これ の善逸視点。




 昔、俺の色を真正面から褒めてくれた子が居た。その子は心から俺の髪や目を褒めてくれて、その時聞こえてくる音はとても優しくて心地が好いものだった。勿論その子の普段音も心地好くて、炭治郎に負けず劣らずにずっと聞いていたいと思う音を鳴らしていた。
 例えば炭治郎が安心なら、彼女はエネルギー源。俺にとって心の癒しであり、支えだった。それくらい、いつの間にか俺の中で無くてはならない存在に彼女はなっていた。

 けれど、当たり前が崩れるなんて一瞬だ。鬼殺隊に属していた俺はそれをよく分かっていた筈なのに、それでもいつまでもこうして皆と笑いあって居られると思っていた。馬鹿だと思う、でも本当に心の底からそう思っていたんだ。
────彼女は任務で、俺達の応援が寸でのところで間に合わず死んだ。俺の、目の前で。自然と目に焼き付いた最期の彼女は、幸せそうな、満足気な顔と音を鳴らして幕を閉じた。
 俺は、あの最期を許していないし、間に合わなかった自分も許さない。彼女がどれだけあの時満足していようが、俺は彼女に死んでほしくなかった。死にたくないと、一言でも言ってほしかった。そんな音を少しでも鳴らしてほしかった!!……俺を、置いていかないでよ。まだ君に伝えたかった言葉すら口に出来ていなかったのに。それすらも、最期の君は許してくれなかった。

 だからもし来世があるとして、そこで運良くまた巡り会えたとして。
 俺は一生俺と彼女を許さないし、離れない。絶対に俺より先に死なせてなんてやるもんか。しがみついてしがみついて、どんなに嫌われたってへばりついてやる。……もし叶うのなら、気持ちだって伝えたいけれど。それはちゃんと次出会えたらだ。

 その後、俺もそこそこ人生をそれなりに全うして幕を閉じた。




 現在、令和。俺はまたこの世に産まれた。だが何故か俺の運命は決まっているのか悲しい事に両親は居らず、施設に居るところをじぃちゃんに引き取られて今の家に住んでいる。何ならその家には兄弟子だった獪岳も居て、こちらでも彼は俺の兄貴という立場になった。でも変わらず兄貴と呼ぶと嫌そうに舌打ちはされるし怒られる、何なら酷い時は手が出てくる。そういう所もお変わりない様で本当に何よりだよ!全くもう!!
 だが俺も前世とは違いやられっぱなしの案山子では無く、反撃をしている。そしてヒートアップし過ぎた挙句、二人してじぃちゃんの拳骨を貰うのが俺と兄貴の今の日常。不服そうな顔をする兄貴だけど、表情も音も昔に比べたらずっと穏やかになっていた。……今度こそ、この人達には幸せになってほしい。

 そして、何よりも嬉しかったのが、家の隣がまさかの名前の家だった。年齢も前と変わらず、一つ違い。その時は飛び跳ねる程に喜んだ、兄貴からは奇妙な物を見る目で見られてドン引きされたけど一切気にしない。だって、ずっとずっと会いたかったんだ。正直、確率的に無理だと何処かで諦めていたんだ。でも会えた、じぃちゃんや兄貴ですら奇跡だったのに、彼女にも会わせてくれた。ありがとう神様、今世からはそれなりに信仰します。
 だけど一つだけ、俺達にはあって彼女には無かったものがあった。

 記憶、前世の記憶だ。俺は物心付いた時からあったし、再会出来たじぃちゃんと兄貴にもあったから、顔見知りは全員あると思って疑わなかったのだ。馬鹿だよねぇ、俺。
 だから名前が覚えていない事が分かって、絶望した。今思うと自分でも引くくらい落ち込んだ、別に名前は何も悪くないのに。逆に俺達の様なケースが稀なのだ、大体の人間は前世の記憶など持っていない。なんならそうそう思い出しもしない。その通り、彼女の記憶は高校に上がった今でも戻る気配は無かった。


 今の俺は彼女の幼馴染、兼世話係を彼女の両親から任されている。今名前の両親は海外出張で居らず、擬似一人暮らしとなっているのだ。そして何故ご両親が俺、というか隣の桑島家にそんなお願いをしたかというと、それは彼女の生活能力に問題があった。
 前世での事は知らないが、今世の彼女の生活能力はまぁ低かった。朝は弱いから誰かが起こさないとずっと寝ているし、身なりも最低限の底を尽くしただけ、ご飯だって放っておけばコンビニ弁当ばかり。確かに今のコンビニ弁当は栄養とかに配慮されてはいるけれど、好みで食べる物が偏るのは事実。
 なので俺は毎日彼女の家で朝食を作ってから名前を起こす、そして名前が色々と用意を整えている間にお弁当を完成させて、最後にそれを彼女の鞄に入れるまでが毎朝の俺の仕事だ。……いや本当、自分で言っちゃうのもあれだけど何か滅茶苦茶尽くしてない?俺。まぁ全然嫌じゃないんですけどね!

