これ の続きの様なもの。




 ここ最近、師範が挙動不審だ。挙動不審というか、師範の私に対する態度があの問題の日から変わったのだ。
 最初は私の勘違いかと思った。けれど、やっぱり師範の接し方が変わったのだ。それはまるで恋柱様に接する様な、気遣いと優しさが滲み出る様なそんな接し方。
 ……正直に言おう、怖い。今までそんな優しく接せられた事が無い(言ってて悲しいけど事実)ので、急にそんな風にされると何かあるのか、はたまた私が何かやらかしたのか凄く不安になる。私が知っている師範を返してほしい。ここ最近こんな事が続いているせいで、元の師範が凄く恋しく感じてきている。あの師範が恋しいのは自分でもやべぇと思う。
 なので自分の精神を保つ為にも、私は師範の奇行をこう考える事にした。

 これは恥ずかしがり屋の師範が、私を恋柱様に見立てて練習しているのだ────と。


「そう思わなきゃ、やってらんねぇーんですよねぇ……」
「ど、どうしたの?急に何かを呟いて……」
「すみません恋柱様、ちょっと個人的理由で疲れる事がありまして」
「そうなの?あっ、じゃあ今日はいっぱい甘い物を食べましょう!甘い物は疲れを癒してくれるわよっ!!」
「そうします……恋柱様の好きなお店いっぱい紹介して下さいね?」


 もっちろん!!と彼女は元気良く声を上げると、張り切った様に何処に行こうかな〜と脳内地図を広げた様だった。
 あの件以来、どうにか師範の目を潜り抜けて、恋柱様に話の一部を話す事が出来た。なので彼女は、恋柱様が想い人という師範を躱す為に言った私の嘘を知っている。知っていて、今日も変わらず仲良くしてくれている女神の様なお人である。
 何ならそれを知った時に彼女は、それでも好きと言ってくれて嬉しい!と笑顔を咲かせたので、私は衝動的に嘘を本物にしそうになった。いやまぁ友人としては全く嘘では無いし、大好きである。そしてなんなら、その場で今すぐ彼女を娶って籍をいれようかと思った。……あの時、指輪とか花束が手元にあったら危なかっただろうなぁ。

 それくらい、彼女は魅力的で可愛らしい。師範が好きになるのも頷ける。
 だからこそ師範にはさっさと勇気を出してほしいのだが、思った以上に師範は奥手だった。


「超奥手って慎ましい通り越して、拗らせまくってるからめんどくせぇ〜……」
「えっ!もしかして誰かのアプローチ待ちなの!?」
「ん!?な、何でそうなるんですか……?」
「だって、何かを凄く待っているみたいだったから……」


 違っていたのならごめんなさい、と申し訳なさそうにする彼女に慌てて弁明した。
 私がそんな駆け引き上手な女に見えますか?いや見えないでしょう、恋柱様。待っているのは師範が貴方にアプローチする事であって、私自身には悲しい事になんもないんです。えぇ本当、悲しい事にな!!!!

 内心そんな闇を抱えながら、やんわりと否定をして話を逸らした。


「そういえば恋柱様、師範の様子は変わりないですか?」
「伊黒さん?特に最近変わった様子はなかったけど……伊黒さんがどうかしたの?」
「いえ、何も無いなら良いんです」


 んな訳ねーでしょ、良い訳あるか!あの人全然動かないな、動かざること山の如しみたいな事を体現してんじゃないですよ。動くべき時は!何度も!!あったでしょうが!!!!恋柱様はキュンキュンさせた者勝ちなんですよ?その辺の事はちゃんと分かってんですかね、あの師範。死ぬ程キュンキュンさせて即刻落とさなきゃ、知らない間に恋柱様を他の奴に掻っ攫われる事くらい馬鹿でも分かるでしょう!

 心の中で師範に啖呵を切りながら、表面ではにこやかに恋柱様とほのぼの会話出来る様になった自分を見返して、それだけ月日が経ったんだなぁ……遠い目をせざる負えない。


「あっ!でも、ここ最近は貴方に関係する事を以前よりも気にしている事が多いかもしれないわ」
「え?」
「えっと、元々伊黒さんは色々なお店を知っているでしょう?私も沢山のお店を紹介して頂いて、この前も行ってきたのだけれど」
「あぁ、ある意味あれは師範の趣味みたいなものですからね」


