ウインドウショッピング中に目に付いた琥珀色、それはショーケースの中にあった物の中で一番私の目を引いた。キラキラと己の存在感を主張するソレは、まるで表面が研磨された様に滑らかで、硝子のように透き通っている。コレを口に含んだら、きっとツルツルとして舌触りが良いのかもしれない。そして人によってそのまま最後まで舐めるなり、途中で噛み砕いたりするのだろう。私の場合は、コレを食べる時は噛まない……いや、きっと噛めないんだろうけれど。

 私が惚れたものと瓜二つの様な物は、違うと分かっていても多分、壊せないだろうから。


「……買ってしまった」


 そんな呟きと共に、己の手に収まるものを何とも言えない顔で見る。そこには、綺麗にラッピングされた小箱が一つ。中身はあの自然と目が引かれた琥珀色。値段もそれなりだったから別に買うつもりはなかったのに、どうして。だって私は甘い物をあまり好まないから買わないのに。十個入りの、それなりに量が入った物だなんて本当、どうかしている。
 果たして食べ切れるだろうか?と、早くも不安に陥っても仕方無し。不安には思っても不思議と返品しようとは微塵も思わないので、諦めて毎日一つずつコツコツと食べる事にしよう。強引に日課のようにしてしまえば忘れることは多分無い。……まぁ、暫く少し苦めのコーヒーやお茶が手放せないだろうけど。


 その後もウインドウショッピングを続けるがどうにも琥珀色が頭から離れず、私は一旦ソレをもう一度見ることにした。

 ラッピングを解いて、カパリと蓋を開ければ、透明な包装に包まれた琥珀色が顔を出す。それはデパートの照明のせいもあってかキラキラと輝いていて、一瞬本物の琥珀石がそこにあるのかと錯覚したくらいだ。だが実際にはそんな訳が無いと分かっているので、瞬きの次の瞬間、元の琥珀色に戻った。
 試しに一つ摘んでみれば、より透き通っている事が分かる。昔、幼い頃に興味本位で作った記憶はあるが、ここまで綺麗には出来なかった。やはり、プロの技は凄いのだろう。私はどちらかと言えば大雑把な方だったから、料理やらをした時に細かな作業は向かないな、と幼いながらに実感したのを覚えている。そしてそれは情けない話、今もあまり変わっていない。


「甘っ……」


 カラリ。歯に当たったソレは、分かりきっていた事だがまぁ甘い。砂糖を煮詰めた物なのだと分かってはいたのだが、甘いものは甘い。早くも飲み物が欲しい。自販機は近くにあっただろうか、無ければ食料品売り場まで行かなければならない。……いや、別にそこまで耐えきれないって訳では無いのだけれど。
 それにしても私、今からこんなんで大丈夫だろうか?全て食べられるだろうか。無駄にはしたくない、けれど不特定多数の誰かにあげたいとは思わない。甘い物が得意な友人とかに渡してしまった方が良いのは、とっくに分かっている。それでも私の手から、この琥珀色を他人に手渡すのは嫌だ。凄く、嫌だ。

 だってこれは、私の宝物を模した物だから。


 学生の時、私には好きな人が居た。同じクラスの男子、ムードメーカーで中心的存在。騒がしくてよく先生に怒られていたりもしたけれど、それは色々と理不尽な時が多く、彼本人は普通に真面目で良い人だった。そして女子には誰に対しても人一倍優しかった。私も、恩恵を受ける事が出来たその他大勢の一人。だから最初は気付けなかったし、気付こうともしなかった。────彼が本当に好きになった人へは、向ける物が根本的に何もかも全て違うのだと。
 当たり前だ、ただの友人に恋をしていると分かる柔らかい顔を向ける訳が無い。ただの友人に、甘い蕩けるような声で話しかける訳が無い。ただの友人すらになれなかった私に、端からそんなもの向けられるはず無かったのに。
 顔見知りのクラスメイトA、それが私。まともに話した事なんて無い、話そうともしなかった。用事も無ければ、理由付けする理由すらも私は見付けられなかったのだから。ただずっと、遠くから眺めていただけ。同じ空間に居たにも関わらず、とっても遠かった距離に満足し、学生生活を無駄にしてしまった愚か者。だから、今になっても未練がましく面影を探してしまう。手元と口の中の物が、何よりの証拠だ。情けなく、女々しい。彼への気持ちを何も捨てられなかった、それが今の私。

 口内の琥珀色を噛み砕ければ、まだそこまで重症ではないんじゃないだろうか。そんな事を思って琥珀色に歯を突き立てたけれど、駄目だった。金縛りにあっている訳でもないのに動かない、力が入ってくれない。自分では歯を立てているつもりなのに、琥珀色がひび割れる気配すら無い。何と情けない事か、これは私の惚れた琥珀色では無いというのに。似て非なるもの、いわばレプリカ。私の愛した物ではないのに、どうして。
 不毛な一人相撲をしている間に、琥珀色は溶け消えて私の一部になった。なってしまった。

