足元に揺れるサクラソウ



 あぁ、これでやっとこのコロシアイ生活が終わるんだ。あんなに居た筈の仲間達も、今は片手で数えられるくらいになってしまった。……寂しく、なったなぁ。

 生き残りの中には、私が好きになってしまった人は居なくて。まぁ好きと言っても、彼を失ってから漸く気付かされた意味の無い気持ちなのだけれど。それでも凄く好きだったのだと、彼が居なくなってから嫌な程に自覚した。
 それは私以外の生き残った人達もそうで、皆この理不尽なゲームで大切で、大好きな人達を失った。
 それでも皆前を見て彼らの分も生きようと、足掻いてやろうと決意した。

 ……あぁ最期に、ここから出る前に彼の幽霊にでも一目逢えたら良かったのに。そうしたら、ちゃんと自身の想いを告げて、きちんと彼にお別れが出来たのに。
 彼は自身の計画の為に身体の一部さえ残してくれなかったから、その最期の姿さえ私達には見せてはくれなかったから。

 最期くらい、どんな形でもいいから貴方の姿が見たかったなんて未練たらしく思ってしまう。


 キーボ君が最期に壁を撃ち破ってくれたこの小さな世界を今から皆で出る。皆、思い想いの表情だ。無論、私も。
 そして皆一様に顔を合わせ誰からともなく一緒に壁の外へと1歩踏み出した、筈だった。

 そう、踏み出したんだ。
 その瞬間、視界が歪みに歪んで立っていられなくなった。正確には「私達」が倒れた。
 隣に居た春川さんが驚いた顔をしたのを見て、更にその奥に居た最原君も私と同じ様に倒れている様子が見えて、そこで私の意識は完全に無くなった。




 暗転からの眩い光。
 そんな光に耐えられなくなり目をゆっくりと薄く開いてみれば、そこは憎くも見慣れたあの学園だった。
 正確に言えば才囚学園の開けた野原の上、そこに私は横たわっていた。目の前にはあの校舎、近くには見慣れた寄宿舎があった。

 ────可笑しい、この学園はキーボ君がめちゃくちゃに破壊してくれた筈。
 それなのに私が今居るこの場所は何も無かったかの様に綺麗で、あんな破壊の跡なんて何処にも見当たらない。先程までの光景が夢だったと言われた方がしっくりくる程にこちらは平和で、憎たらしい程にのどかだ。
 それでも、あの出来事が夢だと思いたくても紛れもない現実だと深く深く私の脳内にこびり付いていて、あれは紛れもない本物であったのだと意識に焼き付ける。

 では、あれが現実だったのであれば、ここは?……夢、なのだろうか。しかし夢ならば、何故倒れる寸前までの記憶が鮮明にあるのだろうか。
 そして草の感触、空気、五感で感じる全てがリアルすぎる。夢と一言で片付けてしまうには、不信感を抱き戸惑ってしまう程に。


 兎に角、いつまでもこのまま思考の堂々巡りをしていても仕方ない。私は誰かが周辺に居ないかを探す為、立ち上がる。
 その瞬間、私は目の前の光景に目を見張った。それこそ、例えではなく本当に目玉が落ちるかと思う程に。

 あの時、確かに死んだ。彼は、確かに死んだ筈なのだ!それなのに死んだはずの彼が平然と、軽々と、何も無かった様にそこで歩いて居た。
 幸か不幸か、私が居る位置からは少し遠くに居た彼はこちらに気付いていない様だった。
 あの特徴的な跳ねっけ癖毛の頭、拘束具が付いているような真っ白な服、首元のチャームポイントとも言える白黒の市松模様のスカーフ。見間違えるわけが無い、皆を色々な意味で振り回しまくった超高校級の総統、王馬小吉その人だった。


 私は信じられない目の前の光景に、立ったばかりの体をその場に力なくへたりこませてしまった。
 これでは立ち上がった意味が無い。いや正しくはあったのだけれど、と思いながらも頭の中は絡まった毛糸玉のごとく混乱していた。

 だ、誰か、私以外にあの凄惨な出来事を覚えている人は居ないのか。
 例えば生き残りメンバーとか……そういえば最原君も私と一緒にあの時倒れていた気がする、彼なら望み薄ながらも確率的に記憶持ちかもしれない。

