eight hop!
ぐいっと扉を頭で押し開けて外に出ると、夜風が顔を撫でるように通り過ぎていった。
冷たい風が酔った頭に心地よくて目を細めたが、同時に夜の街特有の甘ったるい匂いも運んできて更に吐き気が込み上げてきたので、とりあえずこの裏通りから出ることにした。
しかし、歩いて体が揺れると激しい吐き気をもよおすので、テトラは耳をぺたりと伏せ、しっぽを足の間に丸めて必死で吐き気と闘いながらただ地面だけを見つめてよろよろと歩いていた。
勿論、前を見る余裕なんてなかったから自分の行く手を阻む足の存在など知らなくて、突然何かにゴンッと頭からぶつかってしまった。
そして、頭に直接響く振動にとうとうこらえきれず、テトラはばたりと倒れた。
そんなテトラの首根っこを捕まえてひょいと持ち上げたのは、赤い髪に赤いもふもふのコートのお兄さん。
夜目にも映えるその人はテトラを持ち上げたまま赤い唇をにやりと歪ませた。
「面白ェ。でけェ猫が歩いてると思ったらこいつぁユキヒョウじゃねェか」
そしてそのままその人はテトラを抱えて歩きだした。
気持ちが悪くてぐったりしているテトラに抵抗する気力はなく、何でも良いから早くこの通りを抜けてくれないかなー、とそんなことばかり考えていた。
すると、願いが通じたのかその人は裏通りを抜けてあの賑やかな大通りに出てくれた。
まだ鼻の奥に残る香水の香りをかき消すように大きく息を吸うと飛び込んでくる芳ばしい香辛料の匂い。その匂いに触発されたのか、ぐるるるぅと盛大にお腹が鳴った。
少し恥ずかしくて自分を抱えているお兄さんの顔を見ると、案の定呆れた顔をされた。
「腹減ってんのか、オマエ」
お兄さんはそう呟くと、すたすたとある屋台まで歩いてこんがりと焼けた大きな骨付き肉を二本買って、また歩きだした。
片手でテトラを抱いて片手で肉を持っているのだから、当然テトラの鼻を良い匂いがくすぐる。
がぶりと肉に食いつきたくなるのをなけなしの理性で抑えて、必死に肉から視線を反らすテトラを見てお兄さんは軽く笑った。
大通りをそうやってしばらく歩いていくと、少し広い広場に出た。その広場の中心にある噴水まで行くとようやくお兄さんはテトラを降ろしてくれた。
まだ少しふらふらするが何とか立ったテトラはとりあえず吐き気を抑えようと噴水の水を飲んだ。
存分に飲んでしばらくするとだいぶ気分が楽になり、それに比例するように食欲がむくむくと湧いてきた。
思わずあのお兄さんが持っている袋に視線がいってしまう。
テトラが水を飲んで落ち着くのを噴水の縁石に座ってじっと見ていたお兄さんはその視線に気付いて、袋から肉を出した。
これはもしかして…!
期待が胸を占める。
そして期待通りお兄さんは肉をテトラの前に持ってきて…
「お手」
……は?
思わずお兄さんの顔をじっと見つめるが、よく見たらとても一般人とは思えない顔の怖さにびびる。眉毛ないし。
目付きの悪さはローさんに負けず劣らない。
しかし真っ赤な髪に赤い唇。
おまけに素肌の上に羽織った赤いもふもふコートという情熱的なスタイルはちょっと笑える。今日のラッキーカラーは赤色だとでも言われたのだろうか。
それともただ単に赤が好きなのかしら。
そんな疑問を頭に浮かべて必死に笑いを噛み締めている私にお構い無くお兄さんもとても楽しそうに唇を上げて肉を持ってる方と反対の手を差し出してきた。
これはやはりお手を催促しているのだろう。この人は自分を犬か何かと勘違いしてるのだろうか。
ユキヒョウにはユキヒョウのプライドというものがある。
そして、人の思い通りに芸をするのはそれに反するのだ。それがいくら食べ物のためだとしても。
そう断固たる決意を持って笑いを押し込めお兄さんを睨むと、お兄さんは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐににやりと不敵な笑みを浮かべて肉を自分の口元に持っていく。
「なんだ。いらねェのか。仕方ねぇな」
そして大きく口を開ける。その様子にためらう素振りはなく、テトラは瞬時に理解した。
(本気だ。この人本気で食べるつもりだ)
気付いたときには手が出ていた。
……いや、これはお手の手じゃない。
食べるのを止めるために思わず出てしまったのだ。
だが、手を出してしまったのは事実であり、それを待っていたこの人にとってそれは正真正銘のお手なのであった。
お兄さんはにやりと笑って肉を口から離した。
「最初からそうすりゃァいいんだ」
そうして、ようやく差し出された肉をちょっと不本意だったがテトラはやっと食べることが出来たのだった。
結局お兄さんから肉を二個も貰って、満足気に喉を鳴らす。