 今食べた分を引いて残り九つ。果たして私は本当に、この甘い琥珀色達を無駄にすること無く平らげることが出来るのだろうか。


「……いや、」


 丁度良い、のではないだろうか?この全ての琥珀色を食べ終わると同時に、私の中に燻るこれは終われるのならば。一緒に少しずつ、溶かしてしまおう。甘過ぎる味も、かつての想い人が好むものなら手向けにもピッタリじゃないか。無理やり引き剥がしたり押し潰すのではなく、一度自分に馴染ませて、溶かす。先程口内で琥珀色を溶かし消した様に、淡すぎて咲けなかった恋心も全てを受け入れて落ち着かせてしまえば良い。
 あと九つ。もしかしたら琥珀色よりも甘過ぎて胸焼けしてしまうかもしれないけれど、それでももう終わりにしなきゃ。じゃないとずっと私は彼の面影をどこに行っても探してしまう。それは嫌、絶対に嫌。だって私だけが勝手に取り残されて踊っているなんて、馬鹿みたい。

 今日は出来なかった後悔を溶かし、呑み込んだ。これだけあれば、きっと充分。宝物を模した琥珀色が十個も揃えば、この想いには勿体無いくらいの豪華な手向けになるだろう。

 だからきっと、大丈夫。


◇◇◇◇


「珍しいな、名前は甘い物が苦手なのに」
「……炭治郎」


 ひらりと軽く手を振りながら、空席が沢山あるにも関わらず彼は私の隣に座った。どうやら今日は取っている授業科目が一緒らしい。彼とは高校時代からの付き合いもあって、それなりに親しい友人の一人だと思う。といってもこの隣に座った男は、元々少し人との距離感が近いところがあるので、そこまで親しくなくても次の瞬間には馴染んでいるなんて事はザラなのだが。それでこの男に落ち、一目惚れした女子達を私は一定数知っている。私の場合はきっと既に好きな人が居たから、彼と仲良くなっても落ちなかったのだろう。多分、好きな人が居なかったら否が応でも落とされていた気はする。この人、天性の天然タラシだから。
 といっても、既に半分くらいは彼の人間性に惚れているというか落ちているので、ある意味取り返しはつかない気がするけれど。

 味覚が変わったのか?と、私の手元にある包みを見て不思議そうに問われた。ちなみに今日で六日目、三日坊主にはならずに済んだのは良かった。意外にも一日一つというのは忘れないらしい。


「残念ながらこれっぽっちも変わってない、今すぐお茶が飲みたい気分」
「……いや、じゃあ何で食べてるんだ?」
「自分で買った手前、無駄には出来ないでしょ。ちなみに元は十個入りであと四個残ってる」
「え、苦手だと分かった上でその量を自分で買ったのか?」


 自分でも自身の首を絞める行動をしたのはよく分かっている、でも気が付いたら手元にあったんだから仕方ないじゃないか。
 驚いて目を見開いている彼を横目に、私はあえて何も言わず前を向いたままモゴモゴと口を動かす。移動させた方が、早く溶ける気がして。


「そんな眉間に皺を寄せて食べるくらいなら誰かにあげるなりすれば良いじゃないか」
「……やだ」
「やだって……、……あぁ成程」


 スン、と鼻で息を吸った彼は、何かに納得した様に頷いた。……勝手に嗅いで、勝手に理解しないでほしい。私にだって知られたくない感情の一つや二つくらいあるのに。まぁ、炭治郎には学生時代から色々と相談やら話を聞いてもらってるから、色々と察されたのだろうけれど。
 少しだけ不機嫌さを表に出してみれば、すまない、と苦笑される。……別に良いよ、少しだけ君に意地悪したくなっただけだから。


「卒業してから一度も会ってないのか?」
「いや炭治郎と違って私はそんなに仲良くなれなかったし、連絡先なんて知らないよ」
「そんな事はないと思うが……なんなら許可を貰って俺伝いで教えるか?」
「……いい。もう止める事にしたの、彼を好きでいること」
「えっ!?」


 先程よりも大袈裟に驚いた目の前の男は、何処か慌てた様にこちらを見ていた。え、何?そんなに驚く事?誰だって、年月が経てば諦めたりするでしょう。なのに、どうしてそんなに自分の事の様に慌てるの。
 試しに炭治郎?と声をかけてみれば、一度ビクリ、と肩を跳ね上がらせて固まる始末。これは何か、隠してる?いやでも炭治郎の顔を見るに隠し事というより、どちらかといえば焦ってる……?

