薬師、落下中。
―ヒュウゥゥウ…
「…?」
重力のままに落ちていく、と覚悟した私の思いと裏腹に突然がくん、と落下が止まる。
制服を少し生温い風がなびかせているのを感じて、恐る恐る目を開ければ…
「げ」
「『げ』とは失礼ですね。せっかく助けてあげたのに」
崖から身を乗り出して私の腕を掴んでいる的場がいた。
「…さっきの閃光と突風ってもしかしてあんたがあの妖を祓ったの?」
さっきまで崖の上にいた妖の姿は見えず、代わりに的場がいて、弓と矢を背負っているのを見て聞くと的場はうっすらと笑んで頷く。
「“あれ”はちょうどうちで追っていた妖でしてね。式にしようとしていたのですが術の最中に逃げられてしまいまして。術に失敗したせいで大幅に妖力が削られた“あれ”を式にするのは諦めたのですが、それなりに危険な妖なので後始末をするつもりだったんです」
その言葉に、私は口元を引きつらせる。
「で、怪我を負ったあの妖が私のところへ来ると踏んで張っていたってわけ?」
「いえ、それは偶然ですよ。まあ、可能性として考えてはいましたが」
にこりと笑んだ的場。
「ただ、ああいう輩を手当たり次第貴女に治されてしまっては困りますからね。勧誘しにきたんですよ」
的場に腕一本掴まれたちゅうぶらりん状態で的場の話を聞く。さっさと引き上げてくれないところがまた意地が悪い。
これでは、『話』とやらを大人しく聞くしかないわけだ。
しかし、こんな細そうな腕一本でよく私を支えられてるなぁ。
見た目はひょろいけどもやはり祓い屋としてそれなりに鍛えてあるんだろうか。
そんなどうでもいいことを考えている私に、的場が本題を口にする。
「的場一門に、入りませんか?」
「いやです」
考える素振りもなしに一刀両断。
まさに秒殺。
断られる予想はしていたのだろうが、あまりの即断にちょっと的場が目を見開いた。
「…理由を聞いても?」
「束縛されるのが嫌いだから」
これまたコンマ一秒も間をあけずに答えると、的場は私を見下ろしながらすうっと目を細めた。
「妖薬師は、祓い屋から嫌われていることは知っていますか?」
「まあね。ついでに私もあんたらが嫌いです」
「命の危険もあります。祓い屋からの刺客だけでなく、治療した妖に襲われる危険性も高い。それに、貴女には今身内もいないでしょう。…的場一門に入れば守ることが出来ます、人からも妖からも」
「へぇ」
「私は“敵”に対して容赦はしませんが、“仲間”は裏切りません。うちに来てくれればその身の安全は保障します。仕事についてはうちの傷ついた式をまわして報酬を払いましょう。どうです?悪い話ではないと思いますが」
私はにや、と笑ってみせる。
「…悪くないね」
「では…」
口を開きかけた的場に、私は言葉を被せる。
「でも、もしも私が断ったらどうする?このまま手を離して落とす?」
谷の間を一際強い風が通って、私の体を揺らす。
「…そうですね。この話を受けてもらえないなら、残念ですが…」
うっすらと赤みを帯びた双眸が私を試すように射抜く。
…が。
私は、ぷっと思わず吹き出す。
「?」
首を傾げる的場に、私はけらけらと声を出して笑う。
「はったりはよしなよ。あんた、妖に容赦はしなくとも人を手にかけることは出来ない」
「何を根拠に?」
表情を変えない的場に、私は一瞬微笑んだ。
「“仲間”を大切にする人がそんなこと出来るものか」
っていうかね、ほんとは見えていたんだよなぁ。
一瞬の閃光の合間に。
崖から吹き飛ばされた私を助けようと必死に手を伸ばしてくれたところを。
そして、もう一つ気付いてること。
それは…
「悪いけど、やっぱりその話、断らせてもらうよ」
「…妖相手に商売することがどんなに危険なのか、貴女はまだ幼くて理解できていない。彼らは人を惑わし、裏切ります」
「分かってるよ。でも、人が苦しんでるのは誰にだって見えるけど、妖が苦しんでるのには誰も気付かない。だったら見える奴がちょっとばかし手を貸してやったっていいんじゃないの?」
答える私に、的場は眉をしかめる。
「…なぜ、それほどまでに妖に心を奪われているのですか」
「心を奪われる?冗談じゃない」
的場の言葉に、私は鼻で笑った。
「妖のことなんか信じちゃいないし、好きでもない」
「ならば、なぜ…」
「なぜ?そりゃ、“妖薬師”っていう仕事が私の両親の唯一の形見だからだよ。それ以上でもそれ以下でもない。ちなみにさっきの台詞も母の言葉から引用しただけ」
話しながら、私は制服のポケットからメスを取り出した。
「ただね。人の陰湿さに比べりゃあ、妖の方が幾分マシな気がするのもホント。ま、五十歩百歩ってところかな」
あはは、と笑いながら私はそのメスを的場が掴んでいる方の腕の長袖にあてる。
それに目を見開いたのは的場の方で。
冷静そうな彼が焦ったようにさらに身を乗り出してくる前に、ビリリッと私は自分の服の袖をメスで切り裂いた。
「まぁ、私が生きてたらまた口説いてみてね。それじゃ」
破れた袖から腕が抜けて、私は谷底へ真っ逆さま。
重力に逆らうことなく落下しながら的場のいる崖を見る。
ああ、間に合ったようだ。
あの崖は、二人分の体重を支えるには心許なさ過ぎたみたいで。
すでにひびがそこかしこに入っていて、あのままだと的場が私を引き上げてくれたとしてもその衝撃で崖は崩れて二人とも転落してただろう。
私だって鬼じゃないんだ。
いくら祓い屋でも、自分を助けようとしてくれた人を道連れにするのは心苦しいっていう人間的な感情が私にもきちんと備わっていたみたいで。
まぁ、下は川だしなんとかなるかね。
…なるといいなあ。
そんなことをぼんやり思いながら、崖先で呆然としている様子の的場に向かって、私はひらひらと手を振ってあげたのだった。
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