 そう思い至った私は、力の入らない足を叱咤してもう一度立ち上がると最原君を探しに校舎へと足を進めた。




 さて取り敢えず校内に入った訳だが、もし最原君が私と同じようにここに居るとしたら、行先は何処だろうか?一番可能性があるとすれば、研究室か図書室が上げられる。何なら自室という可能性も無くはない。……それこそ、先程は寄宿舎と目と鼻の先だったのだから、最初にきちんと確認してくれば良かった。

 ……まぁ、まずは無難にここから一番近い図書室へ行こう。図書室は彼にとっても、色々と複雑な場所だ。大切な人を失うきっかけとなり、首謀者の隠し部屋へと続く場所。
 それも踏まえて、一番の確率が高いと思ったのだ。

 あとこれは私情だが、彼の研究室にだって居る確率は高い。が!場所は一番上の階だから遠い、ぶっちゃけてしまえば物凄く疲れる。それに今その場所が開いているとも限らない、なので妥当に前回でも最初から開いていた図書室からというわけだ。


 そんな事を思いながら階段を降りれば、すぐ図書室に着いた。念の為、前回この部屋にあった隠し扉も念のために確認しようと思う。
 ガチャリ、と重めの扉を開けば、そこには思わぬ先客がいた。
 だが、その先客は残念ながら私が探していた人ではなかった。……その先客は王馬君だった。

 私はその姿を認知した瞬間、回れ右をして瞬時に扉を閉めてしまった。そう、閉めてしまったのだ。身体が勝手に動いたというか、完全なる条件反射。本能、みたいな。
 流石に扉がしっかりと開いたので彼はこちらを一瞥していたし、目もバッチリ合った気がする。
 何となく、まだ現状何も解決していない状態で、彼と接触するのは危ない気がする。色々と要らないボロが出そうで……よし、取り敢えずこの場から今すぐ逃げようそうしよう。

 そう思い一歩踏み出した瞬間、私の重心が何かに引っ張られるように後ろへグラリと傾く。
 そう、引っ張られたのだ。いつの間にか扉を開けてそこに立っていた王馬君に。


 ギギギギギ、とまるで錆びたブリキのロボットの様に後ろを振り向けば、ニコリと見た目は可愛い笑顔をした内面大魔王が私の服をしっかりと掴んで立っていた。……多分見た目詐欺ってこういう奴の事を言うんですよね、分かります。
 王馬みたいな嘘を付くことが日常茶飯事みたいなタイプは、生半可な嘘では簡単に見破られる。後は単純に嘘がバレた後の王馬が怖い、何をされるか分かったもんじゃない。
 ここは半分嘘、半分本当の事を良いながら突破するしかない。全てが嘘という訳ではないからギリギリいけるはず……!

 あー……神様、何故最初から難度ノーマルやハードを通り越して難度レベル鬼なんでしょうか?何なのこの試練、畜生!神様、ちょっと理不尽過ぎやしませんか!!


「あー……えっと、何か……?」
「えー?何か用があったのは完全に君の方でしょ?何か俺と目が会った瞬間、すぐに出ていったけどさぁ」
「その……不快にさせたのならごめん、少し静かな場所で一人になりたくて場所を探して此処に来たんだけど、貴方が居たから驚いて」
「…………ふぅん?」


 っあーーーー!怖い、何なのそのふぅん?って!!
 でも嘘は言っていない、ビックリして条件反射で扉を閉めたのは本当だ。だからその何かを探るような目を今すぐに辞めていただきたい、何もしていないのに要らぬボロが出そうだ。
 それに少し話してみて思ったが、やはりと言うべきか、彼とは初対面という事になっているらしい。私が彼を一方的に知っていて、彼は私の事を何も知らない。……何となく分かってはいたけれど、少し寂しい。
 私が一人そんな感傷に浸っていると、不意に未だに掴まれている服をクンっと引っ張られてねぇねぇ!と元気よく声をかけられた。


「取り敢えず、まずはお互いに自己紹介でもしない?君とかお前とかじゃ呼びにくくて仕方ないよー」


 私はそれもそうだね、と自身の自己紹介を述べた。名前、才能、その他諸々それなりに。まぁこの情報は生徒手帳で確認できるんだけど。


「へぇー、じゃあ今度は俺の番だね!俺は王馬小吉、超高校級の総統なんだー!」
「……そうなんだ、それじゃあ私は君の事を総統とでも呼ぼうかな、よろしくね総統」
「えぇ!?そう呼んで良いのは俺の部下達だけなんだよ!?なんてね、嘘だよ!うんうんよろしくね!苗字ちゃん!」