 炭治郎は、そうか……と小さく呟いたかと思えば、ガシガシと後頭部を掻く。


「ん゙ー……俺が勝手に動くのは……でも、」
「ちょっと、何ブツブツ言ってるの」
「あぁいや……うん、ちょっと君にお願いがあるんだが、良いだろうか?」
「……あんまり突飛なものじゃなければ、どうぞ」


 ありがとう!そう言いパンッ、と頭を下げた状態で手を合わせた彼は、傍から見れば私を拝んでいる様な絵面である。その証拠に周囲から視線を集めてしまったので、私は慌てて彼に頭を上げさせた。
 頭を上げさせた後も何処か申し訳なさそうな顔をしている彼を横目に、そのまま着々と今日の授業が始まった。

 暫くして授業も終わり片付けをしていれば、隣から少し緊張した様な声をかけられる。


「三日後、少し付き合ってほしいんだ」


◇◇◇◇


 あの炭治郎からのお願い。しかも頭を下げられて願われたものだから、どんな事を言われるのかと身構えていれば、それは拍子抜けするにも程があるものだった。何故あそこまで彼があんな風に頭を下げてきたのか、今でもよく分からない。
────街のカフェテラスでお茶だなんて、これくらい頭を下げる程じゃないと思うんだけど。彼はそんなにこの指定されたお店でお茶がしたかったのだろうか?もしかして、期間限定メニューがあるとか?それかカップル限定とか?もしそうなら代打として呼ばれたのかもしれない。

 とりあえず今は彼に指定された場所で、急にちょっとした野暮用が入ってしまったらしい彼待ちな訳なのだが、さてどうするか。とりあえず何か頼もう、流石にサービスのお冷だけで此処にずっと居座れる度胸は無い。……こういう時軽くケーキやらを頼めれば一番良いのだろうが、生憎私は甘い物をあまり好まない。かといって、ちゃんとした食事を頼むほどお腹も空いていない。今ここにある水と変わりないが、コーヒーや紅茶で良いだろうか。……注文した事には変わりないし、うん。私が頼まない代わりに、炭治郎が来たら頼めば良い話だし!

 コールベルを押せば、丁度手の空いたスタッフの一人がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。私はその間にメニューをもう一度見て、自身が頼む物を確認する。コーヒーにしよう、今日はまだ飴を食べていないからブラックで。
 今日食べれば合計で九日目。あと残り一つ、明日で全部終わり。最後は未練を断ち切る様に噛み砕いて、綺麗サッパリ飲み込んでやると最初から決めている。それにしても、ここまでくると一種の習慣の様だ。これが全て無くなった後、もしかしたら逆に飴やらを定期的に食べたくなったりするのだろうか。


「ご注文をお伺いしま、す……」
「ブレンドコーヒーのホットを一つお願いします」
「……」
「……?あの、」


 何故か注文を告げても店員さんがうんともすんとも言わないので、不思議に思いメニューから顔を上げて店員さんの方を見れば、そこにはカフェの制服を着た黒髪眼鏡の男性が立っていた。その人は私の方を呆けた顔でジッ見つめたまま動かず、口もぱかりと無防備に開いている。アホ面とはまさにこの事。
 もしかして私の顔に何か付いてるのか?と試しにペタペタと顔面を触ってみるが、特に何も違和感は無かった。強いて言えばそれで少し化粧が手に付いたくらい。……あっ、もしかしてその化粧が驚く程似合ってないって事!?それで店員さんビックリしてる!?確かにあまり慣れていないから上手くは無いだろうが、それなりに頑張ったんけどなぁ。んん、もっと腕上げよ……。

 それにしても、この店員さん何処か見覚えがある様な……?


「あっ、あの!」
「な、何か……?」
「あの、その、俺────」
「っすまない、待たせた!」
「あ、炭治郎」


 店員さんが何か言いかけると同時に、バタバタと息を切らて待ち人がようやく現れた。かなり急いで来たのか、彼の肩は上がったり下がったりを繰り返している。
 そういえば先程炭治郎の声で店員さんの言葉が潰れてしまったな、と思い再度店員さんの方を見れば、彼もまた驚いたのか炭治郎の方を見て目を見開いていた。


「……あっ!?す、すまない、急いで来たのが逆に邪魔をしてしまったのか」
「え?」
「いや俺が話を遮ってしまった様だから……」


 チラ、と何処か申し訳なさそうな視線を店員さんに向けた炭治郎は眉を下げる。そんな炭治郎を暫くジッと見つめていた店員さんは、一瞬口を開いたが結局何も言わず「……いえ、大丈夫ですよ」と小さく微笑んだ。


