とあまりみっつ
土蜘蛛が憎い。
リクオを殺そうとした。
大切な人たちを傷つけた。
私に傷を負わせた。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いニクイニクイニクイニクイ…!
長い身を捩って、目の前の妖怪に向かう。
土蜘蛛は八本の手で私を止めるが、その顔に向けて水を吐く。
「ぐあっ…」
口から吐かれた水はすさまじい勢いの鉄砲水となり、土蜘蛛の片目を潰す。
しかし、土蜘蛛も黙ってやられているわけではなく、私の体をつかんだ八本の手で胴を裂く。
鱗がばらばらとはがれた。
その鱗を鋭い刃に変えて、土蜘蛛にぶつければその服を、皮膚を切り裂く。
そしてもう一度吠えれば、大粒の雨と雷が降り出した。
強い勢いで振る雨はもはや凶器のように妖怪達を攻撃する。
それよりも、目を眩ませる雷がところ構わず落ちてはあちこちで炎が立ち上り、その場は地獄絵図のように変り果てる。
自分を捕まえていた土蜘蛛に大きな雷が落ち、土蜘蛛が倒れてもいまだ怒りは収まらない。
感情のままに、吼え、雨と雷が地上に降り注ぐ。
このままこの地を焼き尽くしてやろう。
もはや理性を失った頭でそんなことを考えていた。
そのとき
「やれやれ。本当にお前は可愛いが、困った娘だよ」
誰かの声が静かに鼓膜を震わせた。
そして、次の瞬間、顎の下に鋭い痛みを感じた。
ぽろり、とそこから何かが落ちて、それを受け取った女の人がその玉に息を吹きかける。
「荒ぶる魂よ。和魂となりて天災を治めたまえ」
感情のまま荒ぶる波が、その息に、声に、徐々に収まり段々と理性を取り戻していく。
「…母、様」
赤くなっていた目が蒼に戻り、眼下の母を認識する。
そんな私に、肩をすくめて母は笑う。
「随分、派手にやらかしたようだねぇ。怒りに我を失ったか」
「私、は…」
何か言おうとして、周りの異変に気が付く。
ここは何処か。
伏目稲荷にいたはず。リクオを庇っていたはず。
しかし、今自分がいるのはどこまでも真っ白な世界。
混乱していると、母様が答えてくれる。
「お前と私を一時現世から切り離したのさ。あのままあそこで暴れちゃあ、いくら夜神といえども高天原の連中に目をつけられるからね」
「母様…、私は…」
私は、何をしていたのだろう。
リクオを、皆を護りたくて…。
「あんたの護ったぬらりひょんの孫は生きてるよ。あんたが戦っていた土蜘蛛も、だけどね」
「私は…」
何を、した…?
怒りのままに、雷雲を呼び、真っ赤に燃える伏目稲荷の情景が思い返された。
「…あんたはすごいよ」
呆然としている私に母様が笑う。
「自分の意志で雷雲を呼んだ。これは八大竜王に許しを得なければできないはずだったんだけどね」
きっと竜王たちも腰を抜かしてるはずさ。と豪快に笑う母様の言葉がよく分からず混乱していると、母がくいっと顎で私の姿を指して言う。
「とりあえず人型に戻りな」
言われてしゅるしゅる…と小さくなる。
「京都の神々は今高天原におられる。まぁ、私だけはあんたが心配で残ってたんだけどね」
こんな妖気があふれた地に、私のために残ってくれたのに、結局手を煩わせてしまった。
申し訳なくて、頭があげられない。
そんな私の頭に母の暖かい手がぽん、と置かれる。
「悔やむも当然。だけどね、まだあんたは幼いんだ。特に、感情、がね。少しコントロールする訓練をしないといけないね。さもないと、理に触れるよ」
母の真剣な声に、私は目を見張る。
「ことわり…」
繰り返す私に、母は頷く。
「昔、ある沼に小さな竜が住んでいた。その竜は近くの村にちょくちょく遊びに行っていたんだが、ある年に大干ばつが起きてね。村人がたくさん死んだ。それを憐れんだその竜が勝手に雨を降らしたのさ。その結果、その竜は理に触れたとして体を三つに裂かれて息絶えた。…これが理さ。地神よりも遥か高くに座し、この地を見る天津神らが下す神による神への天罰だよ」
目を見開いた私に苦笑して、母は笑う。
「あんたはそれを超えてしまった。すごいことだよ。でも、同時に大切なものも忘れてしまった。守るんじゃなかったのかい?あんたのその大事なものさえも忘れて荒ぶる心は、ただの天災さ」
そして、母様は私の胸をとん、と指で突く。
「あんたの“ここ”にはね、相反する荒魂と和魂が存在する。これをうまくコントロールしなきゃ、悪神になっちまうよ」
「い、いや!」
その言葉に慌てて首を振った私を母は優しい目でみる。
「知ってるよ。あんたは優しい子だ。だからこそ、きちんと制御できるようにならないとね。大丈夫。優秀な先生を呼んでおいたから。どうせ、ぬらりひょんの孫もしばらく動けまい。いろいろと話を聞くがいい」
そう言って母は私の手をとり、そこに何かを握らせる。
「これは…」
見てみると、拳大で青く淡く揺らめく不思議な玉だった。
「それは竜の宝玉だよ。あんたのコントロールに一番大事なもの。今まではあんたの“中”にあったけど、私があんたを治めるために取り出した。これを持って勉強するといい。…さぁ、そろそろ行こうか」
そう言われて、私は宝玉を手にぎゅっと握って頷いた。
そんな私を優しく見て、母は手をぱんっと鳴らす。
その瞬間、周りの景色は一変し、元の伏目稲荷に戻った。
そして、目の前には血まみれの昼姿のリクオ。
「リクオくん…!」
慌ててリクオに駆け寄ると、リクオくんは目を見開いて私を見る。
「よかった…。夜神さんは、無事だったんだね…」
「私は…」
ぐっと唇を噛みしめる。
暴走して敵味方関係なく攻撃した私は、ここにいる権利はないんじゃないか。
そう考えていた私の手を、リクオくんが握る。
「ありがとう。ずっとボクを守ってくれてたんだってね。本当に、ありがとう」
「リクオ、くん…」
私はその手を握りしめて嗚咽をあげる。
ごめん。
ごめんね。
もっと強くなるから。
自分をコントロールして、自分の力を出し切れるよう、強くなるから。
だから
「少しだけ、お別れ。お互い、もっと強くなってまた逢おう」
そう言って立ち上がった私を見るリクオくんの目は真剣そのものだった。
「うん。もっとボクも強くなる。キミに恥じないように」
それがお互いの誓いの言葉。
私は、リクオくんの手を離して背を向けた。
強くなる想いを持って。
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