「ラギー先輩に噛まれたい……」
「まーた変な事言い出したよコイツは」
「そろそろ本格的に医者に見てもらった方が良くないか?」
「もう手遅れなんだゾ」
「みんな冷た過ぎない?」


 ねぇ何でそんなに冷たいの?泣くよ??喚き散らしてまるで私が君達に泣かされたように仕向けるよ????

 そんな内情を抱えながら彼等を見たが、もうこんな私に良くも悪くも慣れすぎてしまった面子は何事も無かったかのように世間話へと移行してしまう。
 くそぅ……確かに今、沢山人の居る食堂で咽び泣こうとは思わないし、そんな勇気も無いけれど。それにしたって扱い方が雑過ぎないか、出会った頃は何とも言えない顔をしながらもまだ話を聞いてくれていたというのに!この日常を喜べば良いのか、悲しめば良いのか。どっちだ。


「ねぇ!お願いだから話聞いて!!」
「あーうん聞いてる聞いてる、それでなー」
「それ聞いてない人のテンプレじゃんか!!」
「監督生……毎回言っているが人の趣味趣向は別に否定しないし、それでダチを辞めたりもしない。だが、大っぴらにするのはどうかと思う」
「可笑しいな、いつの間にか私の発言がヤバい性癖暴露みたいに思われてる」


 うっっっそでしょ、誠に遺憾なんですけども。ただ願望口に出してただけじゃん、別に卑猥な言葉とかそういうの一切言ってないのに。言っとくけどあれよ?噛まれたいっていうのは比喩で、投げキッスしてー!とか、ウインクしてー!とか、そういう類だからね??
 ていうか、何ならそっち系の話をするのは君達(特にエース)の方が多いじゃないか。それなのに何故私だけがまるで変態の様な扱いを受けているのだろうか、解せない。

 諭す様に優しい口調で訴えてきたデュースは気まずそうな、何とも言えない顔をして目線を斜め下に落としていた。
 その隣では、特に顔色を変えていないエースが食事を続けながらも何処か呆れた様な視線を此方に寄越す。机の上に居るグリムに至っては、我関せずと言った感じで背中を向けられてしまった。背中向けられるとか悲し過ぎないか。


「ねぇ、私そこまで変な事言った覚えないんだけど」
「え、お前それ本気で言ってる?」
「胸に手を当ててよく考えてみてくれないか」
「私の心はいつだって澄み切った湖の様に綺麗です」
「「「有り得ない/んだゾ」」」


 実際に言ったら即否定されるけどやっぱり君達、絶対仲良いでしょ?こんなに息ピッタリな事ある??普段あれだけ騒いで喧嘩する癖に、こういう時だけ打ち合わせもしてないのに呼吸をする様に合わさるとか逆に凄いよ。ってか全員有り得ないって言ったのは許さないからな、後で覚えてろ。報復はいつも忘れた頃にやってくるんだからな。

 まぁいいや、それは置いておいて。今は我が推しの事を語る事が最優先事項である。学園長の真似じゃないけどほら私、優しいので?今は一旦横に置いておいてやりますとも。えぇ。


「私はただ推しの素晴らしさを布教したいだけなのに」
「怪しい勧誘でももうちょいマシなやり方すんだろ」
「私の推しはこの世の奇跡なのでそんなのと一緒にされるのは非常に困る」
「ほらぁー!会話成り立ってる様で全然成り立ってねーもん!」


 少しでも布教する気があんなら理性を連れて来いとエースに呆れ顔で言われてしまったが、元より此方は最初っから理性有りきで会話をしているので、これ以上どうにも出来ない。
 というか、尊い推しの事を話して思い浮かべてるのにSAN値減る訳が無くない……?減る方がどうかしてると思うの。回復するに決まってるじゃん。そのお陰で今日も私のメンタルはバリバリ安定してますよ、ありがとうラギー・大天使・ブッチ先輩。

