※2部5章公開前に執筆






「モフモフに埋まりたい!」
「……は?」


 ある日のマイルーム、今日はアスクレピオスと一緒にティータイム中。唐突に、何の脈略も無くモフりたいのーっ!と耐えきれずにワッと叫んだ私に、急に何だと若干冷めた目をこちらに向ける先生。何て事は無い、定期的にくる動物を愛でたい衝動が襲ってきただけの事。
 だから別に頭がとち狂ったとかじゃ無いからそんな目で見ないで先生、私は至って正常です。

 幼い頃から動物を飼っていて、常に近くに居た環境で育ったからなのか定期的に動物達の癒しを求める様になってしまった。勿論、癒しをくれた動物達にはお世話というお返しを出来る範囲精一杯する。まずご飯やおやつでしょ、次に掃除、次に遊びやブラッシングでしょ、それからお散歩!
 嗚呼!こうやって想像するだけでも愛おしく楽しい戯れ、現実ならばその何倍にもなるだろう。

 だが、悲しいかな。未だこのカルデアには動物系のサーヴァントが居ない。新宿に行った時に会ったあの子とか!オニランドで出会ったあの子とか!!ドストライクだったのに!未だ召喚には応じて貰ってないよ!!……まぁそれっぽい人達は居るのです、獣耳と尻尾とか。後は宝具使えば出てくる子達とか。例えばツェルコさんとか見目は大変良き羊だけど、モフるとプレゼント中から出てくるし。
 でも違うの!いやその子達はその子達で滅茶苦茶最高だし、これからも触らせて欲しいんだけど!

 だけど私は!完全な!お動物様のモフモフが触りたいのです!!


「……取り敢えずお前が狂人化している事は分かった」
「してませんよ!?」
「というか、ここにはお前の言うモフモフとやらが一匹居たじゃないか」


 そいつはどうした?と不思議そうに首を傾げる先生に私は露骨に目を逸らした。先生が言っているのは、十中八九フォウ君の事だろう。

 あのね先生、ここまでの極限状態になっている私がフォウ君の存在を忘れるとお思いで?ある訳ないよね、いの一番にフォウ君の元に走ってモフらせて頂いたよね。詳しく言うと五日位。
 もう顔を埋めて吸ったよ、存分にフォウ吸いした。その時のフォウ君の顔ヤバかったけど、コイツ何してんだって感じだった。気にしたら負けだから一切触れなかったけど、少しあのグランドろくでなしに向ける感じに酷似してた。流石にちょっと泣きそう。

 まぁ、それだけずぅっと触られてたら疲れるのだろう。遂に数日前、可愛い前足を顔面にストップ!と押し付けられた。
 流石にそれをやられて正気を取り戻した私は、フォウ君に平謝りするしかなかったよね。だって全然フォウ君の事を考えてなかった、お動物様を第一に考えるのが愛する者として当然なのに!!!!
 なので暫くはフォウ君に近付かないようにしてる、近付いたら二の舞なので。事情を知ってる人達は協力してくれてます、良く出来た可愛い可愛い紫の後輩を筆頭に。

 ペラペラと饒舌に話す私を他所に、気付けば先生は軽く引いていた。失礼な。


「すみません先生、顔が引き攣ってます」
「……気にするな、元からこういう顔だ」
「わっかりやすい嘘!!!!」


 嘘でしょこんなに分かりやすい嘘ってある?だって先生、つい最近第三再臨のあの神々しい真っ白で綺麗なお衣装になったじゃん。というか、現在進行形でそうじゃん。めっちゃお綺麗なお顔を、今も惜しげも無く晒してるじゃないか。最初見た時、先生は顔面宝具じゃないのに私の目が潰れそうになったんだよ?そんな整ったお顔を忘れる訳無い。

 私が嘘つきー!と騒げば、面倒臭そうに一瞬でフードを被ったペストマスク姿になってしまった。
 ははは、先生知らないでしょ。正直私はね、先生の格好全てが性癖に刺さってるんですよ。だからどんな格好をしようが騒ぎますよ、というかマスクで隠してもお目目が綺麗な時点でオーラが隠せてないんですけどね!

