獣医×海賊船
「おい、ベポ」
ローは鼻水をすすりながら震えているベポに短く声をかける。
まださっきの獣医野郎に怯えているのか、体の具合が悪いのか。
それはベポから呟かれる言葉を聞けば一目瞭然だった。
「解剖やだ…!もうオレ風邪引かない…!」
そんなベポにローは溜息をついてベポの頭にぽんと手をおいてやる。
「…悪かったな。オレが動物のことまでしっかりと診てやれないせいで怖い思いさせた」
「キャ、キャプテン…!」
珍しく謝るローに慌てるベポ。
そんなベポにローはふっと笑ってみせた。
「まァ、安心しろ。あの獣医には二度と会うことはねェだろ」
とりあえず、帰ったらオレが直々に注射してやるよ、と笑うとやはりベポは注射嫌だ…と呟くのだった。
「船長!」
港に泊めていた船に戻ると、何故かクルー達が慌ただしく動いていた。
「どうした」
声をかけると、シャチとペンギンがローのもとまで走ってくる。
「船長、ベポは…!」
「原因は分かった。あとはオレが処置する」
そう言えば、ほっとした顔になったが、すぐにシャチは顔を真っ青にする。
「そ、それじゃあ一刻も早く出航しましょう!この島はヤバいです!」
「?どういうことだ」
「それがですね…!」
慌てているシャチの言葉を遮ってペンギンが簡潔に答える。
「船長。この島は海軍に包囲されつつあります。電電虫を盗聴したところ、大将までもが来るそうです」
「なに…?」
大将、と聞き逃せない言葉に流石のローも眉をひそめる。
「狙いは?」
「詳しくは分かりませんが…オレ達ではないようです。どっちにしろ、完全に包囲される前に潜水して包囲を抜けた方がいいかと。すでに出航の準備は出来てます」
ペンギンの言葉に頷いて、ローは素早く出航の指示を出したのだった。
「それにしても…大将までもが出てくるなんて、あの島に何があったんだろうなァ」
海軍の包囲網を抜けて、もはや見えなくなった島の方向を眺めながら甲板に一人で出てきたシャチが呟いたときだった。
「いやぁ、ほんと大将とかおっかないですよねぇ」
「!?」
聞きなれない声に、シャチがばっと振り向いてカットラスを構えた。
その視線の先には、いつからいたのか白衣を着た見慣れない人物が手をかざして先刻のシャチと同じように島の方を見ていた。
「…誰だ、てめェ」
まさか、先ほどの海軍だろうか…と身構えるシャチに対して相手は特に気にする様子も見せずに船を見渡す。
「それにしても珍しいですね、潜水艦とは。初めて見ましたがなかなかいいもんですねぇ」
でもこの黄色はなんとかなりませんかね、目が痛くなりそうだ、と暢気に感想を言うそいつの目的が分からず、シャチはただ武器を構えながらじりじりと間合いを詰める。
「あ、そうだ!」
そんなシャチに気付いているのかいないのか。
白衣の人物は思い出したように手を叩いてシャチを見る。
「白熊!喋る白熊、いるでしょう?案内してくれません?」
「は?」
ベポ、のことか?
「馬鹿野郎。案内するわけねェだろ。てめェ、何者だ」
一瞬呆気にとられたものの、気を取り直して威嚇するが。
「私?獣医です。急いだ方がいいですよ。じゃないとあの白熊…死にますよ」
笑顔で言われた言葉に、ひやりと背筋に冷や汗がつたった。
「てめェ…。密航すんなら船を間違えたな。生きて出られると思うなよ」
シャチ、と呼ばれる男に武器を突きつけられながら案内された先は船長さんの部屋。
「ほう。では、出ようとしなければ殺されないと言う解釈でいいですか?」
脅しの言葉に笑顔で返せば、一層目つきを鋭くして船長さんが睨んでくる。
「んなわけねェだろ。出ねえなら出ねえで海に叩き落すまでだ」
「おや、恐ろしい。いいんですか?私を殺してしまって」
そう言ったサイカを不審そうに見る船長さんに、シャチが口を開く。
「船長、なんかこいつ…ベポが死ぬとか…」
「なに…?てめェは自分で、ベポは食中毒だと言っていたはずだが」
船長さんの言葉に、サイカは肩をすくめて白衣のポケットから血液の入った試験管を取り出してみせた。
「先ほど、あの白熊くんからちょこっと頂いた血液です」
「それがどうした」
「いえ、ね。ちょっと気になる点があり、もう少し調べて見ました。確かに、あの風邪の症状は食中毒です。…が」
ちゃぷん、と血液を揺らしてサイカは少し眉をしかめた。
「あの白熊の首に妙な皮膚の変色が見られたのが気になって詳しく検査してみました。あの子、“酔眠病”に感染してます」
「酔眠病?」
「ええ。人間でもこの地域にしか見られない非常に珍しい病気でして。最近、この海域で首筋あたりを損傷しませんでしたか?」
サイカの問いに船長さんが顔をしかめたのを見て、頷く。
「酔眠病は、この海域にのみ存在する特殊な病原菌が頸部の傷から脳に侵入することで引き起こされ、体の免疫力を著しく低下させます。本来海の魚を食べて免疫があるはずの白熊が腸炎ビブリオで食中毒になったのもそのせいでしょう」
「…それで?」
「このままだと幻聴幻覚、体力の消耗などを経て最終的に衰弱死します。まるで酔いの中にあるように甘い幻覚を見ながら永遠の眠りにつく。だから"酔眠病”です」
サイカの言葉に、船長さんはちっと舌打ちをする。
「…対処法は?」
「ビタミンDの摂取、それからこの抗ウイルス薬の投与で治療していくことが出来ます」
サイカはカバンから注射器を取り出して見せた。
「要求はなんだ」
「はい?」
首を傾げるサイカに、船長さんが苦々しげに言い放つ。
「まさか、海賊のためにわざわざ自分の島を離れて密航したわけじゃねェだろ。ベポを治療する見返りに何を求めるつもりだ」
その言葉に、サイカはふふと笑みをこぼす。
「おや。人の親切心が信じられませんか?実はね、特に見返りを要求するつもりはなかったんですが」
サイカは船長さんの深い隈のある目を覗き込んだ。
「そう言って下さるなら、ひとつ。白熊くんの治療が終わるまで私をこの船においてくれませんかね?」
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