 心の中で推しを拝み倒していれば、ふとデュースが何かを思い出した様にそう言えば、と口を開いた。


「この前は確かマドルをねじ込みたい、だったか?」
「あぁ……あの遂に脳が蒸発したかと思ったやつ」
「普通に渡された方がまだ良いんだゾ」
「何でよ、誰しもが一度は夢見る事じゃんか」


 純粋に不思議に思い首を傾げれば、そんなモン無い!と三者三葉の力強い否定をされてしまった。解せない。

 良いじゃないか、お布施。首元や胸ポケットに、シャツとベストの間、スラックスに付いてる全部のポケットやスラックスとお腹の隙間とか。ありとあらゆる隙間に捩じ込みたいと思うだろう。
 でもそれ以上の不用意なお触りはしない、だってそういう店じゃないので。推しは神聖なものなので。札束捩じ込みは、私の世界で言う神社の賽銭箱なので。……こっちにそういう文化があるのかは知らないけど。でもそういう感じだから!邪念とか一切無いんだからねっ!!


「発想がアウトっつーか、完全に変態のソレ」
「失礼な!!!!」
「じゃあ監督生はブッチ先輩をそういう風に見た事は“一度”も無いんだな?」
「そういう風、とは」
「その、邪な目……とか」


 若干言いづらそうに問うてきたデュースに、私は固まってしまう。邪、とな。まさかそんな質問をされるとは思いもしなかった。
 そしてそれ以上に一つ、大きな疑問が私にも浮かび上がってしまったのだが、これは聞いても良いものだろうか?いやでもこれが分からないとデュースの問いに返せないしなぁ……仕方無い、これも推し布教の一環だ。多分。


「ねぇ二人とも、一つ聞いても良い?」
「何だよ」
「どうかしたのか?」
「邪って、何処からが邪なの?」
「「えっ」」


 疑問を投げかけてみれば、ピシリ、と今度は彼等が石の様に固まってしまった。そして暫くして石化が解けた二人から困った様な、それでいて信じられない様な物を見る目を向けてくる。
 何なんだ君達、その目は。心做しか若干彼等と心の距離が開いた気がするのはどうしてだろう。気の所為か??


「あー……監督生はさ、恋人とかがする行為分かる?」
「恋人?それなら、ハグとかキス?」
「まぁそれでも良いや。そういうのをさ、お前はブッチ先輩にしたいって思った事はねぇの?って事」
「えっ嘘でしょそういう話!?」
「うん、そういう話」


 だってお前、ブッチ先輩を尊んでるくせして発言が全部アウトなんだもん。そりゃそう思わざるおえねーって!この純情真面目ちゃんデュース君が言うって相当だぜ?監督生。

 そう言いながらエースがぶすり、と横にいたデュースの頬を人差し指で突けば、その手は素早くデュースにベチリと結構強めに払いと落とされていた。ざまぁ。
 それにしてもそういう話なのか、これ。そうだったのか。正直想像もしなかった。彼を一目見た瞬間、私の中でラギー先輩は推しという存在になってしまったから。それ以上でも以下でも無いというか。それにこちらの世界に来てからは、こちらの生活に慣れるのに必死でそんな事は頭に無かったし。恋愛って基本、余裕が無いと出来ないもんだし。

……あれ、ていうか待って?そういえば私、ラギー先輩に対しては大人数なら兎も角、一人では彼等みたいにこうやってまともに近付いたこと無いかもしれない。
 気が付いた時には推し認定してたから、無意識に身体が一定の距離を保ってたのかもしれない。例えばそう、最低でもドームコンサートのステージと最前列くらいは。そうしないとほら、警備員さんが直ぐに飛んできてつまみ出されちゃうから。最悪出禁になって、ブラックリスト入り果たすじゃん?そんなの嫌ですもん。


「うーん……?ラギー・ブッチはアイドルだから考えた事無かったや……」
「いやあの人はオレらと同じでこの学校に通う一般人な」
「一度推しだと思ったらその時点でその人はアイドル以外の何者でもないですが??」
「ちょっと何言ってるか分かんねぇわ」


