ひとつ
「戦いは終わったようじゃのう」
晴明が地獄へ消えて、依代とされていたことが発覚した山吹乙女の治療中、快活な声が天より響いた。
それに真っ先に反応したのは、戦いの最後、晴明を追いかけて地獄へ行こうとしたリクオを引き留めたぬらりひょんだった。
「あんたは…!」
驚いて見上げるぬらりひょんのもとに降りてきたのは高淤加美神だった。
「関東妖怪任侠初代、ぬらりひょん。そして、その孫よ。娘が世話になった」
柔らかく笑む、名のある龍神の登場にその場は動揺する。
「いや、貴船の龍神さん…。あなたの娘さんは…」
言いよどむぬらりひょんを手で制して高淤加美は苦笑する。
「案ずるな。全て見ておったよ」
その言葉に、複雑な表情の妖達に高淤加美はためいきをつく。
「見ていただけか、と言いたいだろう。許せ。それが神の宿命なのだよ」
「…水姫#の、お袋さんか…?」
まだ意識のある山吹乙女の手を握って俯いたまま、リクオが呟く。
「いかにも」
頷いた高淤加美をリクオは顔をあげて睨む。
「なら!なんで娘のことをきちんと守ってやらねぇんだ!神が妖の争いに介入できねぇってんなら、なんであいつは…!水姫は…!」
山吹乙女から少し離れたところに同じように横たわる水姫の姿。
意識がない水姫を守るように獏と白尾がついている。
「リクオ!やめんか!」
高淤加美に喰ってかかるリクオをぬらりひょんが止めるが、リクオは続ける。
「今回のことは神にとっても都合が悪かったんだろう?それを水姫一人に全て押し付けて…ぼろぼろになるまで戦わせてたんだったら…!オレぁ、許せねェ…!」
リクオの言葉を、高淤加美はまっすぐ彼を見つめながら黙って聞いていた。
「だが…」
肩を震わせてリクオは俯く。
「一番許せねぇのは…オレ自身だ。結局、この人も、水姫も守れなかった…。オレは…力が、欲しい…!」
ぐっと歯を食いしばったリクオを、高淤加美は目を細めて見つめた。
「ほんに…若さは、眩しいのう。我が娘も…お前の孫も。なぁ、ぬらりひょんのお兄さんや。昔を思い出すな」
その言葉に、ぬらりひょんは目を見開く。
「ワシのことを…覚えてくださってるんですかい…?」
何百年も昔に、一度だけ会って、一方的に恋に落ちたような自分のことを。
信じられないように言うぬらりひょんを高淤加美は懐かしそうに見る。
「最初は分からんかったがな。孫の方は若いころのお前さんにうりふたつじゃ。無鉄砲で喧嘩っ早い性格もな」
いつの時代だったか。
まだずっと若く、青臭かった頃、京妖怪に喧嘩を売って殺されかけたところをとある縁でぬらりひょんは高淤加美に助けてもらった。
「そんな縁がこんなところで繋がるとはのう…。ほんに生とは不思議なものよ。今度ゆっくり一緒に呑みかわしたいものよ」
そんな龍神の雰囲気に緊張が解きほぐされ、思わずリクオは頭を下げていた。
「頼む…!あんたすごい神様なんだろう?この人を…助けてくれねぇか…!」
その言葉にぬらりひょんも、はっと山吹乙女を見下ろす。
確かに、この人ならあるいは…
そう思った矢先。
高淤加美はゆっくりと首を横に振った。
「我とて、出来るだけお主たちに力を貸してやりたい。…だが、のう。その者はすでに死者の身。反魂の術で無理やり目覚めさせられた哀れな魂。もう、ゆっくり寝かしてやれ」
「だが…!」
言い募ろうとしたリクオの手をそっと山吹乙女が抑える。
「そのお方の…仰る通りです…。妾は、一度は朽ちた身…」
山吹乙女の言葉に周りの者たちが顔を歪める。
そんな中、乙女は必死に笑ってリクオを手招く。
「リクオ…、もっとよく顔を見せておくれ…」
そして、二人が見つめ合う時間。
誰も言葉を発さなかった。
「うり二つ…。あの人に…」
愛おしそうに乙女はリクオの頬を撫でる。
「妾に子が為せたなら、きっとあなたのような子だったのでしょう…」
そして、力尽きたようにずるりと山吹乙女は斃れた。
静かに横たわる山吹乙女の額に、高淤加美はそっと手のひらを乗せる。
そして、山吹乙女の体が美しく揺らめく蒼色にふわりと一瞬包まれた。
「旅立つ者への…せめてもの、餞じゃ。地獄の者たちにより穢された魂を浄化してやった。これで安らかな眠りにつけるじゃろうて」
「かたじけない…」
山吹乙女を見下ろすぬらりひょんに、高淤加美は首を振る。
「ほんに、情けない。神と名乗っていながらたったこれだけのことしか出来ぬ我が身が。久しぶりじゃよ。誰かの“死”がこうも胸に響くのはなぁ」
そう言って高淤加美が見上げた空は快晴だった。
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