 まぁ分かりやすく言えば、先生の存在が性癖ドストライク。モフモフでは無いが、先生のサラッサラの銀糸の髪は一度触ってみたいとは常々思っている。でも多分触らせてくれないから、絶対言わないって決めている。
 ……どーーーしても耐え切れず触りたくなったら、令呪という最終手段を考えていなくも無くないけれど。まぁそんな事に使えば大目玉食らうのは分かってるんですけどね。


「あー……動物系サーヴァント、来てはくれないかなぁ」
「お前のその狂気を察知して来ないんじゃないか?お前よく言ってるじゃないか、何とかセンサーって」
「物欲センサーですね!仕事しなくて良いセンサー!!」
「そう、それだ」


 それが正常に働いて座で察知し、身の危険を感じてるんだろ。

 サラッと涼しい顔で私にとって恐ろしい事を言ってのけるピオ先生、鬼かな???
 それが本当だったら私は一生、愛しのあの子達とは会えない事になるのですが。とある魔法少女に似た可愛い少女とか、首無しの飼い主?さんにだって会いたいんですよ!?身振り手振りで一生懸命に意志を伝えてくれるのは可愛い、見えない筈の表情が見える気がする。

 本来の目的とは違う思考になりかけていれば、ドアの外から聞き慣れた可愛い後輩の声がした。


「先輩、今少しよろしいでしょうか?」
「マシュ?大丈夫ー!入っておいでー」
「あ、はい!それでは失礼します……あ、アスクレピオスさんこんにちは」
「あぁ」
「どうかした?」
「はい、それが先程まで昨日新しく召喚に応えて下さった方の案内をしていたのですが、その」
「もしかして何かあった?」
「……はい、その、あの羊が数匹見当たらなくなってしまいまして」


 申し訳無さそうに俯く後輩に私はマシュのせいじゃないよ、と頭を撫でた。

 昨日召喚に応じてくれたのは、パリスという名の幼い少年。彼はヘクトールの弟でありトロイア戦争で活躍した人物だが、それと同時に火種でもある人物。
 詳しい事は置いておくが、彼は同時に私好みのモッフモフの羊を連れて召喚された。だが彼はその羊をアポロン様と呼んでいて、目玉が飛び出るかと思った。

 だってアポロンってあの太陽神アポロンでしょ?まさか羊の姿で、しかもこんな美少年に着いてくるなんて誰が思う。
 多分本体と言うより化身の様な、分霊分身等の類いだろうとは思う。けれども彼らのやり取りを見ていると意思疎通が出来ているようで、それはつまりアポロンがそこに居るのに変わりは無い。
 あんな良きモフモフが目の前にあるというのに中身が別格過ぎて不敬になりそうで怖い、という理由で手が出せなかった羊。


 マシュに話を聞けば、その羊が増えこのカルデア内に散らばったらしい。いやあれ増えるの?凄いね?一面雲みたいなモコモコランドも夢じゃないね???……とまぁ、馬鹿な妄想はここまでにしておこう。可愛い後輩が涙目だ。
 そのまま詳しく聞けば、ちょっとした暴走の様なものだろう事が分かった。パリスも最初は混乱していたが、今は懸命に残りのアポロン羊を探しているという。

 マシュがここに来たのは、羊が来ていないか確認する為。


「ここには羊も含めて誰も来なかったよ」
「そう、ですか……ありがとうございます、お邪魔しました」
「あ、待って!私も探すの手伝うよ!」
「え、でも良いのですか?今はお茶をしていたのでは……」
「……はぁ、茶なんぞいつでも出来る、さっさと行け」


 申し訳無さそうにアスクレピオスを見やるマシュ、それに対してシッシッとその長い袖をバサバサと振り、追い払う様なジェスチャーをする先生。素っ気なく言ったのは多分、マシュが気にしない様に。
 そんな彼の優しさを垣間見て、自然と口角が上がってしまったのを誤魔化すようにいってきまーす!と先生に声をかけて、マシュと共にマイルームを出た。

 ドアが閉まる直前、ひらりと長い袖を上げて軽く横に振った先生が見えて私は内心悶絶した。アスクレピオス先生、私を萌え殺す気ですか。横にマシュが居なかったら、多分この場で崩れ落ちてた。この場に居てくれた後輩に感謝である。
 さて、マシュから既に探し終えた場所を聞いてから、それ以外を先ずは探す事にした。