 毎回数少ない休みの日は恋柱様の為に東奔西走してますからね、あの人。そのおかげで沢山の美味しいお店や呉服屋、果ては書物まで。恋柱様の興味がありそうな物を片っ端から漁りまくっているので、時々意見を求められる私も少し色々な事に詳しくなっちゃいましたよ。
 まぁそれに、その間に自身の好きな事柄(飴細工のお店とか)を見つけたらそっちもそっちで新境地を開拓しているみたいだから、自分なりの休みかたをしている師範に継子としては特に文句は無い。

 一人勝手に師範の保護者面をしていれば、恋柱様がここ最近……特にあの話を貴方に聞いた日らへんかしら?そう思案し呟いた。


「思い返してみると、名前ちゃんの話題……というか名前ちゃんの好きな物に関しての話が増えた気がするの!」
「えぇ……?何かの間違いじゃないですか?」
「いいえ絶対そうよ!だって、私も嬉しくてニコニコしながら前のめりになって聞いてしまったんだもの!」


 なんて純粋な瞳で此方を見てくるんだ、この人は。心からの言葉だ、こっちが何故か照れる程の真っ直ぐ過ぎる気持ち。嬉し恥ずかしとはまさにこの事。この前の竈門君の時もそうだったが、正直者って凄いなぁ……思った事をそのまま言っちゃうから疑う余地が無いというか、ただただ素直に嬉しさしかない。

 しかし、何故それが師範のお店巡りに繋がるのだろうか?私が不思議がっていれば、それに気が付いた恋柱様がすぐに教えてくれた。
 何でも師範は何故か私の好みと一致しそうなお店を何軒か候補に挙げたのだという、そして恋柱様に意見を仰いだのだとか。


「この前の伊黒さん、何処か緊張した様な面持ちで私に意見を聞くんだもの!その時の表情を思い出すだけでも私、キュンキュンしちゃうっ!」
「そうなんですね……?」
「あっ、もう、分かってないでしょうっ」


 ぼんやりとした返事をすれば、彼女はプクッと頬を膨らませて可愛らしくいじけてみせた。はい恋柱様可愛い、最の高。
 いやだって分かってないって言われても、それ完全に貴方に聞いてると思うんですよ私。きっと不安になっちゃった可愛い可愛い師範が、恋柱様の好みを聞いたんですよ。私の事を出したのは流れというか、恋柱様の友人でもあるし、同性で継子ということもあって話題に出しやすいのだろう。良いですよ師範、悪用しない限りは私の話題をジャンジャン出して下さい。そして早くこの可愛らしい女性をとっとと捕まえて下さい。


「も〜、鈍感なんだから!」
「鈍感も何もそういう感じじゃないですって」
「……じゃあ、一つ聞いてみても良いかしら?」
「何ですか?」
「殿方が簪を真剣に選んでいたら、貴方はどう思う?」
「お相手の方の事が大切なのかなと思います、何せ簪ですから」
「それが他の人と相談がてら品物を吟味するくらいだとしたら?」
「え?そうですね……それだけ真剣で、決まらな過ぎて追い詰められてるんですかね?藁にもすがるというか」


 正直者私的には、他の人の意見に染まりきってしまったのは嫌だが、参考程度にして結果その人自身が一人で選ぶなら良いと思う。……というか、その人は大切な人にその場面を見られたら誤解されるとかそういう思考にはならなかったのだろうか。恋柱様がこうして例え話にあげたという事は、彼女の知り合いの話なのだろうし……。

 質問を投げかけてきた恋柱様は、何か言いかけたがすぐに止めてしまった。気になる。


「……名前ちゃんはちゃんと分かってるみたいだし、うん!きっと大丈夫よね!!」
「何がですか?」
「何でもないわ!……よぉしっ、そろそろ甘味屋さん巡りを始めましょうか!」


 すくっ、と勢いよく立ち上がると握りこぶしを作って空に向かい突き上げた恋柱様は、張り切った声を上げた。そんな可愛らしい姿に、頬が緩むのを感じながら私も負けじと、はい!と元気良く声を上げて立ち上がった。

 それからはもう思う存分、恋柱様と甘味巡りをした。茶屋は勿論、最近出来た喫茶店やアイスクリンパーラーに果ては食事処の甘味まで。今日一日で数キロは体重が増えたんじゃないかって位に、滅茶苦茶食べた。
 ついでに何個か師範へのお土産を買って、今は茶屋としては五軒目になるお店で一服しているところである。恋柱様の食欲は未だ尽きておらず、隣で美味しそうに大好物の桜餅を頬張っている。それに比べて私の腹ははち切れる寸前だったので、大人しく茶をゆっくりと啜っている。あぁ、緑茶美味しい。

