ふたつ



「懐かしいよねぇ。まだそんなに月日が経ってるわけでもないんだけどさ。いろんなことがあって…。結局、今回の京都で皆に私の正体ばれちゃったけど、さ。最初は黒羽丸しか知らなかったんだよね」

ベンチに座りながら、私は月を見上げた。

少し細めの、上弦の月だった。


そんな私に対し、黒羽丸はベンチに座らず、何も言わずに私のそばに立っているだけだった。

「座らないの?黒羽丸」

「…かった」

「え?」

声をかけて黒羽丸に目線をうつしたとき、同じように月を見上げていた黒羽丸が何かを呟いた。

「俺だけが、知っていればよかったと…そう思ってしまうのは…この気持ちは何なのだろう」

「黒羽、丸…?」

夜の闇の中、街灯に照らされて黒く濡れたような黒羽丸の瞳が切なそうに私を見下ろす。

「…言わないでおこうと思っていた。こんなことは口にすべきではないと。だが、やっぱり…知ってほしかったんだ」

ああ。なんてことだ。

彼の瞳に、一瞬で私は気付かされてしまった。

どうしてだろう。なんで、私までこんなに胸が苦しくなってしまうのだろう。

「いつ、帰るかと。毎日、あそこへ足を運んだのはリクオ様の命令ではない。俺の意思だ。水姫のいない浮世絵町は俺には何か物足りなくて…水姫のことが頭から離れなかった」

何も言えなかった。

けども、ここにきて黒羽丸は何か吹っ切れたのかいつになく饒舌で。

まるで月に浮かされたかのように、少し笑みを浮かべながら彼は続けた。

「京都の前あたりから…気付けば、水姫はリクオ様のおそばにいた。リクオ様は水姫のことを大切に想っておられるのだろう。俺が口を挟めることではないし…そもそも妖と神の時点で、自分には関係のないことだと。俺は自分で壁を作っていたんだ。…それが、リクオ様を見ていて壊された」

一瞬、黒羽丸が泣きそうに顔を歪めたような気がした。

「皮肉、というのか。妖と神の間になんの壁もないと振舞うリクオ様を見て、ようやく自分の気持ちに気付いたんだ。…最初に、助けられてから俺は…水姫に惹かれていたんだ。そして同時にリクオ様には敵わないことも分かった。これから先も、恐らく俺は立ち止まることしか出来ないのだろう」

「黒羽丸…」

「京都でも、リクオ様との違いを嫌でも痛感させられた。情けないが俺には、水姫を守ることは、出来ない」

黒羽丸が、泣いている。

涙を流さずに、心で。

なんでこんなことが分かってしまうんだろう。

黒羽丸の感情が溢れるように流れてきて、胸が、焦がれて痛い。



「どうして…水姫が泣いているんだ」

困ったように、慌てる黒羽丸に私は喉をつまらせながら答える。

「黒羽丸がっ…、泣かないから…。黒羽丸の想いが流れてくるのっ…。ごめん、ごめんね、何も気づかないで…、こんなに苦しい想いをしてたんだね…」

切なくて、切なくて。

ああ。最近、私は泣いてばかりだ。

そんな私に、ためらうように黒羽丸の手が乗せられた。

「すまない。泣かせるつもりはなかったんだ。…だが、俺の心が分かるなら、辛いだけではなかったことも分かってくれるだろう?」

その言葉に、私はただ頷いた。

切ない。けど、ほんわりと暖かい。

「俺は、水姫のことを想えて幸せだった。たとえ届かぬ想いだとしても、幸せなんだ。今までも…そして、これからも」

ああ。こんなに、私のことを想ってくれているなんて、なんて私は幸せ者なのだろう。

どうして、この人の想いに私は応えてあげられないのだろう。



そんなこと、自分が一番分かってるじゃないか。

黒羽丸が私を想ってくれているように、私もきっとこうやって焦がれて想っている人がいるから。


「ごめんね、ごめん。…それから、ありがとう」

応えられないのならば、せめて。

くしゃくしゃでなさけない笑顔で、ありがとうを。


「…ああ。俺こそ…笑ってくれて、ありがとう。これからも、リクオ様と、水姫のいる街を…守っていく。これしかできないが…それが俺の出来る精一杯だから」

そう言って、黒羽丸も笑ってくれた。



薄暗い街灯の下、今年の夏を精一杯生きた蝉が、力尽きたかのようにぽとりと落ちた。









「流石に、こんなとこで出ていくような無粋な真似ァ、できねぇなァ」

公園の塀の外側で、煙管を咥えていたリクオが壁に寄りかかっていた。

水姫が帰ってくる様子を見に日参していたのはリクオも同じだった。

少し、黒羽丸に先を越されたようで気に入らなかったが。


「あいつも、男だったってェことか」


ふっと笑ってリクオは、月に向かって細い煙を吐いたのだった。




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