 この世の常識の様に真顔で言うも、エースの理解は得られず同じく真顔でそう返された。悲しい。

 推しについて語っていれば、いつの間にか目の前の二人は食事を終えており、食器を片付ける為に席を立つ。それを見た私も慌てて残り少なくなくなっていたプレートの上の物を平らげて、彼等の後を追う様に食器を持って席を立った。
 ちなみにグリムは結構前に大の字で幸せそうに寝ていたので、起こさない様に片腕で包み込む様に抱えている。プゥプゥ鼻を鳴らしてるのは、何度見ても可愛いと思う。いつもこれくらい大人しかったら良いのに。

 食堂を出て、エーデュースと共に歩きながらそんなことを思いつつ腕の中のグリムを見ていると、不思議と自身の推しを思い出す。一緒してしまうと多分、というか確実に怒られるだろうが、推しであるラギー先輩は獣人属なのでグリムと同じ魅力的な獣耳と尻尾をお持ちである。ピクピク、ユラユラと動くそれらは可愛く、極上の癒しである。
 グリムに関しては触れてアニマルセラピーといった感じだが、ラギー先輩に関しては絶滅危惧種を保護し崇め奉る感じだろうか。安易に触れてはいけない感じの、きちんとした知識が無ければ近寄る事が怖い感覚。

 グリムならこんなに簡単に触れるのになぁ、と何とも言えない感情になりながらも、こしょこしょと首や頭を撫でてやれば無意識なのだろう。目をつぶったまま「ふなぁ〜〜〜〜……!」といった腑抜けた声を漏らすので、つい笑ってしまった。


「へぇ〜、案外君ってテクニシャンなんスね?」
「いやぁそれがそうでも無くて、この前なんて触り過ぎたみたいで不機嫌にさせちゃいましたし」
「あー、そりゃ仕方ない。適度を超えると嫌悪感しか残らないッスから」
「やっぱりそうなんですかぁー…………え?」
「こんにちは、監督生くん達!」


 突然の登場に友人達がそれぞれ驚きの声を上げている中、私は目の前の現実に固まる事しか出来なかった。
 いつの間に現れていたのか、ひょっこりと背後から顔を出してごく自然に私と会話をし始めていた彼は、片手を軽く上げてニパッと明るい笑みを浮かべながらそこに立っている。大事な事だから二回言うが、推しが、私の背後に居て、可愛らしい笑みを浮かべながら、私に話しかけてきていた。

 ラギー先輩は内心が荒ぶりまくる此方を他所にチラリと一瞬だけ視線を何処かに投げたが、すぐに二パッと笑ってこちらと目を合わせてきた。


「そういえば、君とは思い返してみると何気に一体一で話した事が無かったッスよね」
「ホァッ!?」
「折角の良い機会だし、監督生くんがお暇ならちょっとお喋りしましょうよ」
「ピッッッッッ」
「……何か、さっきから変な声しか上げてねぇけど大丈夫ッスか?」


 若干心配する様な雰囲気を醸し出しながら訝しげな顔をして此方の顔を覗き込む我が推しは、それはそれはもう大変麗しく至高でした。
 此方を伺う様にこてりと小さく首を傾げ、軽く覗き込んでいるせいもあって無意識の上目遣い。小さく開いたままの口元なんてもう、見てはいけないものを見てしまった感が凄い。

 嗚呼、うん。なぁるほどね、こういう事か。OKOK把握した、さっきエーデュースが本当に言いたかったのはこういう事だね?……っア゙ーーーーーーッ!!推しに一瞬でも生唾を飲む様な感情を抱いてしまうなんてッッッッ!!!!ごめんなさいラギー・ブッチ先輩!!!!!!
 エースの馬鹿野郎、何であの時にキスとかハグでOKサインを出したんだ。全っ然レベルが違うじゃないか!!二人とも分かってたのなら教えてくれよ、頼むから!大方あの場では説明しずらいとかそういうのだったのだろうけど、それでもこれからは正しく教えてくれ。監督生からのお願い!だからな????