 で、今日もいつもの如く身なりを最低限にしかしないから口を出せば、逃れる様に名前はバタバタと部屋に戻って行った。そう、ここまではいつも通り。制服をしっかりと着て、鞄を持ったいつも通りの彼女が階段から降りて来る筈だった。


「おまたせ」
「あ、やっと来た!全く遅刻する……よ……」


 パタパタとやって来た彼女の方に向き直った俺は、それ以上言葉を発せなかった。だって、それだけの衝撃を彼女が持ってきたのだ。
 部屋に引っ込む前までは絶対に無かった物、彼女の髪の毛にキラキラと輝いて存在を主張するソレ。名前が、俺の色だと褒めてくれた色。どうして?何で急にヘアピンなんて付けようと思ったの?しかもその色、どうしてその色にしたの。……覚えていない君が、その答えをくれる筈が無いのに、それでも俺は。


「善逸?」
「えっ、あっ、いや何でもない!」


 魅入って呆け過ぎたのか、訝しげな表情でこちらを見やる彼女に慌てて俺はなんでもないと首を横に振った。でも明らかに動揺した内心は、そう簡単には元に戻ってはくれない。ギクシャクとした動きで、どうにか俺は登校した。正直、今日の登校中の名前との会話は殆ど覚えていない。唯一覚えているのは、学校に着いてからも様子の可笑しい俺を心配して保健室を勧めて来た彼女に大丈夫と言った事くらい。
 だって本当に何処も悪くないのだ、逆に今の名前を自分の目の届かない場所に送る方が俺のメンタルが色んな意味で死ぬ。

……だって、何でヘアピン一つでそんなにも可愛くなっちゃうんだよ、お前。


「え、何?」
「いや……何ででしょうね……?」
「はぁ?」
「いやだって俺にも本当に分からないんだよ!咄嗟に何故かこうなったんだよォッ!!」


 パシリ、と自身の教室に向かおうとする彼女を咄嗟に止めてしまった。何故急に自分でもそんな行動を起こしたのか分からず、首を傾げる。だってこれじゃあ彼女が授業に遅れてしまう、学校なら目が届かない場所じゃないのに。驚いた顔をして振り向いていた彼女は、そんな俺の迷子の様な顔を見てドン引き顔に変わっていた。辛い。
 それに耐えられず、縋り付く様に名前の腰付近にしがみついて、これでもかと喚き散らした。周囲の視線なんて知るもんか、俺にとっては今更なのでこう言うのは自分でもどうかと思うがそこまで痛手じゃない。それにこれくらいでお前を止められるのなら安いものだ。

 だが隙をついた瞬間、するりと俺の拘束から逃れた彼女は素早く自身の教室へと向かってしまった。……午前中は良い、お昼だ。お昼に絶対とっ捕まえてやる。そこで、あのヘアピンの真相を絶対に聞いてやる。
 後でクラスの奴に聞いた話だと、俺は午前の授業中ずっと怖い顔をしていたらしい。


「おいコラ逃げんなァッ!」
「ヒェッ」
「名前は良い子だからコッチ来るよね?というか来い」
「えぇ、やだもう何その脅し方……」


 四時限目が終わり、速攻で名前のクラスに突撃した俺は分かりやすく逃げようとした彼女を大声で呼んだ。おいヤメロその顔、本日二度目のドン引きをするんじゃないよ。
 計画通り昼休みに幼馴染をとっ捕まえた俺は、彼女と話が出来る場所へ連れ出した。普段のお昼は炭治郎や伊之助達と食べているが、前もって今日は俺達は無理だと言ってある。だから大丈夫と名前に言ったら何が大丈夫なの、と余計に困惑されたけど。