 そんな軽い自己紹介をした後、私は逃げるようにその場を後にした。
 これ以上王馬君……総統と一緒に居ると、この口が何を言うか分からない。それに自分自身の中にある気持ちを、この今にも溢れそうな感情を抑えられる自信が今の私には無い。このままでは総統に王馬君を重ねてしまう、それは両者に失礼だ。例え同一人物だとしても、今の総統は私の事を一切知らないのだから。


 そのまま行く当ても特に無く、次は最原君の研究室かなぁなどと思いながら歩いていれば、不意に何処かの扉が開いた音がする。
 地下から登った一階の階段付近には教室しかないので、どちらかの教室だ。そう思い前を見ると、丁度手前の教室から最原君が出て来た所だった。

 探し人現る!ってやつだ。さっきの強制鬼畜エンカウントは、彼と出会う為に必須だったのだろうか?それが本当なら、何という鬼畜ゲーだ。
 あの時あの場から去っていなければ、総統に玩具にされて、ここで最原君を見つける事は叶わなかっただろう。こんな事を言うと誰かを思い出すが、幸運だね!私はツイてるよ!!

 だがここまで来て、喜び浮かれていた私はハッとなる。
 もし、最原君が記憶持ちでは無かったら?その場合私は、初対面の最原君の中で変なことを言う変人扱いとなる。それだけは避けたい。彼はあのメンバーの中でも比較的常識人だから、避けられたりしなくない。
 というか、記憶持ち以前の問題で何て声掛けたら良いのだろう?こんな時、他の人だったらどうやって話しかけるのだろうか……知っている人なのに人見知りの様な状況が発生するなんて思いもしなかった。

 一人で百面相みたいな事をしていれば、ふと彼がこちらを向く。その瞬間、私は考えた事が全て吹っ飛び、後先考えずにただ彼の名前を呟いてしまった。


「……さい、はらくん」
「……え、っと、」


 私に名前を呼ばれた彼のその反応を見た瞬間、やってしまったと思った。私は脳内で頭を抱えて膝から崩れ落ちる。
 だって、どう見ても彼のこの反応はえ?誰?って感じじゃないか。どう見ても初対面ですって感じじゃないか!!

 私は現実でも膝から崩れ落ちそうになるギリギリのところで踏ん張って、弁明する為に口を開いた。が、彼の方が数秒早かったらしく、彼の言葉が先に私の耳へ届く。


「あの、これから変な事を言うから違っていたら忘れてほしいんだけど、もしかして苗字さんは記憶があるの……?」
「さっ、最原君……!最原君もあるんですか!?」
「あ…良かった、間違ってなかった……!此処に来る前に君も一緒に倒れていたのが見えたからもしかしたらって思って、聞いて正解だったよ」
「やっぱり最原君は裏切らない……流石最原君、ありがとう……」
「えっ?」
「ううん、何でもないよ!」


 つい安心して拝む様な言葉が口から滑り落ちてしまったが、すぐさま誤魔化した。

 お互いに記憶持ちという事がすぐに分かり、取り敢えず誰にも話を聞かれないよう教室に移動する。現状把握の為、ここで会うまでの事を話し合うことにした。
 と言っても、最原君の方もあまり時間は経っていないらしい。前回と同じ所からのスタートで、これまた同じ様に赤松さんと一緒だったそうだ。そんな彼女はというと、今はラウンジの方で挨拶がてら他の人達と話しているらしい。
そして最原君の落胆や安堵様等の複雑な表情からすぐに分かってしまったが、赤松さんは記憶持ちでは無かった。

 まだ決めつけるには早いかもしれないが、前回の記憶持ちはあの時に倒れた私達二人だけなのかもしれない。


「……それじゃあ苗字さんが最初に会ったのは、王馬君だったんだ」
「まさか出くわすなんて思いもしなかったよ……また、彼と話せるなんてね」
「……苗字さん、君は……」
「あ!そうだ最原君、赤松さんの事で何か相談事があればいつでも頼ってね!応援してるから」
「っうぇ!?なんっ、えっ!?」
「だって君のそれは純粋なものだから……報われてほしいんだ、それに…さっきからソワソワしてるの気付いてる?」
「そ、ソワソワ……!?」