 後さっきっから何かやけに君達静かだけど、おかげでお前らのダチが今瀕死だぞ?お願いだから助けておくれよ。


「今度は百面相しだしましたけど、本当に大丈夫ッスか」
「だいじょばなく無いけど大丈夫なので大丈夫だからきっと大丈夫です!!?」
「いや大丈夫って言葉がゲシュタルト崩壊して言ってる事が訳分かんなくなってますけど」
「ちが、違います、ちょっと混乱してて、推しがあまりにも推しだったものなので……」
「あ、駄目そうッスね」


 保健室に担ぎこんでやりましょーか?とラギー先輩が冗談半分で笑いながら言うので、即座に首を横に振ってお断りした。
 無理無理無理、こんな締りの無い身体を推しに触れさせて、あまつさえ持ち上げられるとか無理寄りの無理。何なら推しの腕が折れる、絶対にポッキリ逝く。だって見てよ、この全体的な細さ!マジフトやらをしているお陰で余計な贅肉はついていないし、しかも元々の骨格が細身なのか、腰なんて私よりも細いんじゃないか?足だって走って鍛えられてるからスラリとしててさぁ……もし私の事を持ち上げたとなれば、例え鍛えていたとしても腕の次は足が折れるだろう絶対。


「先輩に傷を負わせでもしたら末代までの恥……!」
「んな大袈裟な……ってか、何で俺が怪我する話になってるんスか?」
「だだだだだだって!ラギー先輩は華奢なお身体じゃないですか!!」
「……はい?」


 コツン、と彼の頭に星が軽く一つ落ちたのが見えた気がした。気がしたが、私の方はそれどころでは無い。バタバタと身振り手振りでラギー先輩に自身の言い分を伝えれば、もしかしなくても喧嘩売ってます?と口元を引き攣らせられてしまった。ひぇ、今日は推しの供給が湯水の様に湧いてくる……しゅごい……。
 アッ、じゃなかった違います。売ってないです、違うんです。今思えば、サバナクロー寮所属で尚且つ肉食獣人属の先輩からしたら喧嘩大安売り大特価叩き売りセールだったかもしれないけれど!私自身は超大真面目なんです!!信じて下さい!!!!

 混乱に混乱を極めた状態で、それでも何とか助けを求めるため先程まで一緒に居たであろうエーデュースの方へ視線を投げる。だが予想に反しそこには誰も居らず、丁度吹いた風と共に木の葉が数枚舞って横切っていっただけだった。……えっ、嘘やん?


「エッ……デュッ…………あれェッ!?」
「あぁ、あの一年生コンビならオレと目が合った時に会釈して何処か行っちゃいましたけど」
「そ、それっていつ頃ですか……?」
「オレが君に話しかけた時ッスかね」


 いや最初っからじゃねぇかッッッッ!!!!ねぇ私達ダチじゃなかったの?ダチの中のマブダチじゃなかったの??普通に置いてってんじゃん、置き去りじゃん私。何か一言くらいくれよ、寂しいんだけど。まぁその場合、絶対に逃がさないけども。
 というか君達は私のこの推しへの思いを知ってるだろ、何で置いてった。私が推しを前にするとキャパオーバーになってまともな会話が出来なくなるから、君達の影に隠れてやり過ごしていたという事実を知っておきながら、何故置いて行った。さてはお前ら鬼畜か?鬼畜の所業だもんな??

 置いて行かれた悲しみや寂しさと共に友人達を恨んでいれば自然と腕に力が入ってしまったのだろう、腕の中に居たグリムから「フナ゙ッ!?」という悲鳴が上がった。


「っうわ!ごめんグリム!!」
「急に何なんだゾ……ってラギーじゃねぇか」
「どうもグリムくん。たまたま、ホント偶然会ったんでちょっとお喋りしてたんスよ〜!」
「……オレ様、こんな時まで面倒に巻き込まれるのは嫌なんだゾ」


 うげぇ。急にまるでクソ不味い物でも食べたかの様に顔を歪ませて舌を出してみせたグリムは、するりと私の腕の中から抜け出すと此方が呼び止める間も無くフヨフヨと何処かへ去って行ってしまう。なんてこった、ブルータスお前もか。私達はペアでやっと一人前、お前だけは、グリムだけは結局最期まで見捨てないと思っていたのに!現実はあっさりとこの場を離れて行ってしまったではないか、何と薄情な。ツナ缶の量減らしちゃうぞコノヤロウ。

