よっつ
「夜護淤加美…」
少年が繰り返し呟いたとき
『花 咲かん
開いた
はさみでちょんぎり
えっさか さっさ』
何処からともなく、透き通るような唄が響いた。
それはこの里の山々に反響して、まるで空から降って来るかのような唄声で。
その唄に、少年がはっと顔をあげる。
「オシラ様…?」
そして次の瞬間、何の前触れもなく私と少年の間に一人の少女が現れた。
「ようこそ、夜護淤加美神。遠野の地へ」
にっこりと笑って言われた言葉に、私は首を傾げる。
古代風の服を着た、長い黒髪の自分よりも小さな少女。
でも、確かに感じる、清浄な神気。
あきらかに、神様の類だ。
その少女が手に持った榊の枝を振ると、枝に巻かれた白い紙と鈴が揺れて、しゃん、と音が鳴る。
「私はオシラ神。夜護淤加美、貴女の目的はなぁに?」
無邪気に首を傾げて問われた言葉。
見た目こそ少女だが、その無邪気な顔に隠された大きな力に私は思わず顔をひきつらせるが、ここで退くわけにはいかない。
私も神の名を背負っているのだから。
「初めまして、オシラ神。私は京の貴船が高淤加美神を母に持つ、夜護淤加美と申します。この度、遠野へはある男を追って参りました」
「男?あら、恋仲かしら?」
面白そうに笑うオシラ神に私はひきつった笑いを漏らす。
「…御冗談を。ただ、気に入っているのです。彼は妖怪の血を四分の一だけ持ちながらも、百鬼の長に立つと。私はそれを見届けたいと。彼の成長を見守りたいとこの地へ参りました」
「ふぅん。…その子がここ、遠野に来てるのね?ねぇ、イタク、知ってる?」
イタクと呼ばれた少年は頭を下げたまま答える。
「恐らく、関東の妖怪任侠一家奴良組の若頭のことかと…。昨晩、連れられてきました」
「そう。…で、その子を追って隠れ里の畏を切って、ついでに森も切っちゃったのね」
にっこりとほほ笑むオシラ様に冷や汗が出る。
「あ、その…申し訳ありません。生まれ出てまだ間もなく未熟なため…手加減が分からず…」
言い訳する私を見て、オシラ様はけらけらと笑う。
「あらいやだ、いいのよ。かわりに森を元気にしてくれたみたいだし。まだ幼いながらも底知れない力を感じるわ。それに」
オシラ様が再び榊の枝をしゃん、と振る。
「己が未熟だと自覚してることはいいことだわ。夜護の名を背負っているなら尚更ね」
一瞬、オシラ神の顔が真顔になってまっすぐ見つめられた。
私は答えられずに押し黙ってしまった。
「イタク。あなた、赤河童に伝えられるかしら?」
そんな沈黙を破ってオシラ神がイタクを振り返る。
「夜護淤加美神がこの遠野に来ていることと、その目的。あと、この地に敵意がないことをね」
黙って頷いたイタクを見て、オシラ神は再び私を見てにっこりと笑う。
「本来なら自分で挨拶に行きたいでしょうけど、この地に他の神が来たとなるといろいろ面倒なのよ。貴女も騒ぎにしたくはないみたいだし。あまり目立たない程度になら好きにしていいわ」
「あ…、ありがとうございます」
オシラ神の言葉に頭を下げると、くすくすと笑う声が上から降ってきた。
「噂の夜神さんよ」
「あら、ここに来るなんて」
「可愛いわ。まだ小さいわね」
「でも力は立派よ」
へ?
オシラ神と同じような声が四方から聞こえて、思わずぐるりとまわりを見渡すと、木々の間に座っているオシラ神によく似ている少女達がいた。
「あら。もう注目されちゃってる。ちょっと、あまり騒ぎたてないのよ」
彼女達に向かって眉をしかめるオシラ神様。
「あ、あの、彼女達は…?」
私の問いに、オシラ神は、ああ、と答える。
「あの子達もオシラ神。みんな、私の子供よ」
「え、では、貴女が遠野のオシラ神の慈母神、ですか?」
驚いて聞くと、オシラ神はにこりと笑う。
「瀬織津姫命。これが私の名。天照の祖で、月神でもあるわ。他にも水神、桜神…あと、うーん。祟り神と言われたこともあったわね」
「あ、天照の祖…!?」
それは、この神の世界で最高位の神。
その神のさらに祖にあたる、と。
すなわち、日本の神全てにおける起源であるのだ。
「あら、そんなに驚かなくても。ああ、貴女まだ高天原に行ったことないのね。…まぁ、これからいろいろと学んでいけばいいんじゃない?」
くるり、くるりと舞いながら瀬織津姫命は笑う。
「頑張ってね。期待してるんだから」
最後にそう言い残して、瀬織津姫命はふわりと消えた。
「あ、の、イタク…さん?」
「イタクでいい」
彼女が消えた後、取り残された私はイタクに話しかける。
「ここ…遠野での神様と妖怪の関係って、どうなってるの?」
「…俺達は遠野の山に育てられてきた。その山を育む神は当然敬うべきもの。だが、基本ここの里じゃー、妖怪と遠野の神との垣根は低い。もちろん例外はあるし、よその神様は別だけどな」
「…へぇ」
妖怪と神様の垣根が低い。
なんだか、ここ遠野では神とか妖怪とか区別するよりも、一緒になってこの地を守っている。
そんな感じがする。
ここが、遠野。
それが、遠野の力…なのかもしれない。
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