 そして漸く聞けた答えは、端的に言えば気まぐれ。普段から俺や友人に身なりに気を使えと言われたから、丁度良く友人に誕プレで貰ったヘアピンが目に止まり身に付けたのだという。
 んもぉぉぉ、何それぇ……!いやまぁ、この子の事だからそんな事だろうとは思ってたけどさぁ!駄目だ、自分の体から一気に力が抜けたのがよく分かる。今の俺は相当呆けた顔を彼女に晒してしまっている事だろう。
 しかも何でよりにもよってその色、そんなの色々と誤解するに決まってるじゃん。……俺の色って言ってくれた君がその色を急に身に付けたら、期待するに決まってる。

 はぁぁぁ……と深い深い溜め息を吐いていれば、ふとヘアピンを何故か取ろうとしている名前の姿が目に入った。


「待って待って待って!何で外そうとしてるの!?」
「いや何色付けたっけと思って」
「あっ覚えてないのね!別に意識して選んだ訳じゃないのね!!」
「だからこうやって確認しようとしてるの」
「よぉし鏡見ようか!」


 外してほしくなくて必死に止めれば、更に彼女の口から衝撃的な言葉を聞く羽目になった。何色付けたか覚えてないのかよコイツ、マジで言ってる?嘘過ぎない??俺の純真な心は弄ばれた気分だよ、このお馬鹿さん!
 若干虚しさで泣きそうになるのを耐えながら、俺は鏡のある女子トイレに彼女を押し込んだ。彼女は手鏡とかどうせ持ってきてないだろし、予想通りそれはビンゴだった。

 名前が確認している間、色々な事に一度整理をつけたくて壁にもたれかかる。コツ、と軽く頭が壁に当たる音がしたが、今はそんな些細な事は気にしてられなかった。……ホントもう、何なのあの子は。昔から、俺の心情を無意識に振り回すのが上手すぎる。
 もう一度大きな溜め息が出そうになっていれば、バァンッと大きすぎる音を立てて女子トイレの扉が開け放たれた。いや俺の鼓膜殺す気?不意打ちすぎて、情けなくも悲鳴上げながら飛び上がっちゃったじゃんかよ!
 バクバクする心臓の辺りを抑えながら、一体どうしたんだと出て来た名前の方を見れば、彼女は何処か焦った様な雰囲気で音も何処か警報に似たベル様な音を鳴らしていた。
 不思議に思い、理由を聞いてみても何でもないの一点張り。何なら、何故か俺は訳も分からず罵倒される羽目になった。いや理不尽過ぎか??

 そうして暫く理由の分からない興奮をしていた彼女が、唐突にピタリと止まった。その顔を伺えば何かを思案しているようで、随分深く潜ってしまった様だった。現に、今俺が声をかけても返事を返さない。でもこのまま放っておく訳にもいかないので、俺は名前の肩を掴んで大きく揺らした。
 すると彼女は、またもや思いがけない事をその口から放った。……本当、お前は俺の心を乱すのが上手だね。


「……ねぇ善逸、変な事聞くけどさ、善逸って私に黄色い和服姿を見せた事あったっけ」
「……どうして?」
「いや説明難しいんだけど、何故か三角模様が入った黄色い羽織がチラついて……」
「……そっかぁ、ううん、お前には無いよ」


 “今の”、お前には無いよ。心の中でそう付け足す。今世では見せようにも叶わないあの羽織。わざわざ特注で作れば話は別だけど、洋服に着慣れた今世だと着る機会も無い。
 何でそんな事を急に聞いたの、よく聞くフラッシュバックってやつ?何でよりにもよって今日、このタイミングなの。お前は、もうすぐ思い出しそうなの……?

 そこまで考えて、我に返った。今更思い出しても果たして良い事があるのだろうか、と。だって、鬼殺隊の記憶は穏やかな方が少ない。何なら名前が鬼殺隊に入った理由だって……それに何より全てを思い出すという事は、自分の最期も思い出すという事だ。
 わざわざ今、幸せであるこの子に、あんな記憶を思い出させるのか?……駄目、駄目だ。この子はこのまま思い出さなくて良い。あんな惨状と痛みや感覚、思い出さない方が良いに決まってる。だから、お前もそれ以上考えようとしないで、お願いだから。


 その後、俺は何とかお昼を食べて、名前を教室まで送り届けた。その間ずっと何か言いたげな名前に気が付かない振りをした俺は、出来る限りの笑顔を浮かべて踵を返した。
 あれ以上彼女の近くに居たら、泣いてしまいそうだったから。

 お昼休みがあと少ししか無いのにも関わらず、俺の足は勝手に昔からの友人達の元へ動いていた。今から行けば迷惑になると分かっているのに。それでも今俺は、同じ境遇の友人達の元へ行きたかったのだ。