「ご注文内容をご確認致しますが、ブレンドコーヒーをお一つでよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「今お越しになられたお客様は如何致しましょう?」
「あ、あぁ、オススメをお願いしても良いだろうか」
「かしこまりました、それでは失礼します」


 一つ頷いた彼は軽くお辞儀をすると、何事も無かったかのように去って行った。その後ろをそれぞれの表情で見る私達。……結局、店員さんが何を言いかけたのか聞けなかったな。まぁ帰り際とかに聞ける機会があるだろうし、今は一旦置いておこう。
 それよりも────いつまで目の前の男は、怒られた子犬のような顔をしているのか。クゥーンクゥーンという鳴き声が何処からか聞こえてきそうなんだが。元より私は連絡を貰っていたから怒ってなどいないし、先程の店員さんも驚きはしていたが怒っていなかったじゃないか。何をそこまで彼はしょぼくれているのだろう。……もしかして、先程の店員さんは表に出ていなかっただけで結構怒っていたのだろうか?


「さっきの店員さん、そんなに怒ってたの?」
「えっ!?な、何でそう思うんだ?」
「いやずっと炭治郎が叱られた子犬みたいだから」
「子犬!?」


 心外だ!と言いたげに伏せていた目線を勢い良く私の方へ戻した炭治郎の顔は、驚愕に満ちている。そんなに不服なの?子犬。可愛いのに。あ、いや彼的には長男だから可愛いって言われたくないとかそういう心理だろうか?……けどなぁ、残念ながら今もムッとしている表情が可愛らしいんだよなぁ。
 ふっ、と緩んでしまった口元から笑みが零れてしまえば、それを目敏く観察していた炭治郎に怒られてしまった。

 そんな風に会話をしながら、ふとそろそろコーヒーが来そうだなと思った私は、予め出しておいた箱から今日の分の琥珀色を取り出した。


「あ。それ、ちゃんと食べ続けてるんだな」
「うん、これで九日目。コーヒーが来る前にある程度溶かしておこうかなって」
「なんか、一日一つずつって何かの願掛けみたいだな」
「……そうだね、否定はしないよ」


 静かに淡々と言えば「してるのか」と、確信を得た様な言葉をかけられた。私はその声に何も返さない。何も言わないのが逆に分かりやすい答えだ、だなんてよく言ったものだ。別に炭治郎にはこの前言ってしまったから良いっちゃ良いのだけれど、彼のこの曇りの無い真っ直ぐな瞳は、それ以外も見透かされた様な感覚になる。

 小さくポツリと「……それじゃあ、残りはあと一日か」そう呟いた彼の表情は凪いでいて、何を考えてそう呟いたのかは分からない。もしかしたら、ふと思った事を言っただけで特に何も考えていなかったかもしれない。


「結局、何を願掛けしているんだ?」
「……あれ、言わなかったっけ」
「いや……でも何となくは」
「じゃあそれで」
「じゃあって、そんな、勝手に憶測を正解にする訳にはいかないだろう……」
「あら、炭治郎には特技があるじゃない」


 トンっと私自身の鼻を軽くノックしながら目を細めて笑ってやれば、その意図が伝わったらしい。炭治郎はぐ、と黙り込んだ。……彼にはもしや皮肉は伝わらないかと思ったが、案外そうでもない様だ。その皮肉すら、彼には嗅ぎ取れたのだろう。本当、凄い才能だ。
……良いでしょ、これくらい。だって私が言葉にしたくないと分かっているくせに、わざわざ言葉にさせようとするんだから。これくらいの意地悪、許してよ。

 ごめんね、と小さく笑ってみせれば、優し過ぎる友人は静かに首を横に振った。


「一日一粒ずつ、想いを一緒に溶かして馴染ませてるの。コレは所謂手向けのような物だよ」
「……告げてもいないのに、殺してしまうのか」
「当たって砕けられる程の勇気は持ち合わせてないかなぁ」


 へらりと軽く笑えば、炭治郎はキュッと眉を寄せ下げて苦しそうな顔をした。共感してくれるのは嬉しいけれど、そんな事をすれば自分も辛くなるのに。それが彼らしいといえばらしいし、無意識下だからきっとそれすら彼は重荷だとか思わないのだろう。基本的に誰にでも優しく平等で、嘘をつくのが苦手な正直者。超がつく程の真面目で、天性の人たらし。それが私からした友人の竈門炭治郎という男。もし目の前の男を好きになっていたら、まだ気持ちを伝える事は出来ただろうか。少なくとも、当たって砕けろ位は実行出来たかもしれない。
 でも結局数年かけて染み付いてしまった感情が、簡単には上書きされないのを私はよく知っている。それは証明であり、同時に枷の様な物だと思うから。