 私がそう言うと、最原君は顔を赤く染めて口をパクパクさせた。わぁ、金魚みたい。
 それにしても本当に彼は無意識だったようで、ある意味凄いなと思った。これだとすぐに彼の気持ちが彼女以外にバレるだろうなと思いながら、最原君の肩を応援するように軽く叩いた。
 それにこれは私の勝手な自己満足でもあるから、私の分まで彼にはその想いを叶えてもらって幸せになってもらいたい。
 後、ぶっちゃけてしまえば最原君って見てて何か凄く応援したくなるのだ。不思議……。


 暫くして色々話が出来たし取り敢えず移動しようという話になり、赤松さんが居るという食堂へ向かおうという話になった。

 それじゃあ行こうかと、ガラリと扉を開けた途端、何かが勢いよく此方の方へ飛び込んできた。
 その時に扉を開けたのは幸か不幸か私で、不意打ち過ぎる出来事を対処出来ずに飛び込んできた物に押されるように後ろに倒れてしまう。

 うわ、最悪だ。少し後ろには最原君が居たというのに、凄く格好悪い所を見せてしまった。
 それとも、ぶつかり倒れたのが最原君じゃなかったのを喜ぶべきか。(まず最原君の場合は転ばなかったかもしれないが)そんな事を思いながらこの状況から早く脱したいと思い、身を起こそうとしたが何故か全く起きれなかった。
 何これ超重い、私の腹部に何が乗ってんの?そう思い首を動かして見てみれば、それは白黒の見覚えのありすぎるシルエットが目に映った。


「いっ、たぁ……!なに、いきなり何なの……!?」
「だっ大丈夫!?って……モノクマ!?」
「ちょっ、重い!何この重さ、モノクマってこんなに重かったの!?」
「失礼しちゃうなぁっ!ボクの身体はそんなに重くないよ!!全くも〜……ボクのキュートなイメージが台無しになっちゃうだろ!!」


 そういうとモノクマはプリプリと、ある意味見目に合った怒り方をしてみせた。それに私は呆れて溜め息をつく。


「元々そんなイメージ無いし……それより早く退いて、じゃないとモノクマの体重はウン百キロって言いふらしてやる」
「うっわ、苗字さんってば脅してきましたよ……あー最近の子は怖いなぁ、あることない事すーぐ言うんだから。あー、ヤになっちゃうなぁー!」
「いや偏見過ぎるでしょ……というか本当に何しに来たの?後、早く退いてってば』


 そう言えばモノクマはショボーンと自分で効果音を付けながら、渋々というように私の上から退いた。漸く起きることが出来た私は、服に付いた埃をパタパタと払いながらモノクマを見やる。
 すると私達から視線を集めたモノクマはこちらを見るとニヤニヤと笑って、聞きたいことあるんじゃないの?あるよね?ありますよねぇーえ?と体をくねらせて煽ってきた。

 ……正直凄く、ウザかった。最原君も同じだったのか、顔がゲンナリとしている。
 モノクマが言っているのは私達の記憶の事だろう、それと皆やこの学園の事。今の私達に聞いてくるとしたら、それしかない。
 最原君も同じ事を思ったのか、モノクマに問いかける。


「……ここは何なんだ、今度は一体何が目的なんだ」
「やだなぁ、ここは君達がよーーーく知っているでしょ?だって、ずっとここに居たんだから!」
「それは、僕らの知っている才囚学園と一緒という事か?じゃあ何で此処はこんなに綺麗なんだ、っ何で!!皆も生きてるんだ……!」
「ハァ…!ハァ…!質問攻めだなんて最原君も攻め攻めになりましたなぁ!……ハイハイ、言う通り此処は君達の想像通りの才囚学園だよ」


 綺麗になったのはまぁ、ボクが色々頑張ったからね。ボクとアイツらがなんで生きてるかは企業秘密だからさぁ〜、ゴメンね?

 そう答えるとモノクマは、ぶっひゃっひゃっひゃっと独特の笑い声を上げた。
 モノクマの話を信じるならば、此処は私達の記憶にある才囚学園で間違いないらしい。……だが、他のみんなが生きている事が企業秘密ってなんだ。本当にコイツは何なんだ。
 私は、最原君が聞かなかった記憶の方を聞いてみることにした。


「ねぇ、それじゃあ私と最原君のこの記憶は何?まさか偽物?」
「まっさか!本物に決まってるじゃん!それはあれだよね、よく聞くクリア特典ってやつ」
「クリア特典?」


 そ、たまたまランダムで君達二人だったってだけだよ。まぁ、その記憶で精々この後を有利に進んでくださいな!うぷぷぷぷ!