 そしてカルデア内を駆け回って最後に来たのは、医療室。正直、ここには居ないでくれという願望もあり無意識に気が付けば最後になってしまった。

 アポロン神、つまり先も言った通りどんな姿形をしていようが存在は変わらない。だからもしあの羊がここに居たとなると、アスクレピオスがどう動くか分かったもんじゃない。
 アポロンはアスクレピオスの実父であり、母の仇。それはもう嫌悪が凄いらしい。昨日の先生はずっと仕事に追われていて部屋に籠りっきりだったし、今日だってマイルームに居たから今のところ気付いては居ないと思う。……多分、そうであってほしいと願っている。

 基本的に召喚に応じてくれた人達の歴史等は見るようにしている、そしてこの二人の関係性はアスクレピオスが召喚された時に知った。
 だが太陽神なんてそうそう来ないだろー、と余裕ぶっこいてたらこれですよ。好みの子と来ちゃった☆って感じなの本当に勘弁して欲しい。パリスのマテリアルを確認すれば、今の姿を指定したのはアポロン神らしい。いや本当神様って何でもありなの?これを先生が知るのは時間の問題なのだけれど、これ知った時の先生の顔怖くて私絶対見れない。


 プシュン、と音をたてて扉が開く。
 小声でお邪魔しまーす、と言いながらソロリソロリと入りキョロキョロと周りを見渡した。以前ここに居たのはロマンだったが、今はここを使っているのはピオ先生なので大分雰囲気も変わった。ちらほらとペン等の私物の様な物もある。周りにある資料や機材に当たらない様に慎重に探す、ダンボールや机の下も忘れずに。

 だが、一通り見てもこの部屋にも居なかった。これはまた一から探すかと腕を組んだ矢先にガサリ、と音がした。その音源はダンボールが積み重なっている奥の方で、流石にそっちの方は確認しなかった。そろりと慎重にダンボールの山を崩していけば、その最奥には柔らかそうな白い塊がその場に鎮座していた。


「い、居たー……!」
「!」
「あ、ごめんね怖がらないで、探しに来たんだよ」
「……、……!」


 ポインポインと何かを伝える様に跳ねるアポロン羊、正直可愛い。
 無事見つかったし、少しゆっくりしよう。そう思いベットに座れば、続いてアポロン羊が乗って来た。え、えー、可愛い……触って良いかな……撫でたい、モフりたい……。

 欲望に負けて触っても良いですか?と聞けば、肯定する様にポインと跳ね近付いて来たアポロン羊。
 それを見た私は、では遠慮無く!とその綿毛に手を突っ込んだ。……これは!何というふわっふわ加減、毛も全く絡まる様子が無い。何という高級感。気が付けば私はアポロン羊を腕に抱き、堪能していた。


「何コレ、何ならこのまま抱き締めて寝たい……」
「ほう?お前はそんなのと一緒に寝たいのか、悪趣味な事だな」
「えっ」


 突然の第三者の言葉に驚き、バッと勢い良く前を向けばいつの間にか目の前にアスクレピオスが立っていた。心做しか青筋が立っている気がするのは気の所為か、気の所為と思いたい。突然の事にピシリと固まった私を見て、彼は冷ややかな目をしながら、どうした続けないのか?と言ってきた。
 いや先生、今自分がどういうお顔してらっしゃるかお分かりですか。少しでもその手を動かしたら殺すって顔してますよ、怖ァ……。

 冷や汗をダラダラと流していれば、先生が饒舌に喋りだした。


「気まぐれに手伝ってやろうかと思い、お前の気配を追ってここに辿り着いたは良いが何故かクソッタレの気配もするときた、もしやと思い入ってみればこの有様だ、僕のパトロンは実に取り返しのつかないレベルの愚患者だなぁ?」
「ヒョェ……」
「良いか?それはそんなナリをしているが結局中身は変わらない男であのクソッタレだ、油断すれば痛い目を見る、というか最初からソレに近寄るな抱き上げるなモフるんじゃない」
「でも先生、凄く極上のモフなんです……」
「でももだってもあるか、どんな理由があれそれは害悪羊だ、即刻羊狩りだマスター」
「待って待って待って!流石にそれは駄目だって、今回はパリスの付属品みたいな感じで来てるから!羊居なくなったら困るのパリスだから!!」
「……チッ」


