とあまりみっつ
それは、確かに空から聞こえた。
そしてその声が聞こえた瞬間、今にも攻撃してきそうだった鴉たちが鳴きながら一斉に飛び立った。
それを見上げた私と獏の頭上を黒い雲が覆い、雷の音とともに一筋の眩い光が奔った。
あまりの眩しさに腕で顔を覆ってしまったが、光がおさまったのを瞼越しに感じて恐る恐る目を開ければ私達の目の前には黒い無精髭を生やした中年ほどの着流し姿の男性が八咫烏を体中に乗せながら立っていた。
彫りの深い端正な顔立ちに男性らしいしっかりとした体躯。その出で立ちはまさに威風堂々というにふさわしいもので、思わず見惚れてしまった。
「やれやれ。いつもは帰ってくるときはこいつ達が迎えてくれるはずなんだが…これはどういう状況かね?」
ひょいっと片眉を上げながらその人は私達を見る。
目線があって、私は慌てて姿勢を正す。
「あ…、私は夜護淤加美と申します。実はとある用事で熊野大神様に会いにここへ訪れたのですが…八咫烏にこの先を通してもらえず…」
高貴な神であるのだと予想がつくだけに、自然と緊張してしまう。
しかし、その方は私の言葉を聞くと目を丸くしてずかずかと私に近づくと顎に手を添えながら上から下まで眺めまわされた。
「ふーむ。へぇ〜。ほう」
頷いたり、唸ったりしながら一通り私を観察すると、よし、と頷いた。
「胸は小さいが…まだ成長段階か。うむ、合格!さぁ!参ろう!」
「へ?」
突然左手を引っ張られ、良く分からないままに奥の方へ連れて行かれる。
「ちょ、ちょっとお待ちください…!あの、私、熊野大神様に会いに…!」
慌てて抗議しようとしたら、その方は振り返ってにこっと笑った。
「ああ。それ。儂じゃよ、儂」
「え!?」
ま、待って…!
ちょっと考えが追いつかない…!
「あの、でも、貴方様は先ほど天から降りられていたようですが…!」
熊野の地を守る主祭神が、なぜ天から…?
疑問を口にすると、ずんずんと奥へ進みながらその人は答える。
「うむうむ。この熊野にはな、熊野三山っつって…まぁ、おもに儂以外に優秀な神さんが二人いるんでな。儂はよく留守にするんじゃよ」
「る、留守に…?」
私が呆気にとられながら繰り返していると、行く手に二人の…いや二柱の神様の姿が見えた。
「あらあら。せっかく八咫烏を使って追い払おうと思ったのに!ちょっと遅かったみたいね」
「まぁまぁ、今追い払ってもどっちみちいつかは会っていたんだから」
美しい女神と男神の会話に、私の頭の中は?マークでいっぱいだ。
「おう、速玉に夫須美。今帰ったぞ」
私を引きずる神様に、速玉と呼ばれたにこやかな男神がお辞儀をする。
「お帰りなさいませ」
それに対し、夫須美と呼ばれた釣り目だが美しい女神は腰に手をあててため息をつく。
「帰ってきて早速若い女に手を出して!もう!」
とがった声を出しながら、状況についていけてない私を引きずってきた男神の手から救い出してくれた。
「だからこの人が返ってくる前に帰ればよかったのに。このまま本宮に連れていかれてたら何されていたか分からないわよ!?この人、大の女好きなんだから!」
「ええ?」
何気に貞操の危機だったらしいことを女神に諭されて、私はもう何が何だか分からなくなっていた。
「夫須美は相変わらずきついなぁ。儂だってきちんと分別をわきまえとるぞ。現に人妻のお前に手を出したことはないじゃないか!」
憤然とする彼に、速玉というらしい男神は笑いながら付け足す。
「当たり前です。私の妻なんですから」
どうやら、この速玉という神と夫須美という神が夫婦神ということは分かったが…
「あの…このお方は誰、なんですか?」
私は恐る恐る目の前の女好きと称された神様のことを尋ねた。
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