いつつ
「今日こそは我が姫様を起こすのじゃ!」
「いや、我こそが!」
「おのれ!お前はいつも姫様とお話してるから、起こすくらいは我に任せろ!」
「何だと!」
「…。悪いけど、もう起きてるよ」
我が家は毎朝賑やかだ。
主に木霊達が。
「あぁ!姫様!」
「また一人でお起きになられてしまった…」
こうやっていつも木霊達は私の部屋の外で誰が私を起こすのかと論争するのだが、その声で私が起きてしまうので木霊達はいまだに私を起こすという、白馬から命じられた役目をこなせない、と嘆いている。
いや、役目は十分に果たしてるんだけどね。私から見れば。
でも、一様にがっくりとうなだれる木霊達が可愛らしくて面白くて、私はわざとそのことについて言及しない。
だから、毎朝同じ光景が我が家では繰り広げられるのだった。
「おのれ!お前のせいで役目が果たせぬ…!」
「何を!お前がさっさと行かないから…」
「我が行くと申したのに!」
「水姫様。お目ざめになられたばかりで申し訳ないのですが、少々よろしいですか?」
うなだれていたと思ってたら、次には喧嘩を始めた木霊達を笑って見ていた私に白馬が珍しく、少し戸惑ったように声をかける。
「ん?どうしたの、白馬」
「それが…」
首を傾げて尋ねてみても、白馬は困ったように眉をひそめるのだった。
「川熊様…がうちに…?」
「はい…。今、庭の池の方に…。熊野大神様から水姫様に遣わされたと仰られていまして。しかし、なにぶん先触れがないのであくまで私的に…ということらしいのですが。学校のお時間ではありますが、熊野大神様からの使いとなりますと…」
困ったように眉を下げる白馬を安心させるように私は柔らかく笑って見せる。
「大丈夫。分かってるよ。学生である以前に私はタカオカミノカミの娘。熊野大神様からの使いを優先しましょう」
そう言うと、やっと白馬も少しだけ表情を柔らかくさせたのだった。
「それにしても、なんで熊野大神様の使いが…」
呟いた私の言葉への答えは川熊様しか知らないのだろう。
熊野神社の祭神である熊野大神様は母であるタカオカミノカミと同じかそれ以上の力を持った、現代でも絶大な力を誇る大神だ。
確かに、川熊様は貴船と縁のある精霊とは言え、その熊野大神様の神使のうちの一人がわざわざこんな場所に訪ねてくるとは…。
白馬が困惑するのも無理のない話だ。
私は正装―最初に人間に変化した時の、流水紋の薄水色の着物に着替え、身支度を整えてから庭の池へと向かう。
蓮の浮かぶ清浄な水を湛えた大きな池に川熊様は気持ちよさそうに目を閉じて体を横たえていた。
川熊…という名に反して、川熊様の見た目は熊のものではなく、大きな白い狼のような姿をしている。
「お待たせいたしました川熊様。水姫、只今参上しました」
見栄を張るわけではないが、少々威厳を持たせるように背筋を伸ばして声をかける。仮にも私はタカオカミノカミの娘なのだ。
それ相応の振る舞いはするようにと幼い頃から教育はしっかりと受けている。
私の声に反応して川熊様はぱちりと目をあけた。
「これは水姫様。どうぞ気を楽に。先触れも無しにお訪ねしたご無礼どうぞご容赦下さいませ」
横たえていた体を起こし、川熊様は池縁に座る。
「いえ。わざわざ熊野からこのような場所へお越しいただき恐縮でございます」
にこりと柔らかい笑みを浮かべて言うと、川熊様は懐かしむように目を細めて笑う。
「立派になられました。水姫様は覚えておいででは無いかもしれませんが、この川熊、水姫様がお生まれになった時、我が主熊野様からの使いとして貴船まで向かいましたが…。まさか、あの小さな水龍様がこんなに立派になられたとは」
暖かな川熊様の言葉が、何か妙に気恥かしくて私は笑ってごまかした。
「私などまだまだ未熟です。まだ大して齢も重ねておらぬただの小娘ですよ」
「いやいや。そのまだ小さな水姫様が人と交わるために人里に自ら降りられたこと、我が主、熊野大神は大層感心しておりました。ほんに立派なことです」
褒めちぎる川熊様の言葉に私は苦笑する。
「熊野大神様のお耳にも私が人の学校に通うことが入ってましたか。お恥ずかしいことです。…して、今日はまたどういった御用向きで…?」
いつまでも世間話をしているわけにもいかない。
そう思って、はっきりと聞いた私に、川熊様は目を鋭く細めた。
「そうですな。急なご訪問の御用向き…はっきりと伝えねばなりませぬ」
一拍置いて綴られたその言葉に、私は思わず身を固くした。
「水姫様は、羽衣狐のことは知っておいでだろうか」
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