はたち
「おい!羽衣狐!お前…、何やってんだ!?」
依代に必死に呼びかけるリクオの眼前に晴明の凶刃が迫る。
「リクオ…」
僅かに目を開けた依代を抱えたまま見開いたリクオの視界に映ったのは。
「ほう…?」
“魔王の小槌”はなかなかに良い刀に仕上がっている。
それを確認したはずの刃を止める、目の前の少女の存在に晴明はわずか目を見開く。
「何者だ?」
少し興味がそそられ、気まぐれに問うてから晴明は今度こそ目を大きく見開いた。
例えるならば雪解けの山間の清水のように清らかに、とても冷たく。
不純など一切ない、穢れなき美しい山紫水明の地の幻を見せるかのごとく。
目の前の少女が静かに笑んだ。
「刀を、おさめなさい」
静かな水面に波紋がたつかのような声がその場に響き渡る。
誰も、指一本動かせない、そんな静寂が場を支配した。
「この場にいるもの、全て。双方、この場でのこれ以上の犠牲を出すことはこの夜護の名にかけて許しません。此度の戦は、これにて終いです」
その言葉に人も妖も、ごくりと息を呑む。
ただ一人、晴明だけは歓喜に似たような感情に胸を震わせていた。
自分の理想とも言える、美しく静かで闇と光と力による秩序の世界をこの少女に垣間見たのだ。
「娘。もう一度、名前を聞こうか」
静寂を晴明だけが破る。
それに気分を害した様子もなく、少女は微笑んだまま頷く。
「夜護淤加美神。夜の陰と陽の秩序を護りし水神」
その言葉に、晴明はくくっと喉を震わす。
「その名と顔、よく覚えておこう」
晴明はゆっくりと近づき、刀を持たない方の手を水姫に伸ばす。
水姫は避けようともせず、ただ晴明を見つめる。
その顎に手をかけてぐいっと顔を上げさせた瞬間。
―どろり
顎にかけた手の肉が腐ったようにずるりと崩れ落ちた。
「何…?」
骨だけになった自分の腕を晴明は眉をひそめて見つめる。
そして、腐った部分が水姫から侵食されるように自分の体の方へ伸びてくるのを感じ取って、瞬時に晴明は水姫との距離を取る。
「…なるほど。水神の浄化の力に体が耐えられなかったか。しかたない」
ほとんど腐り落ちた右手を一瞥して晴明は左指をグンッと上へ突き上げる。
それとともに開いた地獄の門。
「ウワァアアア!?」
どこか神聖だった静寂がそれによって一気に破られる。
「ここは一旦引くとしよう。だが、いずれ貴様も私のもとに膝まづかせよう」
地獄の門によって隔てられた先の水姫に向かって晴明は不敵に笑みを浮かべる。
それに、水姫は静かに答える。
「神すらも従えようというのか。強欲な」
「そうだ。私はいずれ神さえも従えさせる」
沈黙した水姫の両脇に白尾と獏が並ぶ。
「晴明や。いくらお前でも、この子に害を及ぼすことは見逃せぬな」
「さっさと失せろ。二度と水姫の前に現れるな」
敵意をむき出しにした二人の神使を一瞥して、晴明は下を見遣る。
「千年間ご苦労だった。鬼童丸…、茨木童子…、そして京妖怪たちよ。地獄へ行くぞ。ついてこい」
こうして、晴明とともに地獄へついていった妖、残った者。
それぞれが胸に何かを抱えたまま、京の死闘は幕を閉じたのだった。
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