 それにしても何度見ても凄いよなぁ、恋柱様の食べっぷりは。一体これだけの食べ物達はこの細身にどうやって収まっているのだろうか。胃が普通の人より大きいのだろうか?というか、食べた物の栄養は何処にいっているのだろうか。胸?やっぱりその豊満な胸なの?私も恋柱様みたいにいっぱい食べれば貴方みたいなボンキュッボンになれます??
 ……止めておこう。私の場合恋柱様と同じくらい食べれたとしても、腹や二の腕、太腿に贅肉が増えて終わるのがオチだ。余分じゃない脂肪に限って一番欲しい所には絶対つかないんだ、私知ってる。

 彼女みたいな色気があれば、それなりに恋人が出来て師範に心配かけずに済んだんだろうなぁ。多分。
 まぁ?元々そんなに無い胸を更に普段はサラシで潰してる訳ですし?そりゃ髪が長い男に見えるよな、口が悪いのも自覚済みな上に隊服も普通のですし。あの噂のゲス眼鏡君は女性隊士にちょっとあれな隊服を送り付けてるって聞いてたけど、私はそんな事一度もされた事ねぇんだよなぁ……本っ当に失礼しちゃうよねぇ?
 恋柱様とまではいかないけれど、蟲柱様のとこの継子ちゃんの隊服とか可愛いからちょっと一回着てみたい。師範に浮つくなって怒られそうだけど。


「……あら?もしかしてあそこに居るの、伊黒さんじゃない?」
「え?何処ですか?」
「ほら、あそこの和菓子屋さんの所」
「あ、本当だ」


 今居る茶屋から少し離れた所にある向かい側のお店、その一店舗に見覚えのある白黒の縦縞模様の羽織が見えた。遠目に見える師範は、どうやら何かを買ったらしい。丁度店員さんから品物を受け取っていた。
 あぁ、あれは隣に居る恋柱様へだな。だって量が一つじゃない、紙袋の大きさからして最低でも箱が十は入ってるとみた。何だろう、何買ったんだろう師範。師範が目を付けたお店は結構レベルの高いお店が多いので、自然と気になってしまう。

 くるりと身を翻すと、此方に向かって歩いて来た師範。そのままのんびりとそれを見ていれば当たり前と言うべきか、まぁ普通に見つかった。私達を見つけた師範は、何故か目を見張って固まってしまったけれど。


「こんにちは伊黒さん!お買い物?」
「あ、あぁ……甘露寺達もか?」
「えぇ!といっても、今日は主に二人で甘味屋さん巡りをしたの!」
「そうなのか、甘露寺が楽しそうで何よりだ」
「今度伊黒さんも一緒にしましょうね!」
「あぁ、楽しみにしている」


 うん、本当に毎回思うけど恋柱様の前での師範は誰だコレ状態が強い。いや本人も幸せそうなんで良いですけどね?一気にモブと化した私もこの空気、全然苦じゃないんで。
 あ、待って、やっぱあった。一つだけ苦がありました。超この場から逃げたいくらいの苦がありました。そうだよ、忘れてた。

 私、今日の恋柱様との甘味屋巡りデートの事、師範に言ってない。なんなら思い返せば同期と会うって嘘吐いたな、私。……やばぁ、師範からの圧が凄いんですけど。


「しかしすまない甘露寺、今日はお開きにしてもらえないだろうか」
「え?どうして?」
「少し……そこで茶を飲んでいる奴に急用がある、埋め合わせは後日必ずすると約束しよう」
「そうなの……急用なら仕方無いわよね、大丈夫よ伊黒さん、気にしないで!」


 残念そうながらにも気を使わせない様に笑顔でそう答えた恋柱様は此方に向き直ると、またお出かけしましょうね!と太陽の様な輝かしい笑顔を残して去って行ってしまった。きちんとお会計を済ませて。
 是非、私なんかで良ければまたデートしましょう。しかし恋柱様、今その話題は言わないでほしかった。あぁもうほら、目の前の人が次があるのか?と言いたげな目をしてるし、けれど甘露寺の誘いを断るなぞ許さんって顔してるし。一体貴方の継子はどうすりゃ良いんですか、どっち選んでも地獄とか本っ当無いわー。


