薬師の失態。
「…困りましたね。話をしたいと言っただけなのに」
言葉とは裏腹に、的場の口元はうっすらと酷薄な笑みを浮かべていた。
「追え」
そう短く言った的場の後ろから、先ほどよりも多くの白装束に白面の式が現れ、彼女の後を追って行ったのだった。
「まじない。まじないわー」
草むらの影に身をひそめて私は呟く。
視線の先には、きょろきょろと何かを探しているように見えるたくさんの式。
あまり知能は高くないのか、包囲されたりということはないのだが、音には敏感に反応するところが厄介。
「木を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中ってねぇ。山を登るんじゃなくて人里に下りればよかった」
後悔先に立たず。あれ?後に立たずだっけ。
まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。
問題は“話”ごときでこんなにも式を動員する奴の意図だ。
これは捕まったらいけない予感がする。
そう結論づけて、私は式の目を潜り抜けながら山を降りることにした。が。
山から下りるための要所要所には必ずと言っていいほど式がたっていた。
奴らが自分でそんなことを考えるとは思えないから、あの的場とかいう奴の指示だろう。
彼に知られずに、山を下りるには…
私の足は自然と“そこ”に向かっていた。
「いや。無理。やっぱ無理だろ、これは…」
岩場の先に立ち、下を見下ろして私は溜息をついた。
そう。ここは崖になっていて下に流れるは流れの速い川。
しかも下までかなりの距離がある。
ここから命綱なしのバンジージャンプ?いやいや、紐がない時点でただのジャンプだろう。
そんな馬鹿げたことを崖先に立って考えていたからだろうか。
後ろからの気配に気づかなかった。
―ガシッ
突如、肩を力強く掴まれて私は驚いて振り返った。
そこにいたのは
「妖薬師どのですな…?」
体半分が火傷か何かでただれている、人型の妖だった。
「いや、だから今は無理なんだってば」
体半分をただれさせた妖は治療を頼みに来たみたいなんだけど、こっちも状況が状況だ。
「金ならあります…金ならあります…」
手のひらからじゃらじゃらと金の粒を出してくるが、いまさらそんなもので目の色を変える私じゃないし、治療を行える家に戻れないのを説明しても理解してくれない妖に頭が痛くなる一方だった。
それと、もうひとつ。
これは物心ついたころから妖と接してきた私なりの勘だが。
この妖は、やばい。
私だって、客ぐらい選んでいる。
じゃないと、治したはしから質の悪い妖に喰われるからだ。
こいつは、“人を喰ったことのある”妖だ。
いつもならそんな客よけのための薬を持っているのだけども、ないものを惜しんでも仕方がない。
口八丁か力尽くでか、どうにかして丁重におかえり願おう。
そんな私の心を読んだのか、妖の顔が変わった。
「おのれ、人め…!下手に出ておればいい気になりおって…!私の頼みが聞けぬのか!小娘!」
ただれた目を見開いて、口を大きく開ける。
やべ、喰われる…!
思わず手で頭を庇って目を閉じた私に予想した衝撃は襲って来ず、かわりに何かが風を切って飛んでくる音と、瞼の裏に眩しい光を感じた。
そして、突然の突風。
「ギ、ァアアァァア…!」
妖の断末魔のようなものを聞きながら、為すすべもなく私は崖から足を踏み外したのだった。
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