とあまりふたつ



「唐突だな。突然熊野とは」

獏の声に私は肩をすくめる。

「ちょっと知りたいことがあってね。前に熊野大神様からの神使が訪ねてきて、いろいろ協力してくれるって約束してくれてたんだ。神様のことなら白尾さんに聞こうかと思ったけど、断られちゃったからさ」

「?」

なぜ、という視線を私に投げかける獏に私は軽く笑って答えた。

「白尾さんは流れ神だから。神の力や扱い方は教えてくれても土地の守り方は知らないんだって」

「土地の、守り方…。…そうか」

それだけで、獏は私が何を聞きたいのか分かってくれたみたいだった。

「しかし、どうしてその白尾はこの熊野に来ることを拒んだんだ?」

その言葉には私も首をひねる。

「さぁ…。なんか熊野三山の主祭神のお方と会いたくないとか…仲でも悪いのかしら」

そんな会話をしながら私達は人気のない熊野古道を歩いていたが、突然けたたましい鴉の鳴き声がその歩みを止めさせた。


「あれは…」

その鴉を見て、私はそれがただの鴉でないことを悟る。

三本足の鴉…八咫烏は熊野の神使として有名だ。


鬱蒼と生い茂る杉の木にとまった八咫烏に、私は小さく息を吸って名乗る。

「突然のご訪問、お許しください。私は夜護淤加美神と申します。この度は熊野大神様に折り入ってお願いが…」

「カエレ」

「は…」


言葉を途中で遮られ、私は一瞬呆ける。

そんな私を見下ろし、八咫烏は羽を二、三度はばたかせる。

「忌ミ者ヨ。コレ以上立チ入ルコトハ許サヌ」

「忌み者…?」

私は首を傾げたが、獏には通じたらしい。

「なんだと…?」

ぶるりと獏の体が怒りで震えたのが分かった。

「八咫烏といえども、お前も神使だろう。神使ごときが我が主を忌み者扱いしてもいいと思っているのか」


低く抑えた声に、私は困惑する。

「ちょ、ちょっと待って、獏…、私達は揉め事を起こしに来たわけじゃないんだよ?」

「…だとしても、だ。こちらの挨拶を遮り、あろうことかお前のことを忌み者と呼んだのだぞ、あれは」

「え…と」

忌み者。意味は知らないが、語感からそれとなく悪く言われているのは分かった。

「と、とりあえず私が話をするから…!獏は手を出しちゃ駄目だからね」

最近分かったのだけど、獏はキレやすい。
そのうえすぐに攻撃するから、念を込めて言い含めて私は八咫烏に向き直った。


「私を忌み者、とお呼びになるのは何故でしょうか?」

八咫烏を見上げて問うと、八咫烏はその黒い瞳をきょろりと私の腕に向けた。

「穢レヲソノ身ニ纏ウ者ヨ。カエレ」

ああ。地獄の“穢れ”か。

「しかし、これは羽衣狐との闘いで負ったもの。以前、熊野大神様は此度の戦に関して私にご協力くださると仰ってくださったはず。戦が終われば、そのお話はなかったことになされるのか」

少しきつく言うが、八咫烏は感情を込めずにくちばしを開く。

「聖域ヲ穢ス者ハ排除スルノガ我ラノ務メ」

その言葉に、気づけば周りは鴉に囲まれていた。

「どけ、水姫。話が通じない」

獏が針を取り出して構える。

とたんにその場が一触即発の空気に包まれる。

困った。こんなはずではなかったのだが。

このまま、もしも獏が手を出したらどうなるか。

こっちはまだ未熟な名も知られぬ若神。対して熊野大神様はこの日ノ本でも多大な影響を持つ大神様。

その神使で争ったとなれば分が悪いのは明らかにこちらの方なのだ。


一寸、目を瞑ってから私は獏に命令する。

「獏。針をおさめなさい」

「しかし…」

「しかしもかかしもない。どきなさい。…私が、やる」

「…!」

このまま、神使同士の争いならば神格の差により獏が何らかの罰を負わされかねない。
それならば、まだ神である私と神使の争いになった方がましだ。

もちろん、罰は覚悟のうえ。

だが、私のせいで獏を危ない目にあわせるよりかは。

そう判断して、私が八咫烏に向き直ったときだった。



「何をしておる、八咫烏」


野太い声が空から降ってきた。





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