「……さて、何か言い残す事はあるか」
「えっ、嘘でしょ私これから死ぬんですか」
「安心しろ、一度三途の川を見る程度に済ませてやる」
「半殺しよりもっと酷かった!!」


 いや半殺しも普通に嫌ですけど!!そんな気持ちを思いっきり込めながら叫んだが、師範はそんなもの聞こえていないと言いたげに最期の言葉はそれで良いんだな?とわざわざ確認してきた。えげつない、えげつないよこの人。だって三途の川見るって事は私、一回死ぬ様なもんじゃないか。鬼畜か?いや鬼畜なのは知ってたけれども。


「それで?俺に嘘まで吐いて甘露寺とした逢い引きはさぞかし楽しかったんだろうな?」
「あ、はい、とても」
「……お前、一度誤魔化すと決めたなら最後まで突き通す位はしたらどうなんだ」
「あ゙っ」


 はぁぁぁ、まるで海より深そうな溜め息が師範の口から溢れる。呆れた表情に混じって、何処か諦めが入っているのは気のせいだろうか。いやさっきまでの青筋立てた顔よりかは全然こちらの方が良いんだけれど。だけどこっちの顔の方が何故か馬鹿にされている気がして怒られるよりも凄く嫌です、師範。
 いやまぁ、すっかり開き直ってデート楽しかったって言っちゃった私も私なんですけどね!分かってますよコノヤロー!!


「……お前は、本当に甘露寺を好いているんだな」
「えぇ、はい、大好きですよ」
「……そうか、お前は俺にああ言ったが本人に告げる気はあるのか?」
「えっ?」


 何の話だ?と言いたげな顔をして師範を見れば、それを見た師範は甘露寺が好きだと言っていただろう、と訝しげな顔をした。
 その言葉で漸く話を理解した私は慌てて、しないです!と首を横に振った。私があまりにも大袈裟に首を振るものだから、師範は若干引いた感じで一歩引き下がった。失礼な。


「しないのか」
「しないですよ、畏れ多い……それに恋柱様は素敵な殿方をお探しですので」
「しかし甘露寺ならば、好きになった相手なら性別など気にしないと思うが」
「でしょうね、恋柱様はそういう偏見を持っていないでしょうから……でも絶対しませんよ」


 ……だって、だって嘘なんですもん!!ねぇ何で師範、若干私の背中押してる感じなの?押す相手間違ってる、師範間違ってます。その手は師範自身の背中を押す為のもんです、私の背中じゃないです。というか、これ以上押されても何処にも行けませんから!恋柱様も嘘って知ってるから私が押されて困るのは恋柱様も一緒なの!!
 にしても何で急に私の背中を押す気になったんだ、この師範。この前まで恋柱様に近付くなとか言ってた人に、一体何の心境の変化が起こってしまったというのか。正直に言えば、変化が起きるのなら私とは関係無い所で起きてほしかった……!


「それにその、そろそろ諦めようとしていたところでして!ほら、頼りになる人が居ますし!!」
「……そんな頼りになる奴が甘露寺の近くに居たか?」


 っ貴方ですけどぉっ!?こう、遠回しに私は身を引くから後お願いしますねって言ったつもりだったんだけれど。もしかしてこれ、伝わってないやつ?というか、何か別の方向へ拗れて始めた気がするのは私の気のせいだろうか。嫌な予感しかしない。
 師範は鈍感じゃない筈なんだけどなぁ……?と一人首を捻って次の作戦を考えていれば、唐突に師範が一歩こちらへ歩み寄って来た。


「ならお前は一生、甘露寺に想いを告げること無く寂しい独り身で居るという事か」
「いや言い方!師範もしかして本当は私の事、嫌いですか!?」
「生理的に受け付けていなければ、端から継子する筈がないだろう」
「ごもっとも!!」


 悲しいかな。蛇柱の継子になって以降、いつの間にか身に付いてしまったこの能力。師範のネチネチに負けない様にと威勢よく振舞っていたら、いつの間にかツッコミの様な能力が身に付いていた。師範一切ボケてないのにね、可笑しいよね。
 そうやって勝手に一人理不尽さにいじけていれば、ニュッと目の前に突き出された師範の手。その手には細長い箱の様な物が握られている。


