とあまりひとつ


「四百年前…?それって…」

ちらりと後ろのリクオを見る。

「四百年前ってえのは世界的に不安定で妖が跋扈する時代だったんじゃよ」

リクオではない声に、驚けば、いつの間にか襖に寄りかかって煙管を吹かしているぬらりひょんがいた。

「そう。当時、大陸では明という国が治めていたが、400年前に滅亡を迎えたのだ。それにともなって北方や南方からの妖の勢力を迎え、我が百鬼夜行の幹部もそれぞれ出はらっていた。そんなときだった。饕餮が暴れ出したのは」

凌雲さんは特に驚きもせずに、ちらりとぬらりひょんを見る。

「ちょっと待って。それって何かおかしくない?だって、獏はもう千年以上生きてるのよね?お母さんが人間だったらもうとっくのとうに死んでるはずじゃ…」

人間の寿命なんて400年前だったら50くらいが精々のはず。
それだったら、饕餮が怒り出す理由がない。
嫉妬する本人が死んでいるのだから。

首を傾げれば、凌雲さんはからからと笑う。

「言っただろう。こやつの母親は道士だったのだ。道士…仙人とも呼ばれるか。もともと仙骨を持った者が修行を重ねると神に近い存在となり、年をとらなくなる。千年前に二代目白澤を決める決闘があり、儂が二代目を継いだ後、父は引退し、幼雲の母と暮らした。誰も寄せ付けずな」

それが、饕餮の気に障ったのだろう、と呟いた凌雲さんの顔は少し寂しげだった。

「そして、怒り狂った饕餮を抑えるには儂ではまだ力が足りず、我が父と、道士の幼雲の母の二人で饕餮を封印した。自分たちの命と引き換えにな」

「…!」

両親を、亡くしていたのか。

家族構成すら初めて知った獏のこと。

改めて何も知らなかったのだと、なんだか胸が締め付けられる気がした。そのとき

「…けるな」

俯いていた獏が呟く。

「違うだろ。お前が、母を饕餮に差し出したんだろうが…!」

ぎっと凌雲さんを睨みつける獏のその顔は、やはり私が見たことのないもので。

「嫉妬に狂う饕餮に、なんの力もない母を生贄にして、自分の百鬼夜行を守ったんだろう!」

「え…」

思わず凌雲さんと獏を見比べる。

獏とは対照的に凌雲さんはひどく落ち着いた様子で溜息をもらした。

「…だったら、どうしたというのだ」

「!」

「お前の母が原因だったのだ。父も老い、儂も饕餮を抑えるほどの力はなかった。どうやってあの惨劇を止められたと言うのだ」

静かな声に、獏が歯ぎしりする。

「誰かを犠牲にしなきゃ守れない主なぞ、俺は認めない!」

空気が震えるほどに大きく吠えて、獏は凌雲さんの襟を締め上げる。

「ちょ、ちょっと獏!」

慌てて駆け寄ろうとした私を、リクオの手が止める。

「リクオ…!」

「これは、俺達が止める話じゃねえ。やらせとけ」

なんで、と訴えかけると、リクオは静かに答えた。

「そんな…」

その間も獏と凌雲さんの睨みあいは続く。


「何を吼えるか。愚弟が。その間、お前は何をしていた。母を守るために儂らと共に戦ったのか?何か策を弄したのか?」

「…っ!」

「違うだろう?夢を追いかけて、その地にすらいなかった者が何を吐く」

凌雲さんの襟を締め上げていた獏の腕を今度は凌雲さんが掴んで捻りあげる。

「…、俺がいれば…!あんなことは、させなかった…!」

「たられば、の話をしている時点でお前は愚か者なのだ。未だそんなに過去に縛られ続けていたとはな。どうやら、儂の見込み違いだったようだ」

そう言って、凌雲さんは獏を突き飛ばした。

その手にはいつの間にか獏が身に着けて離すことのなかった淡く紫に光る数珠が握られていた。

「!返せ!」

怒りのためか、獣のときのように獏の髪が伸びてうねっていた。

そのまま、針を投げて凌雲さんに攻撃するが、どれも目に見えぬものに弾かれて、次の瞬間。

―ドンッ

一瞬で移動した凌雲さんの手刀を首に入れられて獏は倒れてしまった。

「獏!」

慌てて、リクオの制止を振り切って駆け寄って、私は凌雲さんを睨む。

「何をするの!母は違えど兄弟でしょう!?」

そう言った私に、凌雲さんは何故か苦笑した。


「そうだな…。大切な、弟だ。…愚弟を…幼雲を、頼むよ。小さな彼の主よ」


そう呟きを残して、彼はふらりと部屋を出ていってしまったのだった。

ひどく悲しげな顔を残して。




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