よっつ
「穢れを浄化し、高淤加美が目覚めるまで何百、何千もの年月が必要じゃろう。外界との接触を一切閉じた神地の中には娘といえども入ることは叶わぬ」
目を見開いたまま、私の体は石のように固まってしまったみたいだった。
瞬きすらできない。
ただ、ただ、自分の軽率な行動がこの結果を生んだのだと、そればかりが頭を占めていた。
「高淤加美神様は、眠りにつく前の最後の力で京都の浄化と、この戦いで傷ついた者たちに癒しを与えていかれた。誇るべき、偉大なお方だ」
ゆっくりと語ってくれる獏の言葉も、耳に入らない。
「…一人に…」
ほとんど動かない唇を他人のもののように感じながら呟く。
「一人に、させて…」
どこも見えていないような虚ろな瞳に、獏と白尾は顔を見合わせゆっくりと立ち上がる。
「水姫、己を責めるな。高淤加美がそれを望んでいないことぐらいお前が一番分かっているはずじゃからな」
「…また、あとで様子を見に来る」
そう言って二人は部屋を出ていった。
静かになった部屋で、私はぼんやりと自分の黒い右腕を見ていた。
この穢れが自分の命を脅かすものでないと分かったとき、ほっとして流した涙はもう乾いていて、新しい涙も流れそうにない。
頭に靄がかかったように何も考えられなかった。
あの母に、暖かなぬくもりに、どれだけ焦がれても今は会えない。
それこそ、永遠に会えないよりかはましだと思いたくても…思えるわけがない。
何百、何千なんて年月を私は経験したことがない。
羽衣狐に、説教もどきをしていた自分が今になって笑える。
何が、分かる。だ。
私は、今初めて心から愛しい人に会えない辛さを知った。
身が引き裂かれるような、想い。
絶望。自責。悔しさ。憎しみ。
自分がまた真っ暗な闇に落ちていく感覚を他人事のように感じていた。
みるみる自分の周りの世界が色褪せていく。
ああ、こんな私は、堕ちてしまえばいい。
そんな自棄じみたことを本気で思っていた。
そのとき
―ガララッ
音を立てて、襖が開いた。
なんだ。もう少しで堕ちれたのに。
入ってくる人影にも全くなんの興味もわかなかった。
「よう。気分はどうだい」
「…」
答えない自分の横にどっかり腰を下ろしたリクオ。
「…自分を責めてるのかい」
「…」
リクオの問いにも答える気も起きなかった。
ただ、ぼんやりと自分の腕を眺めていた。
そんな私を励ますわけでもなく、呆れるわけでもなく、リクオはただ静かにずっと私の横にいた。
「勝手に…首を突っ込んだ、私が…死ねばよかったのに」
どれくらい時間がたっただろうか。
その呟きは自然と口から零れていた。
そんな私を、リクオは真剣な表情で見る。
「…あんたが、そんなことを言うなんてな」
その言葉に、自分に対する怒りさえも失いかけていた胸がまた黒いもので燃える。
「リクオに、何が分かる…!勝手に全部わかったつもりで…!たいして力もないくせに、皆を助けられる自分に酔って…!挙句に自分の尻拭いで母を殺しかけた私のことなんて…!」
「…分かるぜ」
その言葉に、私はリクオを睨む。
切れ長の涼やかな目に、なぜか苛立ちだけが募る。
「そうやって同調することなんて誰にでもできる!私みたいに!同調して同情して、勝手に分かったつもりになって…!自分のせいで大切な人を失くしたこともない奴に…!」
「オレも失った」
「…っ!」
「親父と、親父の愛した人を。一人は自分の手にかけて。知らなかった、なんて言い訳にもなんねぇ」
「……、」
言い返したくて、でも言葉が見つからなくて私は唇を強く噛んだ。
「だが、オレは二人の想いを受け継いだ。このまま、親父たちを無念に死んだままにはさせねぇ。オレが仇を討つ。もちろん、こいつぁ、オレの気が済むだけだがな。でも、二人が死んだ今、オレまで立ち止まっちまったらどうなる?安っぽい言葉を吐くつもりはないがな。オレぁ、前に進むぜ。それが二人の死を無駄にさせない道だと信じてるから。水姫、あんたはこのまま自分が死んで、それでお袋さんが救われると思ってるのかい?」
ぎゅっと左手で布団を握りしめる。
「そんなこと…!リクオに言われなくたって…!」
「そうだろうな。…でも、今のアンタはそれさえ分かんなくなってるだろ。自分が死ぬことで、考えることを、前に進むことを放棄しようとしてる。…オレはそんな情けない女に惚れたつもりはないぜ。正直、あんたのお袋さんもがっかりだろうな」
その言葉に、頭が真っ白になった。
とにかく感情が抑えきれなくて、次の瞬間乾いた音が部屋に響き渡った。
「よくも…!そんなことを…!」
はぁ、っと肩で息をしながら、リクオの頬を叩いた左手を握りしめる。
「…気が済んだかい?」
叩かれて赤くなった頬を隠すこともせずに、彼はにっと笑う。
「自分が許せないんだろ。どこに怒りをぶつければいいのかわからないんだろ?…なら、オレにぶつければいい。全部、受け止めてやるから」
「あ…」
彼を叩いた手のひらがじんじんと燃えるように熱かった。
「わ、たし…」
このとき、初めて世界に色が戻った。
そんな私を見て、リクオはふっと息をこぼす。
「一人で抱え込むな。どうしようもないときはオレを頼れ。守ってやるさ、いつまでも」
「…っ!」
せき止められていた感情がどうしようもないほど、押し寄せてきて。
涙腺を崩壊させてしまったみたいだ。
声も出さず、ただ涙を流す私を、リクオはその暖かい胸に抱え込んでくれた。
私はその中で、リクオの着物を握りしめながら何時間も休むこともなく泣き続けたのだった。
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