「……師範?何ですか、コレ」
「俺はまだ認めた訳じゃない、だが受け入れなかった訳では無い」
「は、はぁ……」
「これはお前にやろう、……判断は、苗字に任せる」


 ソレの意味くらい、お前の小さな脳味噌でも知っているだろう。取り敢えず、一通り考えをまとめて答えが決まったら帰って来い。俺は先に戻る。

 そんなよく分からない事を真顔で言い放った師範は、その言葉通りスタスタと屋敷のある方へと歩いて行ってしまった。
 えぇ……?今日一番、師範の考えている事が分からない。いや今までも分かった事あんまり無かったけれども。取り敢えずあの発言を理解するには、この長方形の箱の中身を見れば分かるって事で良いの?うへぇ、何か怖い。

 別に爆発する訳でも無いのに馬鹿みたいにビクビクと怯えながら、ゆっくりと箱の蓋を開ける。すると肝心の中身は布に包まれていて、少し拍子抜けしてしまった。何だよもう、と思いながら布を捲れば、そこに現れた物は細長い棒に華奢だが煌びやかな装飾が施された物。

 簪が、大事そうに仕舞われていた。


「は……?」


 思わずそんな間抜けな声が漏れでる。だってまさか、師範から受け取った物がこんな物だとは思わなかったのだ。しかもあの時この箱を寄越した師範は何と言った?私にやると、そう言わなかったか。
 師範は常識もあって聡明で、私が知っている事なんて大体は知っている。だから、師範が知らない筈がないんだ。簪を送る意味を、あの師範が知らない筈がない。

 どうして師範はコレを私に?コレを渡すべきは恋柱様では?でもあの時の師範は別に悲観していた訳でもなかったし、コレを渡してきた時だって“要らない物”とは一切言わなかった。
 つまりあの時渡してきた師範は、間違えてコレを渡してきた訳ではないという事になる。

 ……あぁやばい、頭が痛くなってきた。私、考え事するのあんまり得意じゃないのに。何て厄介な問題を投げ寄こしてくれたんだ、あの超奥手ネチネチ師範は。


『殿方が簪を真剣に選んでいたら、貴方はどう思う?』
『それが他の人と相談がてら品物を吟味するくらいだとしたら?』


 ふと、恋柱様のあの発言が頭を過ぎった。あの時は唐突な質問だなとしか思わなかったし、その時もただ普通に思った事を答えただけだった。でも、あれがもし、彼女が話していた人物が師範だとしたら?師範が、この簪をわざわざ恋柱様に相談して、吟味して選んだ一品だとしたら?
 師範が意味を全て分かった上で、真剣に選んだ結果を渡してきたとしたら?

 そう思い至ってしまった私は、気が付けば手に持った物を落とさないようにしっかりと握りしめて、駆け出していた。


「っハ、ァッ……!っ師範!!」
「……煩いぞ、もう少し静かに入って来られないのか」


 ドタバタと足音を鳴らし息を切らしてスパァンッと勢い良く障子を開け放った私を出迎えてくれた師範から、ジトリとした目が向けられた。ねぇ仮にも簪を渡した相手に向ける目ですか、それ。


「わざわざ来たのだから、当然答えを用意したんだろうな」
「っ分かんないです!」
「お前まさか、これくらいの意味も知らなかったのか……!?」
「違います意味はちゃんと知ってます!!師範、私の事一体何だと思ってるんですか!」
「継子」
「そうですけども!!」


 あぁ駄目だ、これじゃあいつもの会話と変わらない。わざわざ日常会話をする為に師範の部屋に来た訳じゃないのに。


「そして、俺が簪を渡しても良いと思った奴だ」
「は、」
「……何だそのアホ面は、知っているんだろう?」
「そう、ですけど……」


 まさか、そんな事を言われるなんて思ってもみなかったんだから仕方無いじゃないですか。しかも他でもない貴方に。
 超奥手で、ある意味恥ずかしがり屋の師範がド直球でくるなんて誰が思う。と、本人には口が裂けても言えないので心の中に留めておくけれど。だって実際に言ったら絶対殴られる、ボッコボコにされる未来が私には見える。

 っあぁもう、頬を赤らめられれば馬鹿な私でも理解出来るに決まってるじゃないですか!


