閨秀の幻想

冬木から電車で新幹線も間に挟んで2時間、名前が生まれ育った土地へと帰ってきた。時臣の魔術指南は実にわかりやすく、しかもケイネスほど高圧的でもないため、やりあう必要がない分体力消費が少ない。よい修行期間を積めていると思う。それでも冬木の土地へと移ってから3か月、こんなにも親に会わないことがなかったからか、若干ホームシックになった。連休を利用して名前は帰省をしている。

「ガウェイン」
「はい」

私室。ここは親の目もない。両親とも魔術師の家系であり簡単な魔術は使えるものの、魔術には疎い。実に3か月ぶりにガウェインを実体化するにはちょうどいいのだった。
名前はベッドにポスッと座ってガウェインに呼びかけた。ガウェインもそれを合図に傍らに立って、実体化する。

「丸っと3か月か、ごめんね。久しぶり」
「いえ、問題ありません。マスター」
「マスターだめ、名前で呼んで!」
「えっと・・・、名前様?でよろしいでしょうか」
「様もいらない」

この家にいる時からずっと言ってきたでしょう?と言われて、ガウェインはそうですが、と言葉を濁した。
ガウェインはこの部屋以外で実体化してはならない、と最初に言われたときはその理由を察することができた。自分の存在を隠さなくてはならなかったからに違いない。名前の両親はどうやら魔術に疎いようだし、弟はやむなく存在は知っているものの名前程魔術に詳しいわけではないらしい。一般人に至ってはなおさらである。遠坂の家に移ってからは逆で、魔術師からガウェインの存在を隠さなくてはならなかったのだろう。たくさんの使い魔に紛れていたことからもなんとなく納得できた。
だが、今の状態にはいまいち納得ができない。

「なぜでしょう?」
「私が嫌だから」
「どうしてですか?」
「・・・敬語も嫌なんだけどな」

余計わからない。
名前はもじもじとして、核心を突かないしゃべり方だ。
ガウェインは名前の前に跪いた。

「どうしてもしてくれないの?」
「私にとって貴女は仕えるべき方、マスターに違いありません。そんなあなたに敬意を示すのは、私にとっては当たり前のことなのです。それをなぜ駄目だとおっしゃるのですか?」
「あーちがう!ちがう、の・・・」

何が違うのですか、と悲しそうな色を瞳に浮かべたガウェイン。
実に3か月ぶりに見たガウェインの姿に気を抜けば見惚れてしまいそうな名前では、そんな悲哀を浮かべられてはもう勝てない。頬が熱を持つのはどうしようもないこと。名前の視線は自然と自らの爪先に向けられた。

沈黙が部屋を包む。
ベッドに座った名前と、その前に跪いたままのガウェイン。間には魔力のパスだけ。まだ絆すら十分に築けていない。

それでも、名前は譲れなかった。初期に何とかしておかないと、この後に引きずってしまう。
主従であることに変わりはないけれど、堅い主従というのは名前の望むことではない。もっと、戦友に近い存在でありたい。名前自身がガウェインに抱いている恋慕の情もある、しかしそれとは関係なく前提として名前は王ではない。ならばより近しい間柄をと望む、それこそ友人のような。それには、今の段階でどうにかして関係性の基盤を作りたいのだ。
でも、ガウェインを納得させられるような言葉が、名前には浮かんでこない。余計押し黙ってしまう。

ガウェインはそうやって悩み込んで黙ってしまった名前を、アイスブルーの瞳でまっすぐ見つめ続けていた。

このまま黙ってしまっていても仕方がない、そう思っても名前は視線を上げることができない。

「・・・あの、ガウェイン」
「はい」

勇気をだして視線を上げた名前は、ガウェインのまっすぐな瞳に射抜かれた。
そして勇気を出したはずなのにそこで固まってしまった。どうしてか、そこで言葉が出てこなくなった。

「あ、あの」
「・・・」
「えっと、あのね」
「名前」
「・・・え?」

名前を呼ばれた、それだけだったのに、名前の心臓が大きく高鳴った。

「名前。私は貴女をそう呼ばせていただきます」

よろしいでしょうか?
そう問われて、必死にコクコクと名前は頭を縦に振った。
今まで名前の前に跪いた状態で微動だにしなかったガウェインだが、すっと手を伸ばして膝の上に置かれていた名前の右手を救い上げ、そしてその甲に口付けた。

「しかし、私は貴女にサーヴァントとして召喚されました。である以上、ある程度の言葉遣いはご容赦ください」

ふわりとほほ笑んだガウェインに、名前は安心し、触れていた手を強引に握ってやった。それは名前の精一杯の行動。今まで男など家族以外触れたこともなかった名前の、精一杯の強引さだった。


「ガウェイン、・・・ありがとう」


恥じらいながらはにかんで笑う名前に、ガウェインは王に向ける感情というより守るべき婦人に対する庇護の感情を抱きかけていた。それはいけない、なぜならこの人は紛うことなき自分のマスター、主なのだから。この少女の剣となり盾となり、ともに戦うこともあるだろう。
召還されてから今まででガウェインにもわかっていることがある、名前は強い娘だと。魔術に対する真摯な姿勢、戦闘訓練もし始めたらしい。彼女は守られるばかりの婦人とは違う、自分で自分のことは守れる強い少女だ。この庇護の感情は彼女に対して失礼だろう。

「私の忠節は、貴女だけに」

それでもガウェインは、名前を守る。
守るべき婦人としてではない。自分の仕える主として、戦友として少女を守るのが自分のすべきこと、そして名前の望むことだろう。

強引にとられた手を、ガウェインも強く握り返した。


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