不協和音が美しい


「私黄瀬はちょっと無理かも」

私のその発言は、同学年にいる現役モデルについてきゃらきゃら談笑していたクラスメイトの女の子たちの空気をぶち壊すには十分だった。
彼女たちは一瞬固まったかと思えば、すぐに殴りかからんばかりの勢いで私にまくし立ててきた。

「はああああ!?黄瀬くんが嫌いとか翠アンタレズじゃないの!?」

「イケメンだし優しいしスポーツできるし黄瀬くんこそ神に愛された男の子なのに!!」

私の肩を掴んでぐわんぐわん揺する友達。つい先程までの「黄瀬くん表紙の雑誌買った〜?」と鼻にかかった声で喋っていた人と同じとは思えない表情だ。


「き、嫌いとは言ってないよ!でも…」

自己弁護の後に続く言葉を紡ごうとしたとき、教室のドア近くで喋っていた私の視界にちらつく黄色。
廊下を歩く黄瀬涼太の姿を認めた瞬間、ヤバイと反射的に思ったが、すでに動いていた口は止まってはくれなかった。

「黄瀬、この前ファンの子のこと『バカ女』って言ってたんだもん」

生憎、ドアは全開だ。
自分の名前が聞こえたらそちらの方向を見るのは人間の性だろう。その生理現象に背くことなく黄瀬は私の顔を綺麗な瞳に映した。ああ、きっと全部聞こえたよね。
いいイメージを持っていない相手とは言え、悪口めいたことを面と向かって言ってしまったバツの悪さから、すぐに私は視線を逸らしてしまったから彼の表情は知らない。
ただ、廊下に背を向けていて黄瀬がいることに気づいていない友達からの怒涛の反撃に遭っている途中も、視界の片隅にはしばらく明るい黄色が捉えられていた。

黄瀬涼太は、学年一、いや学校一の有名人だ。モデルをしている傍らバスケ部のエースも務める完璧人間である。私も、つい最近までそういう認識でいた。
だが、ある時見てしまったのだ。「バカ女に群がられてもいい気しないんスけどねー」と男子生徒に愚痴っている黄瀬の姿を。
それが彼の本性の片鱗のような気がして、あまりいい印象を持てていない。彼の言うバカ女には、私はなりたくはない。
だが、その感情が黄瀬を不愉快にさせてしまったかもしれないのなら完全にこちらが悪い。私は彼から直接危害を加えられているわけではないのだから。



放課後になり、教室でひとり日誌を書いている最中も昼休みにしでかしてしまたことへの罪悪感は微かに心の中で灯っていた。
どうしよう、もし報復とかされちゃったら。で、でもでも、友達は黄瀬のこと優しいって言ってたし、ちょっと陰口言われたくらいで怒ったりしないよね!?
…と、膨れ上がる不安を覆い隠そうとする都合のいい思考は、教室の入口から聞こえてきた柔らかい声によってかき消された。

「あ、昼休みオレの悪口言ってた子だ」

思わず、ひっ、と声が漏れた。恐る恐る声がする方に顔を向けると、首から上をドアからひょっこり出している声の主。
言うまでもなく、黄瀬涼太だ。

「あっ…あの…」

焦りやら気まずさやらでしどろもどろになっている私を見てにっこり笑った黄瀬は、ゆっくりとした動作でこちらに向かって歩いてきた。
Tシャツにハーフパンツと、体操着っぽい服装をしている。部活中なのだろう、玉の汗が彼の顔にいくつか滴っている。でも、なんで部活中に校舎に。

「やー、タオル忘れて教室まで取りに来たんスよー」

あっさりとこちらの疑問を解決した黄瀬は、その歩みを教室の真ん中に位置する私の席の前で止めた。
彼の表情や空気からは、怒りの感情は窺えない。よかった、昼休みのことそこまで気にしてないみたい。だがこちらとしては気まずいので早々に退室していただきたい。

「ぶ、部活…早く戻った方がいいんじゃない?」

細い声でそう口にした直後。
バンッという音と共に、机の上に黄瀬の手の平が乗った。

「アンタさぁ…見かけによらず性格終わってるんスね」

揺れた衝撃で机上のシャーペンが音を立てて地面に落ちる。
彼の纏う空気が、一瞬にして変わった気がした。




「悪口言ってごめんなさい、は?」




先ほどとは打って変わって据わった目の黄瀬に怯えるばかりの私。誰だ、この人は。

「…ご、めんなさ…」

「こっちも仕事でやってんだからああやって言いふらされると困るんスよね。いつ聞いてたの?」

「先週……体育館の隣の踊り場で…」

「ハハッ、笠松先輩に部活中の見学者何とかしろって言われてた時っスね。まいったなあ、人居たんだ」

乾いた笑いを発して私の知らない名前を口にする黄瀬。話の内容なんてもう耳に入ってない。ずっと、脳内で危険信号が点滅している。この人、やっぱりイメージ通りの危ない人だ。

「か、帰る!誰にも言わないから!」

すぐさま日誌を閉じ、席を立つ。さっき地面に落ちたシャーペンを拾おうと屈んだと同時に、私は後悔した。
シャーペンなんて明日の朝早くに回収すれば良かった。今は一刻も早く、教室で二人きりのこの状況を打破するべきだったのに。
悔やんだ時にはもう遅く、黄瀬も私と同じようにしゃがみこみ、シャーペンを手に取ろうとしていた私の腕を掴む。

「帰す訳ないっしょ」

身長差から、必然的に黄瀬を見上げる形になる。つい先ほどまで部活に勤しんでいた彼の熱が伝わってくる。頬を伝う彼の汗が、私の頬に滴り落ちた。この距離は、悪口を言った相手を咎める距離じゃない。

「は、離し…」

「オレね、うじゃうじゃ寄ってくる女のことはバカ女だと思ってるけどアンタみたいな奴のことは嫌いじゃないっスよ」

する、と私の手首あたりを掴んでいた手が降りて指先へ触れた。そのまま黄瀬の手は私の指先や付け根をくるくると弄ぶ。ねちっこい手つきに、なんだか変な気分になる。

「、…っ」

「蒼井サン、って言うんだよね?日誌に書いてあったの見たけど」

「や、やだやだ、手…離してっ」

「蒼井サン清純派っぽいっスもんねー、こーゆー感覚初めて?」

「ぁっ…!」

喋りながらも私の手の周りを動き回る黄瀬の爪先が、私の手のひらをカリッとかすめた。
瞬間、自分の声とは思えない高い声が口から漏れる。
ああ、もうダメだ。
揺れる視界の中で、さっきぶりに見た黄瀬の笑顔を見てそう思った。
黄瀬の綺麗な顔がゆっくりと近づいてくる。

その蔑んだような目は、捉えていたから。
「バカ女」に成り下がった、愚かな私を。

「ハハ、やっぱ嫌いっスわ、アンタ」

馬鹿にしてるはずなのに、嫌に悲しそうなその声を聞きながら、私はゆっくり目を閉じた。




不協和音が美しい



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