 舌打ち一つをして絶対零度の目で羊を見下すアスクレピオス、そんな息子にプルプルと震える羊パパ。今は抱き上げてるから可哀想な位に震えているのが腕に伝わってくる。
 若干羊パパに同情しながらも、何とかアスクレピオスを宥めた。じゃないと今にもその、いつの間にか彼の手に装備されていたメスで羊パパが切り刻まれそうだったし。

 そんな息子の圧に震え上がってしまった羊パパは無意識だったのだろう、そのモコモコをより一層私の方へと寄せて来た。そう、寄せて来てしまったのだ。
 その瞬間、何故かそれで息子さんの纏う空気が更に氷点下の域に達してしまった。いや本当に何でそこまでの氷点下に至ったのか分からないんだけど。

 ソレを見たアスクレピオスは自身を落ち着かせるように大きく、長く息を吐いた。その時の先生の顔はフードで隠れて、一切見えなかったけど。


「……マスター、」
「あっ、はい」
「お前は聞き分けの良い患者だ、そうだろう?」
「そ、そうありたいと思ってるよ」
「そしてお前は僕の良いパトロンだ、なぁ?」
「せ、せんせ、笑顔が怖いのは何故なのでしょう……?」
「怖い?お前は失礼な事を言うな?僕は今至って冷静沈着だ、心も穏やかに凪いでいる」


 ニコリと普通に見れば笑っている目元だが、よく見ると目の奥が笑ってない。今はペストマスクで目元以外の顔が出ていないから、余計にその異質さが目立って恐怖である。

 あ゙ーっ!先生の笑顔は貴重なのに、こんな形で見たくなかった!!こっわい!!!!
 後、絶対さっきの台詞は嘘だ。あんな殺意に満ちた狩人の様な目をしておきながら心が凪いでるとかありえない、それが本当なら狂人なのは寧ろ先生です。それと一回先生には、冷静沈着って言葉を聖杯から提供される知識で調べて欲しいと思う。

 そんな事を思っていれば、スッと差し出される先生の長い袖。その布に浮き出たシルエットの手のひらは、何かを要求する様に此方に突き出されている。


「あの、先生?この手は一体……?」
「これくらい分かるだろう、ソレを此方に寄越せ」
「いや何する気ですか!?」
「心外だな、特に何もしない……僕はな」
「僕はって言った!僕は、って!!」
「ははは、幻聴じゃないか?」


 分かりやすい棒読みで、乾いた笑いを零すアスクレピオス。そしてその後ろで不穏な動きを見せ始めた先生の杖と白蛇。
 あっ、僕はってそういう事?直接手は下さない系なんです?……いやそんな怖い事ある?何処ぞの王族か何かかな??いやまぁ、彼らの立場はそれを上回るんだけどさぁ!!

 そうしている間にもジリジリと近付いてくる先生、私は元々ベットに座っていたのもあってベットに乗り上げる位しかもう逃げ場が無かった。そうなれば追い詰められるのは簡単で、一瞬で先生が目の前に迫った。

 取り敢えず私はアポロン羊を守るように蹲って、自身の体で覆った。


「おいそこを退け、ブツを回収出来ない」
「その台詞完全にカタギじゃないです先生!」
「知るかそんな事、いいから退け」
「いーやーでーすー!!」


 ギャーッ!と駄々を捏ねれば、力づくで引き剥がそうとする先生。大人気ない、大人気ないよピオ先生。軽く本気じゃないか、サーヴァントが本気を出したらただの人間の私が適う訳無くない?
 予想通りそんな抵抗も虚しく、段々と体が起き上がらされていく。あ、あああ、モフモフが!このままではモフモフが狩られてしまう!!最後の抵抗でアポロン羊の方へ手を伸ばせば呼ばれたと勘違いしたのだろう、勢い良く私の胸の方へ突進して飛び付いてきた。

