とあまりふたつ
「凌、雲…さん?」
その後ろ姿を見送ってから、私は獏を抱き起す。
「そいつは大丈夫なのかい?」
リクオの声に、私は小さくうなずく。
「うん…。気を、失ってるだけ…」
歯切れの悪い私の言葉に、リクオは小さく肩をすくめてから獏を私から奪って俵担ぎにする。
「こいつは客用の寝室に寝かせといてやる」
「?」
突然の行動にびっくりして、リクオを見上げた私に彼は笑って見せた。
「もっと聞きたいこと、あるんだろう?こいつの面倒は俺に任せて行ってきな」
「…!ありがとう!」
リクオの言葉に、私は今度は勢いよく頷く。
獏の担ぎ方に関しては、少し微妙なところがあったもののリクオになら安心して任せられる。
私は、凌雲さんのあとを追って、慌てて部屋から飛び出したのだった。
「凌雲さん!凌雲さん、どこですか!?」
屋敷の中にはいないかったから、中庭に出て声を張り上げてみるが答えてくれる人はいない。
「もう、行っちゃったのかな…」
獏を連れ帰らない、という結論を出したみたいだし、大陸の方が大変なことになっているのならもう帰ってしまったのかもしれない。
追いつけるかどうか分からないけど、追いかけて…
「追いかけて、どうするつもりですか?」
「!…、窮奇、さん?」
突然の声に驚いて振り向くと、いつの間にか奴良家の大桜に腰掛けて私を見降ろしている窮奇さんがいた。
「あの二人の間にあるものは他人が口を挟めるような事情ではありません。たとえ、幼雲様の主だとしても」
窮奇さんの声はひどく淡々としていた。
感情を窺わせない黒い瞳に、これ以上口を挟むなと、言われている気がした。
それでも。
「私に、何ができるかなんて分からない…けど…」
それでも、今追いかけなかったら後悔する。
知りたい。
二人の間に何があったのか。
「私に何ができるかなんてわからないけど…お兄さんを憎む獏の姿と、それを見る凌雲さんの姿が…ひどく悲しかったから…。でも、私は何も知らない。だから、知ってから何をするか決めたいの」
そう、強く木の上を見上げれば、窮奇さんの眉がわずかに動いた。
「…なるほど。倭の神々がおせっかいだと言われるわけだ」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉が聞き取れずに首を傾げると、窮奇さんは軽やかに地面に降り立って肩をすくめる。
「なんでもありません。では、行きますか」
「は?え、どこに…!」
突然ぐいっと手を引かれたと思ったら、次の瞬間には窮奇さんに抱かれていて焦る私を、変なものでも見るように窮奇さんは眉をひそめる。
「可笑しなことを言うお方だ。凌雲老師を追いかけるのでしょう?あの人を一旦見失うと苦労しますからね。急ぎます」
「は、はあ…」
自分でも空を速く翔けることは出来ると言おうと思ったが、それ以上私の言葉を聞くつもりのなさそうな無表情な顔に萎縮して、結局私は大人しく連れて行かれるままにされたのだった。
「凌雲老師と幼雲様は昔は大変仲が良かったのです」
黙ったまま、夜空を飛び続けていた窮奇さんが突然口を開いた。
その言葉に、私は黙って耳を傾ける。
「初代白澤様の御子は99人もいましたが、将来殺し合うことの決まっている兄弟です。特に実力の抜きん出ていた凌雲老師は幼い頃より他の兄弟から畏れられていました。また、その力を畏れて、他の兄弟たちは結託して凌雲老師のお命を狙っていました」
「!?そんな…」
いくら、殺し合うことが決まっていたからと言って…。
それまでを、普通の兄弟として過ごすことすらも出来なかったのか。
「平和なこの国では分からないかもしれませんが。闘いに負けたならば選べるのは死か、“獏”という出来損ないの烙印のみ。皆、必死だったのです。それ故、あの方は常に孤独でした」
「獏、ってそんなに不名誉なことなの?そんな、死と同等に扱うなんて…」
獏があまりにも普通に獏と名乗っているから、窮奇さんの話がいまいちピンと来なくて思わず口を挟むと、すっと窮奇さんが目を細めて私を見る。
「聞いたことはありませんか?獏という生き物は、神がこの世の動物を創造した際に、余った端を用いて創られたのです。この世で一番の半端者、ということです」
半端者…。そう言えば、初めて獏に獣姿を見せて欲しいと言ったときに彼は不自然なほど自分の姿を見せるのを嫌がった。
「白澤になれなかったものは、完全な人型になることは出来ず、かといって獣姿も未熟なもの。名誉も誇りも何もない。力が生き様の我らの郷では、生き恥を晒すよりも死んだ方がましともいえるでしょう」
「…」
何も、言えなかった。
ならどうして獏は、“獏”を名乗って夢を追っているのか。
白澤になるっていうのは、一体どういうことなのだろうか。
考え込んでしまった私をちらりと見降ろしてから、再び窮奇さんが口を開く。
「幼雲様がお生まれになったのは、凌雲老師が生きることに疲れた頃だったと聞いています。これ以上争いしか生まぬ兄弟などいらないと。しかし…どういった経緯かは知りませんがいつからか凌雲老師は幼雲様のもとに通い、幼い幼雲様の面倒を見るようになっていました」
「凌雲さんが、獏の面倒を?」
「…そうですね。白澤の血を継ぐ者は生き残りをかけた打算でしか動かないと思っていた我らも驚きました。何があったのかは分かりません。ただ、“蠱業の儀式”の後、凌雲老師は、本来父から授かるはずだった“九星八音の数珠”を幼雲様に託したのです」
「?まじ、わざ…の儀式?数珠?」
「蠱業(まじわざ)とは、呪詛や魔物のこと。白澤を決める儀式のことをこう呼びます。そして、そこで勝ち残った者が“九星八音の数珠”を初代白澤様より譲られ大陸の長の証とするのです」
「数珠…それって、いつも獏が肌身離さず持っていた夢を詰めた紫の数珠のこと?」
確か、さっき兄弟げんかのときに凌雲さんが奪った…
「そうです。あれがなければ、凌雲老師は真の白澤とはなれません。父上が亡くなられて、号こそ受け継いだもののあの方は未だ白澤としては未完成なのです」
「?どういう、こと…?獏は、あれに夢を千個あつめたときに白澤になれると…」
ますます訳が分からなくなった私に、窮奇さんはふっと薄く笑ってから静かに降り立つ。
「あとは、ご自身でお聞きください。私はここまでです」
「え…」
いつのまに、どれだけ空を飛んでいたのだろう。
降ろされたそこは全く見覚えのない丘だった。
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