「こ、恋柱様じゃなかったんですか」
「前にも言っただろう、俺自身も驚いたと」
「私なんかに、こんなの渡しちゃっていいんですか?絶対後悔しますよ」
「渡しても良いと思ったから渡したと、先程言っただろう」
「……色々すっ飛ばし過ぎですよ、師範」
「俺も、自身のした突飛な行動に現在進行形で驚いているところだ」


 だって私達、まだお互い好きとも言ってないんですよ?しかも、私自身がまだ師範をそういう風に想っているかよく分かっていないというのに。それなのに、すっ飛ばして求婚に近しい事をされるなんてどんな人間でも動揺するに決まってる。
 私が師範に心情を乱されまくっているというのに、いつの間にか平常運転に戻っている師範は何食わぬ顔で湯呑みを傾けている。くっそ、さっきまでの師範は何処に行ってしまったんだ。帰ってきてくれ、さっきの初めて見た可愛げのあった師範よ。


「……分かっている、先程苗字が言った“分からない”の意味は」
「……!」
「別に今すぐ返事を急く訳じゃないから安心しろ、ただ俺の意思を伝えたかっただけだ」
「そう、なんですか?」
「お前に遠回しな事をするのは一切無駄で馬鹿馬鹿しいと嫌な程に理解したからな、こうした方が色々早いと思い至ったまでだ」
「いちいち小馬鹿にするの良くないと思います!」


 ご愛嬌とでも思っておけ、今更すぎて直せん。まぁ直す気も一切無いが。

 シラっとした顔でそう言ってのけた師範は、目元をゆるりと柔らかく細めた。その顔も初めて見る顔で、今日は師範の見た事ない姿を沢山見る日だなぁと思考が勝手に飛ぶ位にはいっぱいいっぱいだった。
 ……あぁくそ。師範は綺麗で、格好良い。


「っ取り敢えず一ヶ月!一ヶ月お試し期間にしましょう!」
「それで何か変わるのか?」
「少なくとも私の心が整って正常な判断が出来ます、後は相性が分かりますし」
「……前半は良いとして、後半は今とそんな変わらないだろう」
「変わります、私の心情は天と地の差があるんですー!」


 懸命に今出来る主張をすれば、私の必死さに若干引いた師範が分かった分かったと投げやりに返事をした。


「だが一ヶ月は長い」
「えっ、じゃっ、じゃあ四週間……?」
「それは一ヶ月と変わらん、二週間」
「さっ、三週間!」
「一週間」
「何でどんどん短くなってんですか!!」


 返事急がないって言ってたよね!?さっきそう言ってたよね師範!?何なんだこの人!もしかして遊ばれてる?……あっ今フッ、って息が漏れる音がした。今絶対笑ってた、ガッツリ笑ってたんですけど!


「……冗談だ、良いだろう一ヶ月だな?」
「っは、はい」
「なら、この話は一ヶ月後だ」
「い、良いんですか……?」
「良いも何も、お前が言い出したんだろう」


 呆れまじれに言われ、うっ、と黙るしかない。いざ一ヶ月と決まると、それはそれで落ち着かないのだ。
 しかも師範に分かりやすく怖気付いたのか?と煽られてしまい、私はまさか!とすぐさま言い切ってしまった。アホすぎる。


「し、師範なんて、首洗って待ってれば良いんですよ!」
「頼まれても忘れてやらん、安心しろ」
「っ一体何処でそんな言い回し覚えてくんですか……!」
「さてな」


 唸れば、くふくふと何処か満足気に笑う師範。小さく笑った師範は、少し幼く見えた。

 一ヶ月、あと一ヶ月後にはどんな答えであれ出さなければいけない。それがどんな結果になろうとも。
 でも、この簪を貰った時、当たり前だが困惑が大きかった。だけど、嫌悪は無かったんだ。だから、ちゃんとそれも踏まえて見極めなきゃ。じゃなきゃ一生後悔してしまう気がするから。……それに適当にしたら絶対師範に見破られてネチネチされるのが何となく分かるから、一ヶ月間真剣に見極めたいと思う、真面目に。あぁ後、“嘘”の件についても一ヶ月後にちゃんと言わなきゃ。今言ったら確実に拗れるだろうし。

 本当、私の師範殿は突飛な事をしてくれた。


「どんな結果になっても泣かないで下さいね!後、継子も辞めさせないで下さいね!?」
「泣くか阿呆、それにこんな事で戦力をわざわざ削る真似をするか大馬鹿者め」
「言いましたね!約束ですからね!!」


 投げやりで、呆れ混じりの小馬鹿にした約束事をさせて、私は気合いを入れる為バチリ!と自身の頬を叩く。……視界の端で、ついにドン引きした師範なんて私は知らない見ていない。

 一ヶ月後、師範も私も後悔しない形に絶対してやりますから大人しく待ってるんですよ、師範!!……本当に!頑張って本気とか出して、落としにこないで下さいね!?





獲物を捉えたので確実に落とそうと思います
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