 だから、お願いだから、漸く上手に手放せそうなところを邪魔しないで。


「……それでも、それでも俺はやはり放置出来ない」
「……あのさぁ炭治郎、もっと直接的に言わないと分からない?そんなに君は鈍感だっけ?」
「そうじゃないんだ。どちらかと言えば、きっと俺がアイツに怒られてしまうから」


 何故か食い下がる彼に苛立ちを隠せなくなってきた私が平坦な声を出せば、当の本人はそれを微笑んで軽く躱した。なに、アイツって、誰の事。どうして炭治郎が私の想いを引き留めないと怒られるの、意味分かんない。

 その意味を問いただそうと口を開いた瞬間、タイミング悪く注文を取った時と同じ店員さんが、料理を運んで来た。


「お待たせ致しました、こちらブレンドコーヒーと日替わりランチになります」
「ありがとう!」
「……ありがとう、ございます」
「それとこちらは、サービスになります」


 コトリ、と目の前に置かれたのは黄色のマカロン。その上には糸が集まった様な細く繊細な飴細工が施されている。
 サービス、と言われたが、きっとコーヒーだけだから気紛れで付けてくれたのかもしれない。だが何度でも言うが、私は甘い物が得意ではない。ご好意は嬉しいのだが、このままだと私はその好意を無下にしてしまう。本当なら炭治郎に食べてもらえば良いのだろうが、何となく先程の会話からそれすら気まずい。……まぁ多分炭治郎はそんな事、全っ然思ってないんだろうけど!

 ぐっ、と決意を固める様に手を握って、断ろうと店員さんの方を見れば、彼は柔らかく微笑んでいた。うっ……こ、断りずらい!見るんじゃなかった……!


「あ、の……その、私……」
「……大丈夫。コレそんなに甘くないから、きっと君も食べれると思うよ」
「え?」
「苗字さんは甘い物、苦手だもんね」


 こちらを覗き込む様にして上体を折り曲げた彼は、私と目線を合わせると柔らかい笑顔を向けられる。……え?なに、何でこの人、私の好み知ってるの?だって炭治郎と話してた時近くに居なかったよね……?
 不信感でビタッと強ばってしまえば、それを見た店員さんが弁解する様に慌てて言葉を捲し立て並べていく。


「あっゴメンねぇ!?そうだよね、急にそんな事言われたら戸惑うよねェ!?ただ俺は君に気が付いてほしかっただけで……!!」
「気が付くって、何を……」
「なぁ……あの時会話を遮ってしまった俺が言うのもなんだが、どうして善逸は遠回りをするんだ?」
「俺だってしたくてした訳じゃないですけどォッ!?しかもお前の言う通り、遮った張本人が言う事じゃねぇと思うなァ!!」


 タイミング悪過ぎない!?と急にギャンギャン吠え出す店員さんに、あれは悪かったと思っている……と申し訳なさそうにしている炭治郎。どうやら彼は、この店員さんと知り合いだったらしい。そして未だ状況を呑み込めず、それを呆然と見ている私。……というか、先程炭治郎はここに居る筈のない私の想い人の名前を出さなかっただろうか。しかもこの店員さんに向かって。この店員さんは黒髪眼鏡で、私の想い人は金髪裸眼。眼鏡はお洒落でどうにかなるにしても、髪は彼が地毛だと言っていたから金髪の筈だ。
 だが炭治郎と言い合いをしている横顔をしっかり観察すれば、すぐに記憶の中の人物と一致したし、未だ炭治郎と騒ぎながら会話している彼の声を注意深く聞いてみると、聞き覚えがあり過ぎる。何なら、こういう漫才みたいな会話を在学中何度も見た覚えがある。これに至っては、懐かしさすら感じる。もし此処に嘴平君が居たら、高校時代の再現は完璧だっただろう。

 脳が現状を受け入れる事を拒んでいるのか、ただただ彼の事をジッと見つめる事しかできない私に気が付いた店員さん────もとい我妻善逸君は、こちらに向き直った。


「良かった!覚えててくれたみたいで……」
「や、あの……髪、」
「あぁコレ?今日ちょっと諸事情で黒く染めなくちゃいけなくなって、ヘアカラースプレーで染めたの」
「眼鏡は……」
「コッチは完全にお洒落だよ、その日の気分」


 二パッと気を悪くする様子も無く、私のどもった質問にも快く答えてくれた想い人は、去る様子も無くその場に佇んでいる。どうしろというんだ、この状況……!唯一の頼みの綱であった炭治郎はこちらを時折気にしている様子ではあるが、彼にしては珍しい基本的に我関さずを今回は突き通すらしく、黙々と食事を続けている。そして目の前の忘れようとしていた想い人は、ニコニコと笑って何かを待つ様に私の方をジッと見つめてくる。何待ち?一体彼は何待ちなの……!?