「あれ善逸、どうしたんだ?もう少しで授業始まっちゃうぞ?」
「んだよお前、死にそうな顔しやがって」
「……たんじろ、いのすけ」


 いち早く俺に気が付いてくれた二人は、そんな事を言いながら傍に寄って来た。けれど今の俺には軽口を返せる余裕は無くて、ただ弱々しく彼らの名前を呟く事しか出来なかった。


「……すまない、俺達は少し保健室に行ってくるから先生に言っておいてほしい」
「……おら、行くぞ紋逸。さっさと歩け」


 炭治郎がクラスメイトにそう言って、伊之助はグッと俺の腕を引いて歩き出した。この二人には、先程名前を呼んだだけで何となく分かってしまったらしい。何とも頼りになる後輩達だよ、本当に。
 宣言通り保健室に放り込まれた俺はベットに座らされて、炭治郎は俺を覗き込む様にしゃがみ込み、伊之助はその場に立っていた。そのまま俺が無言のままでいれば、どうしたんだ?と優しい声が俺の耳に届く。その音のおかげで少し冷静さを取り戻せた俺は、ポツポツと言葉を紡いだ。


「……名前が、思い出すかもしれないんだ」
「っそれは、本当なのか?」
「思い出しちゃ駄目なのかよ」
「駄目だ!……駄目だよ、わざわざあんな事、思い出さなくていいじゃんか……」


 今の平和な暮らしをしているあの子に、とっくに終わった昔の殺伐とした記憶なんて必要ないでしょ……?

 俺がそう言えば、二人は言葉に詰まった。二人共俺と同じで思い出してはほしいみたいだけれど、俺の言っている事も一理あると分かっているのだ。当たり前だ、誰だって好きな人の苦しむ姿なんて見たくない。
 ぎゅうっと膝の上で拳を握り締めていれば、伊之助が何処か苛ついた様子で口を開く。


「お前の考えは兎も角、必要有る無しはアイツが決める事だろ」
「……名前だってきっと、要らないって言うよ」
「てめぇはアイツじゃねぇだろ!!」
「っそうだけど!何なの、伊之助は名前が苦しんででも思い出すべきだって言うの!?」
「あ゙ぁ゙!?」
「っ止めないか!二人共!!」


 一触即発の空気の中、見兼ねた炭治郎が俺達の間に入った。炭治郎もその表情は複雑に感情が入り交じった顔をしている。
 一度横槍が入った事で正気になった俺達は、それぞれ気まずい面持ちで顔を背けた。そんな俺達を見て、炭治郎が呆れか安堵か分からない溜め息を吐く。


「善逸、確かに俺も苦しい思いをしてまで思い出してほしいとは思わない」
「……」
「でもな、彼女に無理やり思い出すなと力技で捩じ伏せてしまえば、それは俺達の勝手なエゴだ」
「っ違、そんな事をしたいんじゃ……!」
「でも多分、伊之助はそう思ったからさっきそう言ったんだろう?」
「……自分の事を勝手に他人に決めつけられんのは腹が立つんだよ」


 つーん、と未だ横を向いたままの伊之助が眉を顰めながら静かにそう言った。……あぁ本当に馬鹿だな、俺。俺だってそんな事、とっくの昔に知ってたのに。そんな簡単な事も分からなくなるくらいに、今の俺は頭が回っていないらしい。まるで伊之助の言葉にビンタされたみたいだ。何処も痛くない筈なのに、頬がジンジンと痛む気がした。


「ご、めん、伊之助……俺、あの子の為って言いながら結局は自分の為だった……」
「……俺だって、アイツに辛い思いをさせたい訳じゃねぇ」
「……うん、そうだよな、分かってる」
「勿論、俺も同じ気持ちだぞ!」


 暗い空気を吹き飛ばす様にニパッと輝かしい笑顔で宣言した炭治郎に、俺達は顔を見合わせて力無く笑った。
 その後、二人に少し保健室でゆっくりしてから早退を勧められた俺は、大人しく従う事にした。友人達の心配を素直に受け入れようと思ったし、何より本当に疲れてしまったのだ。先生には私情を挟み過ぎて悪いが、こんな状態でまともに授業は受けられない。……結局、朝あの子に勧められた通りになっちゃった。