 二人と一匹に置いてけぼりを喰らった私がショックを受けている隣で、ラギー先輩が「あーらら、最後の砦だったのに。薄情ッスねぇ」とそちらの方を見ながら軽い声音で呟いた。


「砦……?」
「こっちの話だから気にしなくていーッスよ、それよりずっと立ちっぱなしもあれッスから何処かに座って話しません?」
「え゙っ!?」
「嫌……ッスか?」
「っ全くもって嫌じゃないですぅ……!」


 負けた、即落ち二コマだった。上目遣いで不安そうに見上げられて、尚且つ頭の上のお耳をペショリと伏せられてしまっては断るなんて事は絶対に出来ない。というか許されないでしょ、推しを悲しませるとか。あまりの尊さに顔面を手で覆いながら空を仰いだよ、推しの前じゃなかったら膝から崩れ落ちてたと思う。

 そんな私自身からしても様子が可笑し過ぎる後輩に何も言わず、ラギー先輩は私が了承した事にパッと表情を明るくさせて、近くのベンチへと誘導する。そして互いにストン、と腰を落ち着けた所で、ラギー先輩から予想だにしなかった魔球が飛んできた。


「あ、そういえば、君はオレと恋人みたいな事がしたいんスか?」
「ヴァッ!!??」
「やー、盗み聞きするつもりは無かったんスよ?でも偶然近くに居たもんだから聞こえちゃって!」
「そそそそんな恐れ多い……!」


 思わぬ言葉に完璧な不審者対応してしまった私を見て、ラギー先輩は何か思う所があったのか片眉を上げて此方をジッと見つめてきた。そのせいで、推しにガン見されて更にキョドる私という情けない絵面が完成してしまう。こんなの公開処刑じゃないか、いっそ殺してくれ……!


「恐れ多い、ねぇ……ハイエナのオレにそんな事言うのなんて君くらいッスよ」
「は!?そんっな事は絶対無いです!先輩が知らないだけで、そう思ってる人は絶対に沢山居ます!!」
「えー?例えば?」
「私の元の世界とか滅茶苦茶居る自信がありますね、断言しても良い」
「ふはっ……!何スかそれ、監督生くんの世界は変わってるッスねぇ!」


 小さく吹き出したラギー先輩の表情は柔らかく、くふくふと面白可笑しそうに笑う。まるで自分にはそんな事は想像出来ないと言いたげに。だが、前に聞いた話では事実この世界ではそうなのだろう。私の居た世界とこの世界では似ていたり同じ所はあっても、結局は根本的に違うものなのだから。

 けれど、これだけは断言しよう。確実に私の世界だったらラギー先輩は好かれまくっただろう。獣耳は何時の時代も需要がある物だと、太古の昔から決まっている。しかも顔が可愛い系で面も良い。それでいてしなやかに、軽やかに動きながら飄々と相手を煽ったりするのだから一定層に刺さるに決まっている。
 そんでもって極めつけは属性よ。最初はレオナ先輩の取り巻きかと思ったら現実は苦労性で子持ちの主夫だったし、かと思えば故郷の子供達の世話をする兄属性だったし。デフォルトで既に童顔獣耳という属性をお持ちのくせして、どんどん深くなる沼。自国の同類が即落ちしていく様が、見なくても手に取る様に分かる。

 理由を語るなら千枚くらい多分余裕で書けますよ、と真顔で言ってのければ、ラギー先輩はきょとりと一瞬呆けてすぐに「それもう反省文よりも格上じゃないッスか!」と、お腹を抱えて笑いだしてしまう。そ、そこまで面白い事を言っただろうか……?