 緊張やら何やらで下手くそで引き攣りまくった笑顔をやっとの事で浮かべながら、何?と言いたげに首を傾げてみせた。すると彼は一瞬キョトリとした後、目を少しキョロキョロと泳がせて恥ずかしそうに呟く。


「その、コレ、良ければ食べてほしいなって」
「えっと、今……?」
「う、うん。コレ俺が作ったからその、味の感想とか聞きたいなぁ、とか思い、まして……」


 控え目にマカロンのお皿を指さした我妻君は、気恥しそうに尻すぼみになりながらもハッキリとそう言った。彼が、作った、コレを。それを彼自身がサービスで私に、しかも味の感想を求められた。なに……?今私は夢の中にでも居るの……?そんな馬鹿な事を思いながら試しにテーブルの下で手の甲を抓ってみれば、ちゃんと痛かった。
 流される様に頷きそうなところで、ふと自身の口内にまだ残る存在を思い出した。口の中には、まだ琥珀色が残っている。といってもかなり小さくなってきたし、噛んでしまえばすぐ無くなるだろう。けれど噛むの?コレを?噛まなくても食べられはするだろうが、それだと純粋な味が分からない。それに元々琥珀色のせいで口内は既に甘ったるい仕上がりだ、これを消すには水を飲めば良い話なのだが、そうするには残った琥珀色を無くす必要がある。……どうしよう。
 チラ、と我妻君の方を盗み見れば、彼はソワソワとしながらも期待が滲んだ様子でそこに居る。〜〜〜〜っあぁ、もう!この人の事を諦めようとしていたのに、なんで本人に振り回される羽目になってるの……!!

 何処にも発散しようも無いモヤモヤ感を噛み砕く様に、気が付けば口内でガリッと良い音が響く。それはあれだけウダウダしていた割に簡単に崩れ去って、次の瞬間にはもう何も残っていなかった。なんて、あっけない。


「……いただきます」
「ど、どうぞ!」


 足踏みする理由が無くなった為、腹を括り一度水を飲んでからマカロンに手をつけた。備え付けのフォークで糸飴を崩せば、パキパキと音を立てて崩れていく。上に乗っていたって事は一緒に食べる事を推奨してるんだろうし……というかさっきまで飴食べてたんだよなぁ、私。そんなに甘くない、と彼は言っていたけれど、マカロンは兎も角として飴は甘みの塊だから流石になぁ……うん。我妻君、すぐにコーヒー飲んだらごめん。心の中で先に謝っておくよ。

 意を決してパクリ、と口の中に放り込めば、私の予想は良い意味で裏切られる結果となった。


「あれ、本当に思ってたよりも全然甘くない……」
「でしょ!?そのレモンマカロンは砂糖を少なめにして、尚且つ酸っぱい系にしてみました!」
「なんか、この飴もどっちかって言うとスッキリする」
「この飴はね、ミント系にしてみたの。スッキリするでしょ?」


 良かったぁ!と安堵の表情を見せて脱力した様に体の力を抜いた彼は、ふにゃふにゃと笑う。小さく美味しい、と零せば、彼はより一層嬉しそうに破顔した。その顔にまた私の胸の奥が悲鳴を上げる。苦しさと、嬉しさ。二つが混じりあって、自分でも今どういう気持ちなのかが分からない。でも、ずっと彼のこういう顔を近くで見ていたい。見ていたかった。……すき、好きだよ、ずっと好きだった。我妻君の事が、ずっと前から好きなの。……大好き。

 ぼんやりと彼の笑顔を見つめていれば、彼は突然顔をぼふりと赤く染め上げてしまった。それに驚き助けを求めて炭治郎の方を向けば、何故か炭治郎も一緒になって顔を赤らめている。何これ、どういう状況?


「……俺、一旦席を外すよ。善逸、話が終わったら呼んでくれ」
「え、ちょっ、炭治郎?」
「ありがとう炭治郎……助かる……」
「えっ?えっ?」


 顔が赤いままガタリと席を立った炭治郎は、こちらの声を聞かずに素早く立ち去ってしまう。そうして残されたのは同じく顔が赤い我妻君と、またしても状況が呑み込めていない私。頭上にハテナマークを沢山浮かべていれば、我妻君にねぇ、と声をかけられる。


「苗字さんは……さ、このお皿の上にある二つの意味を知ってる?」
「いや、特には……」
「コレね?本当にさっき言った通り俺のサービスで、気持ちなの」


 ずっとずっと、意気地無しだった俺が伝えられなかった気持ち。お願いしたら店長が特別に作らせてくれたんだ。その、二つとも意味は似通ってるんだけど……贈った場合、上に乗った飴は“貴方と長く一緒に居たい”っていう意味で、マカロンは“特別な人”っていう意味になるんだって。だからその、意味合い的には両方とも“貴方が好きです”って事になるんだけど────ど、どうでしょうか……!?