 帰宅後、制服から着替えた俺は、夕飯の買い物をする為に家を出た。出掛ける前じいちゃんに心配されたけど、本当に体調が悪い訳では無いし、どちらかと言えば気分転換がしたかったのだ。家に篭って余計な事を考えそうになるよりは、こちらの方が今の俺には都合が良い。
 ぼんやりと、夕方になりつつある赤と青が混じり合う空を見上げながら歩く。えーっと今日の夕飯はすき焼きだから肉に焼き豆腐、野菜は……あぁそうだネギが無い、後はキノコ類に白滝、卵はまだ確かそれなりに量があった筈……あとは一番忘れちゃいけないタレも買わなきゃ。
 そんな風に頭の中で買い物リストを組み立てていれば、前方から楽しそうな男女の声が聞こえてきた。……はぁ〜、良いですよねぇ世の中の幸せそうなカップルは!こちとら勝手な自爆で精神疲労MAXだってのによぉっ!!

 完璧な八つ当たりでカップル共を睨んでやろうかとしっかりと今度は前を向けば、それは俺がよく知っている人物達だった。だから最初は気軽に俺も声をかけた。でも、今はそんな事はどうでも良い。なんで、何でお前がソレをしてるんだ。
 どうしてソレを、簡単に渡してしまったの。


「何でお前が、それ、してんの」
「コイツが使えって、後やるって言われた」
「いや、前髪が邪魔そうだったから……」
「っなら、別に他のやつでも」
「……でも私、これ以外持ってなかったから」


 気まずそうに、居心地悪そうに俺から目を逸らしてそういう彼女に、俺は苛立ちと焦りを隠せなかった。……触るな、名前の物であるその色に、他の奴が触るな!
 分かってる、名前と伊之助は何も悪くない。優しい彼女が見兼ねて貸しただけ、伊之助はそれを借りただけ、ただそれだけなんだ。……あれ、でもじゃあ、あげるって何?貸すだけなら“あげる”なんて言葉は出ない筈だ。どうして?どうして君は、その色を手放そうと思ったの。ソレを付けた時みたいに気まぐれって言うの?

 気まぐれで、名前は俺の色を簡単に手放すの?


 その後は、代わりの真新しいヘアピンを伊之助に渡し先に帰らせた。無事に彼女のヘアピンを取り戻した俺は、名前へソレを突き返す。その時に伊之助が貰う気がなかったという事実が発覚したが、それでも名前は自身がヘアピンを手放そうと思った事は否定しなかった。……どうして。


「……ねぇ、名前にとってその色は、そんなに簡単に手放せちゃうの」
「えっ、いや別にそういう訳では」
「っじゃあ、そんな簡単に離すなよ……!」
「な、何で善逸がそんなに悲しそうなの……」
「それはっ……、……」


 彼女にそう言われ、俺は押し黙るしかなかった。だってその質問に返せる解答を、今の俺は持ち合わせていないからだ。知っている事を言うのは簡単だ、でもそれをしても何の解決にもならない。歯痒い、言ってしまいたい、でも言いたくない、そんな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざり合ってあっという間に不快感が俺を満たした。
 あれがただの何の変哲も無いヘアピンだという事はよく分かっている、分かっているんだ。何処にでも売っている普通のヘアピン、名前が友人からプレゼントで貰ったありふれたヘアピン。でも、それでも君がその色を持つだけで、俺にとっては一瞬で意味を成し価値ある物に変化する。

 だから簡単に手放されてしまったヘアピンが自分に重なって、死ぬよりも怖くなってしまったんだ。


「……お前が言ったんだぞ、それは俺の色だって」
「私、そんな事言ったっけ……?」
「前だよ、ずっとずっと前」


 お前は、忘れてるけど。

 奥歯を噛み締めるように、俺は小さく呟いた。でもハッとした俺は、その後すぐに俺が全部覚えてるからお前は思い出さなくて良いとかぶりを振る。そうだ、お前は思い出さなくて良いんだ。……あれ?違う、違うだろそうじゃない。だってさっきあの二人とそういう押し付けはしないって────あれ?
 思い出してほしい、思い出してほしくない。そんな二つの感情が不安定な天秤に掛けられて今もゆらゆらと揺れている。……俺は結局、彼女にどうなってほしいんだろう?