「はー……笑った……!取り敢えず、監督生くんがオレの事を大好きな事は分かったッスよ」
「そうそう、私はラギー先輩が大好き……っんぉぇあ!!??」
「え、違うんスか?」
「違っ、くは無いし寧ろその通りなんですけども……!」
「……シシシッ、やった!」


 彼特有の笑い声の後に小さく呟かれた言葉を聞いてしまった私は、あまりの尊さに霧散した。
……いや、は?“やった!”って何?可愛すぎない?というかそう言ったって事は、私に好きって言われて嬉しかったって事?そういう事なの??え、魔性じゃん。ラギー・ブッチ魔性のハイエナでしかないじゃん。は?好き。これが恋愛ゲームだったら即攻略されてたわ、こっっっわ。てか恋愛ゲームじゃなくても普通に落ちるでしょ、これは。私には元の世界に帰るという意思バリアがあるので何とか凌いだが、正直次また同じ威力を喰らったら私自身どうなるか分からない。ラギー・ブッチ、恐ろしい子……!


「で、話戻しますけど、したいんスか?オレと」
「え?」
「恋人みたいなコト」
「こっ……それ掘り返すんですか!?」
「まぁ、気になるから掘り返したんスよね」


 今後色々と参考になりますし、とニヤニヤ笑いながら此方を観察してくるラギー先輩はとても悪い顔をしている。今後って何……一体こんな情報を何に使うというんだ私の推しは。

 というか聞かれても困る。友人達と話していた時もそうだったが、考えた事が無かったのだ。別に、彼を異性として認識してない訳じゃない。ただそういう風に意識した事が無いというか、なんというか。先程霧散した時だって、心臓が搾られる程にドキドキはした。でも、それが恋愛感情云々なのかと聞かれてしまうと分からないのだ。推しは推し、それ以上でも以下でも無い。私の中ではそういう事なのだ。


「その……分からない、です」
「それはまた、何で?」
「えぇっと、そういう風に見た事が無かったし考えもしなかったから……ですかね」
「……ふぅん?そうッスかぁ、へぇー?」


 素直に答えてみれば、何故か降下してしまった様に見える推しの機嫌。ふーーーーん?と若干低めの声で長めに出されたそれは、いかにも不服ですと言いたげな声音をしている。ジトリ、と向けられている痛い視線も、きっと気の所為では無いのだろう。
 だが、どうしてだ。何がそこまで先輩の機嫌を損ねてしまったのだろう。まるで分からない。チラリと様子を伺うように視線を彼の方へ投げれば、そこには変わらず不機嫌オーラを醸し出している推しが居た。


「……今の状況に見当もつかないって顔してるッスね」
「すみません……」
「はぁ……良いッスよ、これからオレ自身がその認識を変えてやればいい話なんで」
「よ、よろしくお願いします……?」
「言ったッスね?言質取ったんで、今更取り消しとか効かねーんで!」


 反射的に出てしまった言葉にラギー先輩が異様に食い付いたかと思えば、グッと距離を縮められて念を押されてしまう。……というか近い近い、顔が良い……!しかも何か良い匂いするんですけど、自然界の落ち着く感じの匂いがするんですけど!!
 彼が迫ってきた分、上半身を反らして距離を取りながら素早く何度も頷いてみせれば、ラギー先輩は納得してくれたらしく一つ頷くと元の位置へと戻ってくれた。それに伴い私も反らした体を戻す。正直あと少しで背中が吊るかと思った。


「んじゃあ取り敢えず、まずは意識改革の第一歩として君のお願いを叶えましょっか!」
「願い、ですか?」
「もしかして自分で言っといて忘れちゃったんスか?あれだけ願ってたくせに」
「え、え?」


 私、ラギー先輩にお願い事なんてしただろうか?少なくとも今日彼と話していた間には記憶に無いのだが。勿論、彼に言っていない願い事なら沢山ある。今日だって友人達にその思いの丈をぶちまけた。本人に言う勇気無いからね!言ったら確実にドン引きコース一択でしょ、嫌だわそんなん。最悪距離置かれたら泣く自信あるもん。まぁ、その推しとは今日まともに接触してる真っ最中なんですけどね!!