 そういかにも楽しそうに笑う白黒の人形に嫌悪感を抱きながら、次の質問を投げかける。


「……それじゃあ一つ聞くけど、この記憶って消せたりする?一部でも構わないから、答えて」
「苗字さん!?」
「別に不可能ではないけどさぁー……なぁに?苗字さんはその折角の記憶を消しちゃいたいの?」
「……それは、感情の一部でも可能?」
「えっスルー?……ハイハイ出来ますよ、ていうかそんなに消したいとか逆にどんな感情なのさ!その感情にちょっと同情しちゃいそうだよ!!」
「同情なんてそんなもの要らない、私が消したいのはもう必要の無い恋愛感情を含むものだから」
「っダメだよ!それは、それだけは絶対に駄目だ!!」


 私がそう言うと、珍しく大声で隣に居た最原君に怒られた。そしてこれ以上モノクマと話させないというようにグイッと私の腕を引っ張り、教室を飛び出す。あぁ、まだ聞けてないことあったのに。
 後ろからモノクマが、後少ししたら体育館に集合だからなー!?ちゃんと来なきゃオシオキしちゃうぞー!?と、大声でこちらに叫んでいるのが聞こえた。ぼんやりとする頭で気紛れに後ろを見れば、そこには怒った様にピョンピョンと跳ねている白黒の人形がやけに遠くに見えた。

 前を走る最原君は当初の目的である食堂には行かず、モノクマが言っていた体育館にも行かず、辿り着いた場所は外の藤棚があるベンチだった。
 息を切らしながらチラリと最原君を見れば彼もそんなに体力が無いようで、手を膝について息を切らしていた。暫くして二人の息が多少整った頃、最原君がそっと口を開く。


「……さっきのはダメだよ、それは、やってはいけないことだ」
「……分かってる、これが逃げるっていう意味でも、私の中で彼がもう1度死ぬのと同じだって」
「苗字さん……」


 っそれでも!重ねてしまう位ならいっそ無い方がマシなんだよ……!!

 耐え切れずにそう言ってしまえば、最原君が哀しそうな顔をする。……君はどこまでも優しい人だね。
 最原君も絞り出す様に、僕もだよ、と。そして僕らの記憶と完全に重ねないなんてきっと無理だと呟く。しかし強い意志を宿した瞳でこちらを見て、それでも!と口を開く。


「それでも両方とも同じ人なんだ、原理はどうなっているのかは分からない……だけど皆は此処に居る、存在してるんだ、どうかそれを否定しないであげてほしい」
「……否定、なんて」
「……多分苗字さんが気付いてないだけで無意識なんじゃないかな、自己防衛というか……勝手な憶測だけど君の中の彼を守りたかったんだと思う」
「あ……」


 彼にそこまで言われて、頭の中の靄が晴れるようにストン、と腑に落ちた。
 私は気付かないうちに、記憶の彼を守っていたのだ。忘れてしまわぬように、ここに居る彼にそれを上書きされぬ様に。勿論そんなに簡単に忘れられるような記憶ではないけれど、心の何処かではそう強く思っていたんだ。
 最原君はそれでもここに居る彼女をきちんと、どんな形であれ受け入れたんだ。両方とも彼女には変わりないから、と。

 ……あぁ、最原君は本当に綺麗で眩しいね。その光で目が霞みそうだ、その証拠に前が霞んで目の前が見えずらい。
 あれ、最原君が慌てだした。どうしたんだろう、さっきまであんなにキリッとしていて格好良かったのに。

 そんな事を思っていれば、目の前にスッとハンカチが差し出される。私は訳が分からず首を傾げれば、暫く困った様子の最原君が意を決したようにそのハンカチを私の目元にそっと当ててきた。
 優しくポンポンと当てられて最初は何事かと思ったが、そのハンカチが何度か触れていくうちに多少湿っている事が分かった。目元に手を持っていけば、指に水滴が付いた。それを見て漸く自身が泣いたのだと、今更ながらに気が付く。

 霞んでいたのは最原君が眩しいからではなく、実際に潤んで見えなかったのだ。
 それが分かった瞬間、猛烈に恥ずかしくなり私は両手を顔に当て俯いた。その時、最原君がもっと慌てだした気配が感じ取れたが、今の私には顔を上げる勇気は毛頭無い。


 ごめんね、最原君。……ありがとう。







サクラソウの花言葉
少女の愛、初恋、青春の喜びと悲しみ、顧見られない美、勝利




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