そんな私の頭に手を置いて撫でるお兄さんの手は暖かく、思いの外優しい手つきで気持ちが良かった。
首の辺りをマッサージするような程よい指圧にうっとりして知らず知らずのうちに頭が下がり、ついにはお兄さんの膝に顎を乗っけてふにゃりと寝そべってしまった。
満腹になると次に感じるのはあらがうことの出来ない強い睡魔。
一定のリズムで撫でるお兄さんの手に誘われるようにしてテトラはあっさり意識を手放したのだった。
「寝ちまったか」
顎を膝に乗っけたまますやすやと寝息をたてるユキヒョウを面白そうに見る。
こういった動物はもう少し警戒心が強いようなイメージがあったが。
まぁ、いいか。
キッドはテトラを起こさないようにひょいと抱き上げ、自分の船に戻るべく足を進めた。
「キッド。その猫はどうした」
船に着くと、キッドを待っていたらしいキラーがすかさず突っ込む。
「裏通りで拾った」
にやりと笑っていうと、キラーはため息をつく。
「また変なものを拾ってきて。まさか野生じゃないだろう。どうするつもりだ」
「さァな。だが面白そうだろう?」
キラーは再び深いため息をついた。
この、子供が悪戯を思いついたような顔のキッドに何を言っても無駄だということをキラーは知っているのだ。
「俺ァもう寝る。後頼んだぞ」
キッドは後ろ手に手を振って自分の部屋に入ってしまった。
眩しい光を感じてゆっくりと目を開けると、自分がベッドの上で寝ていることに気付いた。
(あれ、どうやって船に戻ったんだっけ)
寝呆けた頭で昨日のことを思い出そうとするが、どうしても肉を食べたところまでしか思い出せない。
まあいいか、とぐいーっと伸びをしてベッドから降りて外に出ようとしたところではたと気付く。
(あれ?扉の位置が変わってる…?)
慌ててぐるりと部屋を確認してみると、扉どころか部屋の内装全てが違っていてテトラはパニックに陥る。
何が何だか分からず、ぐるぐると部屋を回っているとガチャッと音がして扉があいた。
(ローさん!)
ばっと顔を上げて見ると、そこにいたのは昨日のお兄さんで。
さらに混乱する頭でお兄さんを見つめると、お兄さんはこっちを見てにやりと笑った。
「ようやく起きたか」
もう昼前だ、と呆れたように言うお兄さんの後ろからマスクをつけた金髪の男の人が片手に皿を持って入ってきた。
え?マスク?
そのマスクすごく視界が狭そうだけど大丈夫?と少しはらはらして見てたけど、その人は全く危なげなく動いてお皿を私の目の前に置いた。
「朝飯だ」
言われて皿を見ると、ミルクがなみなみとついであったので、考えるのは後にして有り難く頂くことにした。
お座りしてきちんといただきます、と鳴くとマスクの人は賢いな、と優しく頭を撫でてくれた。
それから、身を屈めてぴちゃぴちゃとミルクを飲んでいると二人の会話が聞こえた。
「キッド。街を調べてきたが見世物小屋等からヒョウが脱走したという話はなかったようだ」
「そうか。……キラー、てめえはどう思う?」
なるほど。あの赤いお兄さんはキッドさんでマスクの人はキラーさんというらしい。
キラーさんは少し考え込む。
「…やはり野生ではないだろう。この街はユキヒョウが生息するような環境ではないし、毛並みが良すぎる。なにより人に慣れすぎている」
「…だとしたら珍しい物好きのどっかの金持ちが遊びで取り寄せて飼っているペットってとこか」
「ああ。可能性的には一番あり得る」
どうやら私のことを話しているらしい。
だが、さすがに私が海賊団に所属しているなどとは思わないようで二人は見当違いな結論に至ってしまったようだ。
それが少し可笑しくて笑いを噛み殺しながら聞いていたが、次のキッドさんの言葉に思わず体が固まる。
「じゃあ、こいつを返す義理は俺達にはないわけだ」
「キッド。本気で飼うつもりか?」
「ああ。俺達は海賊だ。誰にも文句言われる筋合いはねェだろ」
その言葉に固まっていた体がハッと解け、テトラは頭を必死に回転させる。
キッドさん達も海賊?
なんてこった。これは良い状況とは言えないじゃないか。
このままじゃキッドさんちに飼われそうだ。
おまけによく考えたら自分は昨日から何も言わずにローさん達から離れてしまっているじゃないか。
もしローさん達が探していたとしたら…
ようやくそこまで考えるとサァッと頭から血の気が引いていく。
これは急を要する事態かもしれない。
テトラは飲みおわったミルクの礼を一声鳴くと、立って話しているキッドさんとキラーさんの間をすり抜け、開いているドアからサッと飛び出した。
こうなったら逃げるしかない。驚いたキッドさんが何か言っていたが聞いてる暇はなかった。
ごめんね。
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