八音の数珠”だとしたら。

そう聞けば、凌雲さんは頷いた。

「そう。そして、その為には多大な時間が必要だった。しかし、儀式が終わった後の組を放っていくわけにも行かず、かといって父の老いも進んでいたからなるべく早く白澤にならなければならない。そんなとき、幼雲がその数珠を託してくれと言ってきた。助け合い、支え合う家族なのだからと。そして、幼雲は夢を集めに行き、儂は組を立て直した。
…悲劇が起こったのは、それから数百年後のことだった。前に話した通り、饕餮が暴れ狂いだしたのだ」

確か、獏は凌雲さんが翠蓮さんを生贄にしたと言っていたが…

「凌雲さんは…翠蓮さんを差し出してはいなかったのでしょう?」

確信を持って聞くと、凌雲さんは苦笑した。

「またこの御嬢さんは鋭いところを突いてくれる。…実のところ、儂にも分からん。だが、儂に力がなかったせいで翠蓮が死んだことは事実だ。だとしたらやっぱり儂が殺したようなもんだろう」

「…何が、あったんですか?」

あやふやな物言いに首を傾げると、凌雲さんは一つ溜息をついた。

「暴れ出した饕餮を止めることは老いた父にも、若い儂にもできなかった。そんな我らに翠蓮が案を出してきた。道士の秘術で饕餮を封印することが出来るかもしれないと。翠蓮を危険にさらすのは避けたかったが、代替案もなく儂はそれを実行に移すことを決めた。…その秘術が命と引き換えに発動するものだということを儂は知らずに。

事実を知ったのは全て終わった後。饕餮の足止めをするために闘っていた父も翠蓮とともに最期を迎えた。
そして、饕餮は眠りにつき、儂は幼雲に訃報を送った。
戻ってきた幼雲に、儂は全てを伝えることは出来なかった。儂にとっても翠蓮と父の死はまだ受け止められずにいたのだ。
ただ、己のせいなのだと悔いることしかできなかった儂に、幼雲は愛想を尽かしたのだろう。儂に組を任せることは出来ぬと。自分が白澤になると言って出て行った。これが400年前のこと」




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