 意識がどんどんと闇に沈みそうになっていれば、彼女の凛とした声が俺の名前をまるで叫ぶように呼んだ。


「っ我妻善逸!!」
「っ!?」


 しっかりしろ!と彼女に激しく揺すられて、怒られた。戻ってきた意識の中、彼女の方を見れば何故か彼女はとても辛そうな顔をしていた。そして再度しっかりと名前を認識した俺は、今にも涙が目から零れ落ちそうになってしまう。
……いかないで、俺を置いていかないで。違う、彼女は目の前でちゃんと生きてる。今だってしっかりと命の鼓動が聞こえてる!でも彼女は簡単に手放そうとした、そうやってまた置いていくんだ。っちがう、違う違う違う!今世の名前は死んでない!!

 そんな中、正直私には善逸が何を指して言ってるのかは全く分からない、と彼女の凛とした声が再び俺の耳に辛うじて届いた。


「でも、何となく私を見透して何かを見てる事くらい分かる」
「……あ、」


 やめて、お願いだから、その先の言葉は言わないで。


「ハッキリ言うけど、私は、その人じゃない」


 ハッキリと名前の口からそう告げられて、俺は鈍器で頭を殴られたかと思った。なんならそれ以上の打撃を全身に受けた気がした。残った力でフルフルと俺は首を横に振る。
 ちがう、ひていしないでくれ。おまえなんだ、おまえなんだよ。おまえじしんが、ひていをしないでくれ……!

 その後、俺はどうやって帰ったか覚えていない。何となく分かるのは、彼女に迷惑をかけたという事だけ。……今日の俺、いつも以上に名前に迷惑かけてばっかだ。


「……落ち着いた?」
「……ん、」


 段々と落ち着いた俺は、家に着く頃には完全に戻っていた。優しすぎる名前はあの状態の俺を一人に出来ないと思ったのか、自分の家に直帰した。今は何故か彼女の部屋でお茶を飲んでいる。心配しなくても今日は家にじぃちゃん居るから大丈夫だったのに。
 俺は気まずくて彼女から目を逸らしながら、小さくごめんと呟いた。それに対して名前は何がと惚ける。……本当に優しいんだから。

 それでも合わせる顔が無い俺は俯き、なぁ、と口を開く。


「さっきの、忘れてくれ」
「流石にあれだけ強い衝撃、嘘でも忘れられないでしょ」
「……はは、だよなぁ」


 さっきは惚けたのに、意地悪だなぁ。と、俺は力なく笑う。今はもう何をする気も起きない。
 あぁ疲れたなぁ……そう思い、後ろに少し体を倒した。その先は彼女のベッドで、端に俺の頭がポフリと沈む。それと同時に彼女の優しい甘い香りが鼻を擽って、俺を落ち着かせてくれた。

 意外にもこのまま好きにさせてくれるらしく、特に名前は何も言われなかった。それも相まって段々と俺の瞼が落ちてくる。少しくらい、寝ても良いだろうか……?そう思い俺は瞼を閉じた。
 ふわふわと体の力が抜けていく。もう少しで完全に夢の世界に旅立ちそうなところで、ふと頭部に何かの感触を感じた。ゆるゆると何かが俺の頭の上で移動する。頭のてっぺんから下へ優しく動くそれは、まるで俺の全ての疲れを吸い取ってくれる様なそんな感覚。

 それを確認しようと微睡む中、ギリギリ眠気を耐えながら目を開けば、思ったよりも少し高めの位置にあった名前と目が合う。……そっか、さっきのあれ、この子の手なのか。


「あ、起きた……善逸、寝るなら家帰りなよ」
「ん……ねぇいま、あたま」
「あぁごめん、嫌だった?」
「……ううん、なぁ、もうすこし」


 おねがい、もっとなでて。さわって。

 そんな願いを込めながら俺は名前の手に擦り寄った、何なら少しは実際、声に出していたかもしれない。その証拠に一瞬だけ名前が固まった気がする。
 でもすぐに名前はベッドに座り直して、俺の要望に応えてくれた。彼女の柔らかい手が、俺の髪を梳かしながら撫でる。そうすれば簡単に俺の全身から余計な力が抜けていった。心地良くて、幸せで、顔が勝手に緩むのが分かる。
……あー、じぃちゃんは理由を言えば分かってくれるとは思うけど、兄貴には絶対怒られるんだろうなぁ。でも今は余計な事を考えなくて良いか、と俺はそれ以上深く考えるのを止めた。

 今は取り敢えず、この隣に居てくれる幼馴染が平和に過ごせて幸せならそれで良いや。


 この後ぐっすり寝て復活した俺が吹っ切れ開き直り、あの黄色いヘアピンを毎日して欲しいと彼女に頼み込むまであと少し。





見つけてもらった俺の色
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