 今度は首や耳までもを真っ赤に染め上げながら、しっかりと私を見据えて放たれた言葉はにわかにもすぐには信じられなかった。だってこれ、冗談や勘違いなんかじゃなくて、本気の。
 その事実を呑み込んだ瞬間、ぶわりと自身の顔が燃えるように熱くなった。冗談抜きで自分が発火したかと思ったし、それは治まるどころか全身に侵食しようとしている。とまれ、とまれ!と思っても私の体は全然言う事を聞いてくれないし、心臓もバクバクと大きく鳴って煩い。しかもそんな私の様子を見た我妻君が何故か嬉しそうに笑うもんだから、余計に治まらなくなってしまう。……今すぐ、水風呂にでも飛び込みたい気分。


「い、いつから……?」
「えっ……と、確か同じクラスになった高校二年辺り、かな」
「そう、なんだ……!」


 何それ、私と一緒じゃないか。私も、彼を好きになったのが高二の時だ。初めて同じクラスになって、日に日に知っていく事になった我妻君に気が付けば惹かれてたんだ。
 正直、まだ彼が私の何処に惹かれてくれたのかは分からない。でも、それでも、今はただただ……嬉しい。これがもし夢だとしても、私は幸せだ。


「……私も、我妻君の事が好き。ずっとずっと好きだった……勿論、今も」
「っ……!」
「私なんかで良ければ、よろしくお願いします」
「なんか!?“なんか”なんてとんでもない!こちらこそよろしくお願いしたいんだから!!」


 キャーッ!と彼の興奮して騒ぎ立てる声が聞こえたのだろう、お店の奥の方から我妻君を注意する声が即座に上がった。そしてそれに反射で即座に謝罪をする我妻君。……これは、叱られ慣れてるなぁ。
 そんな様子を見て微かに笑いが漏れてしまえば、それに気が付いた我妻君も気が抜けた様に笑みを零す。だがすぐに彼は思い出した様に、あっ!と声を上げた。


「もう君には、ソレを無理して食べる理由は無いよね」
「え、何で知って」
「“偶然”聴こえてきたんだよ」
「偶然……?」


 怪しむ様にジッと見つめるも、我妻君はニコニコとしながら頷きあくまでも偶然と言い張るので、今回はそういう事にしておこうと私は追及を止めた。すると我妻君が話を逸らす様に、君が良ければなんだけどさ、とソワソワとした様子で件の物を指す。


「良ければソレ、俺に頂戴?」
「……我妻君、結構食い意地が張ってるんだね」
「違うよ!?いや、確かに甘い物と高い食べ物は大好きですけれども!」
「でもコレ、その両方を兼ね備えてるよ」
「えっ、嘘でしょ?」


 何も間違った事は言っていない。凄く高価という訳では無いが、本当にこの琥珀色は市販の飴よりはお高い物だ。驚きのあまりスンッと真顔になった我妻君に、正常なセンサーを持ってるねと笑えば、彼は面白いくらいに弁解し慌てふためく。本当、彼はコロコロと表情が変わって賑やかだ。ずっと見ていても、飽きる気配が全く無い。

 くふくふと抑え気味に笑っていれば、どうして彼が琥珀色を欲しがったのか理由を教えてくれた。


「その、これも聞こえたんだけど、そこにあるのが願掛けの最後の一粒なんでしょ?」
「そう、だけど」
「君はそれに、色々な気持ちを込めながら食べてた」
「……まぁ、はい」
「それなら、最後の一粒にはこれまでの君の全ての想いが詰まってるのかなって……思って」


 だから、その……苗字さんの想いを一欠片でも受け取れたら良いなぁ、とか思っちゃったりした訳なんだけど……そうしたら俺の一部になるでしょ……?

 手持ち無沙汰にいじいじと手遊びをしながら、チラチラと自信無さげにこちらの様子を確認してくる我妻君。……なにそれ、反則でしょ。前から思ってたけど、我妻君って結構ロマンチストだよね。普通にサラッとそういう事を言っちゃうんだもん、ずるい、ずるいよ。
 私の手元にあるのは何の変哲もないただの鼈甲飴。我妻君の瞳に似ているだけの、甘味。そんな事は我妻君自身だってよく分かっているのだろう。でも、それでも彼はこの琥珀色に私の想いがありったけ宿っていると言う。彼は、私がこの琥珀色を買った経緯を一切知らない筈なのに。

