とあまりいつつ



「…」

賑やかだったそこに沈黙が降りる。

私は未だ動かすことすらままならない右手を服の上からぎゅうっと握りしめる。

手が震えていることを隠すためだ。

白尾さんの言葉が脳裏によみがえる。



「いいかい、水姫。神々にとって地獄の穢れは最も忌み嫌われるものなのだ。それを身に纏うお前自身も神々から疎まれるだろう。

これからの貴船、そして自分自身を守りたければ熊野へ行くと良い。

というよりも、それしか他に頼れるものがないというのが事実なのだがのう。

失敗は許されぬぞ。これがたった一本の蜘蛛の糸なのだから。

迷うな。恐れるな。神でいたければ、強くあれ」



迷うな。

恐れるな…!

白尾さんの言葉を自分に言い聞かせて、私は深く息を吸って、顔をあげた。






「…そうか。その右手は、穢れか」

静かな家都御子大神様の声が降る。

その言葉に、私はただまっすぐ前を見つめながら小さく顎を引いた。

「なるほど。…なるほどな」

今までひょうきんな風体だった家都御子大神様の目が細められる。

「穢れのあるものが鳥居をくぐってはいけない。そんなことも知らずに、そなたはこの地へ来たのか?」

冷たい声に、私は首を振る。

「いえ。無礼は承知の上です。たとえ、このことで熊野大神様方の怒りをかってこの身が裂かれようとも…私にはここに来る以外道がなかったのです」

「そうか。責任を取る覚悟があって来たというのだな?その命を儂に捧げる覚悟があると」

西日がこの拓かれた地を赤く染め、4つの影が地面に揺らぐ。
陽から陰へと移り変わる逢魔時。

それは人でない悪しき者達の跋扈する時への移り変わりであるとともに、神の世では昼の“常世”から夜の“常夜”…―黄泉の国へと繋がる時刻。

目の前で手酌をする家都御子大神様の雰囲気が心なしか変わったように思えた。

なんとなく空恐ろしい彼を見つめながら、私は今度はゆっくりと首を横に振った。

「…いえ。例え貴方様の怒りに触れてこの身が裂けようとも私は死ぬるつもりはありません。首だけになっても、生きて見せます。母に再び会うために。私が守りたいと思っている者達のために」

ざわりざわりと平地を囲む木々がざわめく。

視線は家都御子大神様から外さない…否、外せないほどの威圧感に冷や汗が額を伝った。

そのとき。


「…ふ、ふっははは!」

突然、家都御子大神様が大きく笑い出した。

今までの張り詰めた空気を一気にぶち壊して、大神様は手を叩いて笑う。

「いやぁ、さすが高淤加美の娘だ。肝が据わっておる」

この言葉に、私は未だ緊張が解けぬまま、少しだけ息をついた。

そんな私を見て、夫須美様が溜息をつく。

「ほんとに貴方は意地が悪い。夜護ちゃんってばすっかり怯えてしまっちゃったじゃない」

「からかうのも大概にしてあげてください」

二人の言葉に、さらに私は首を傾げる。

「ふはは、悪い悪い。何しろ反応が面白いんでなぁ。つい悪ノリしてしまったわい」

「??」

訳が分からなく、三柱の神様たちをぼけっと見ていると夫須美様が苦笑しながら説明してくれた。

「貴女の気にしている穢れ、このお方の前では何の障害にもならないわ。このお方は熊野大社では家都御子大神として祀られているけれども、実は黄泉…地獄を支配しているイザナミ様の息子であるスサノオ様なの」

「は…?スサ、ノオ…様?」

まさか、それは、確か天照大神様、月詠尊様と並ぶ三貴子の一柱である、あの…?




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