 君は思ったよりも警戒心が無さ過ぎて逆に心配になってくるッス、と何処か呆れた様子で此方を見ながらも唐突に何故かスルリと彼に掬い取られた私の左手。彼はスリ、とまるで指の場所を確かめるかの様に親指で一撫したかと思えば、くん、と軽く彼の方へと引っ張られる。急な事に訳も分からずその様子を見守っていれば、手が導かれた先は彼が喋る度に鋭利な牙がキラリと見え隠れしていた所で。え?とその光景に驚き目を見開くと同時に、そこはまるでこれから獲物を喰らうかの様に大きく開いて────容赦無く、歯を突き立ててみせた。


「い゙っ……!?なん、はぁっ!?」
「んー、こんなもんッスかねぇ?」
「や、なに、たべ、え……?先輩そこまでお腹空いてたんですか……?」
「んな訳ないでしょ、おバカさん」
「じゃあ何で……!?」
「何でって……さっきも言った通り、君が願った事じゃないッスか」


 食堂で、人目もはばからず、友人くん達に、それはもう思いっきり。忘れたとは言わせないッスよ?

 ニィ、と口元を歪ませて意地悪く笑う目の前の推しに言われ、漸く私は彼が何を指していたか察する。つまり聞かれていたのだ、最初から、全て。そりゃそうだ、先輩から恋人云々の話を聞いた時にそこだけ、なんて都合の良い事が無いって頭の何処かで分かってはいたんだよ。見ない振りしてただけで。
 うっわ終わった、推しに知られてしまった。この欲望まみれの思いを……!どうしよう、私あの時、他に何言ったっけ。全然覚えてない。確かに思い返せば言い方が直球過ぎたかもしれないので、ラギー先輩がこういう行動を起こしたのも無理は無いとは思う。……いやそれにしたって、未だに何で物理的に噛んでくれたのかよく分かってないけども。

 あれらの発言は私にとって全て推しへの愛だったが、本人からしたら地雷原でタップダンスされてる気分だったかもしれない。もし私だったら抹殺するな、そいつ。アッ、もしや私、これから死ぬのでは??


「思い出しました?」
「……それはもう、今すぐ死にたいくらいには」
「それは困るッスねぇ」
「や、もう、ほんと、忘れて下さい……!」
「え?絶対に嫌ですけど」


 思わぬ返しに、思わずそちらを見て固まる。無意識に、え?と疑問符を付けて返せば「だぁかぁらぁ〜、絶対に嫌!って言ったんスよ」と、言い聞かせる様に言われてしまう。……え?


「知ってます?ハイエナは結構狩りが上手いんスよ」
「そう、なんですね……?」
「そう……だから標的の獲物を逃がすなんてそんな馬鹿な事、オレがする訳無いじゃないッスか」
「獲物って……」
「諦めの悪いハイエナにソコを噛み付かれたんスから、精々覚悟しておいて下さいね?」


 じゃないとオレ、いつまで経ってもお許しが貰えない哀れで可哀想なハイエナくんになっちゃいます。それはちょっと流石に遠慮願いたいんで。

 そう言うとラギー先輩は未だ手に取ったままだった私の手にもう一度口元を近付けると、今度は噛み付いた場所をペロリと舐める。それはまるで動物が傷跡を治療する様でいて、その実その場所を徹底的に意識させるように仕向けられた様な。
 っまさか、嘘でしょ?ラギー先輩の言っていた意識改革ってそういう……!?


「ちゃあんと“意識”、するんスよ?」


 ちゅっ、と手の甲に優しい口付けを一つ落としてきた先輩は、こちらを見上げてきて私を確認すると満足気に笑う。顔真っ赤、と彼が何故か嬉しそうに小さく零した声は流石に聞き逃さなかった。その言葉と彼の表情に、何故かドッと跳ねた心臓。耳の奥でドクドクと大きく脈打つ音が聞こえてくる程に。

 左手薬指の付け根に出来たばかりの噛み跡が、記憶だけでは飽き足らず今日の出来事をしっかりと体に刻みつける様にジクジクと痛んでいる気がした。







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