 それでも他でもない彼自身が、この琥珀色は私の想いそのものだと言ってくれたようでとても嬉しかった。


「……もしかしたら、我妻君には苦く感じるかもよ」
「ほろ苦いのも俺は嫌いじゃないよ」
「甘党なのに?」
「ほら、プリンとかのカラメルだって美味しさが引き立ってるでしょ?」


 私が可愛げの無い台詞を吐けば、「昔ながらの喫茶店のヤツとか、定期的に食べたくなるよね!」と穏やかにそう切り返される。まるで私が何を言うか分かっていたみたいに。……負けだ、私の負け。多分、今の彼に何を言っても私が本気で嫌だと思わない限り我妻君は引き下がらない。先程彼が私の想いを受け取りたいと言った時点で、私は彼ならば良いと思ってしまったのだから。

 彼に渡す為に手に取った琥珀色を、再度想いを込める様に一瞬だけ強く握って手渡す。すると礼を述べて受け取った彼は驚いた事に、勤務中にも関わらず包装を解くとポイッと琥珀色を口に放り入れた。そしてうん、と一つ頷いて満足気にニンマリと笑う。


「……思った通り、とっても甘くてクセになる」


◇◇◇◇


「お待たせ炭治郎、今日はありがとね」
「あの時はもう心配はしていなかったが、それでも上手くいって良かったよ」


 途中、気を使って席を立った友人の元へヒラヒラと手を振りながら歩み寄れば、友人はいつも通りの優しい笑顔で俺を迎えてくれた。


「いや俺は滅茶苦茶焦りましたけどね!?最初は会えてテンションぶち上げだったのに、あんな話してると思わないじゃん……!」
「だが、この件に関しては善逸の自業自得じゃないか?」
「ぅぐぅっ……!!」


 友人の辛辣な、けれど正論過ぎる言葉に胸を抑える。分かっとるわそれくらい、だから今回俺に彼女の事を教えてくれたお前には感謝してんのよ?本当。彼女の事は高校在学中から好きでしたよ?えぇ、凄く好きでしたとも。
 けどさ、まさか自分がこんなにもポンコツだとは思わなかったわけ。他の人には全然グイグイ行けるのに、あの子を意識すると固まるのは日常茶飯事だった。あの子の話をする時は全然大丈夫、寧ろいつもより饒舌だったのに。前にこれを彼女の友人に話したら、ベタ惚れかよさっさと動けヘタレって尻たたきの意味で物理的にケツを蹴られた。それだけダラしない顔晒してたって事なんだろうけどさぁ、本当に蹴らなくてもよくない……?あれ地味に痛かったなぁ。

 まぁそんなこんなで、卒業式には絶対に接触しようと思ったの。告白とはいかずとも連絡先くらいは!と思って。……でもまさかさぁ、その連絡先を聞きそびれるとか夢にも思わないじゃない。大体の人は卒業式の時くらいは暫く帰らないだろと思って余裕ぶっこいてたのに、その時になったら何故か幾ら探し走り回ってもまるで出会えなかったんだから。まぁそれを後で炭治郎に泣きついて愚痴ったら、面白いくらいにすれ違ってたらしいんだけど。磁石かよ、反発しあうんじゃなくて引き寄せあってくれよ頼むから。


「……まぁ、彼女の方も色々とあったから全てが善逸のせいってわけでも無いと思うぞ」
「あの子に色々と相談されるくらい親しいとかすげぇムカつくけど、そのおかげで俺は幸せを掴めたので今日だけ許す」
「今日だけなのか?」
「あったりまえだろ!?誰が自分の彼女と他の野郎が仲良くしてるところ見たいと思う!?」


 メンチを切る様に吠えれば、友人は苦笑した。……別に、話すなって言ってる訳じゃないんだよ。ただ、これからは一番に俺を頼ってほしいっていう願望が出てきただけ。好きな子の力には最大限なってあげたいし、何より炭治郎との仲を追い越せるくらい挽回したいじゃん。いや元から友人とこっ、こここ恋人のレールが違う事くらい分かってますけどね!!??

 でも、あんなに俺への想いが沢山込められた音を聞かされて、黙っていられる訳が無い。今日だって、想いの一部である琥珀色を貰ったのだから。俺だって、少しずつ彼女に俺の想いを伝えていきたい。いっぱいいっぱい、俺のこの“好き”って気持ちを、彼女の心が溢れるくらいに注いであげたいんだ。


「今までの分の遅れをぜんっぶ取り戻して、絶対にお前以上に仲良くなってやる!!!!」


 大きめの声でそう宣言すれば、友人はキョトンと呆ける。しかしすぐに俺の勢いの良過ぎる意気込みにも彼は引くこと無く、応援してる、と柔らかく微笑んだ。






マカロン、特別な人
キャンディー、貴方と長く一緒に居たい





琥珀の慕情
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