 さて、ここで現状を整理しよう。
 まずアスクレピオスが私を上から引っ張っている、そんな私は蹲っていてピオ先生によって上半身が起き上がっていた、そんな所に羊がズドン。つまり力の流れ方はほぼ全てピオ先生の方向という事になる、そしてそんな予知していなかった力が流れれば対応出来ないのも当たり前な訳で。

 まぁ、つまり、倒れるよね。


 ガタンッ、ドサリ、という大きな音と鈍い音が部屋に響き渡る。
 急な事に驚き、次に来るであろう衝撃に備えギュウッと目を閉じ体を固くしたが一向に来るであろう痛みは来なかった。そろりと目を開ければ、まず目に入ったのは胸元で不思議そうにする羊。あぁ成る程、だから胸の辺りがちょっと鈍く痛いんだ……。犬猫が勢いを殺さずにじゃれついて来た時と一緒のやつだ、これ。

 はは、と乾いた笑いを出せば、すぐ後ろから異常が無いならさっさと退けという聞き覚えのある低音ボイスが聞こえてきた。
 バッと振り向けば、そこには衝撃でフードが外れたアスクレピオス。何故か一緒にあった筈のペストマクスも無くなっている。

 それを認識した瞬間、私はあまりの衝撃に飛び上がった。


「ヒィゥアッ!?」
「何だその奇声は」
「いいいいいやだって先生下敷きに、というか何で先生のマスク無くなってるの!?」
「下敷きになったのは偶然の成り行きだ、マスクは場合によってはお前に刺さる可能性があると判断して消した」


 こういう時、霊力で出来ている服は便利だな。と、さも何でもない事の様に軽く言ってのける先生。
 え、いやそれってあの一瞬で自分の身より私の身の安全を考えてくれたって事?イケメン過ぎない??いや先生は最初からかなりハイレベルな美青年なんだけどさ???

 そんなイケメンっぷりに無意識に手に力が入れば、モフゥという柔らかな感触。それに釣られ手元を見ればアポロン羊が手に収まっていた、そういえばさっき飛び上がったと同時に胸元に居た羊を引っ掴んだ気がする。

 先生も私の手元を見て我に返ったのか、羊パパを睨み付ける。


「そういえば、貴様が突進してこなければ倒れずにすんだものを……」
「あ゙っ!ま、まぁまぁまぁ!ほっほら、わざとじゃないだろうし!」
「フン……どうだかな、ソレはシラっとした顔でやる事はやるぞ」
「ピオ先生ってば本当に辛辣ぅ……」


 モニンモニンと手持ち無沙汰で半ば遊んでいれば、ジトリとした視線が送られてきた。何か今日は先生に冷たい目を向けられる事が多いんですけど!私はもう少し穏やかな顔をしたアスクレピオスが見たいな!現状、その般若一歩手前みたいな顔させてるの私達だけど!!
 というかここまで綺麗な顔を歪ませるって事は、相当嫌なんだろうな。好きになってとは言わないが流石に毎度鉢合わせる度に羊狩りパーティーをされてはたまったもんじゃない、多分その内に私の胃に穴が空く。どうしたものか。

 そんな私の内心を余所に、手元の羊はキュルンとした目でピオ先生を見ている。そして少しの間が空いたかと思えば、唐突に先生からド低音のあ゙ぁ゙?という地を這う様な声が出てきた。わぁガラが悪い、先生って意外に物騒な事が多い気がする。輩かな?
 こんなお医者さん見たら子供達はギャン泣き間違い無しだね!

 それにしても待って、今の間に一体何があったの。もしかしてアスクレピオスはこのアポロン羊が言っている事が分かるのか?
 そう思っていれば、先生が口を開く。


「何故お前にそんな事を言われなきゃならん、そうだったとしてもお前には関係無い」
「…、…!……!」
「あ゙?というかお前はいつまでマスターの腕の中に居るつもりだ、さっさと退けクソッタレ」
「……、…?」
「ッハ!上等だこの野郎……その喧嘩サービスで買ってやる、表出ろ害悪羊」
「!?」


 そう言いドスドスと乱暴に近付いてきたかと思えば、むんずと羊パパを鷲掴みした。息子が近付いて来たかと思えば、いきなり自分を鷲掴みにしたので驚き慌てる羊パパ。
 ……えぇ?彼らのやり取りを目の前で見てたけど、一切何があったのか分からない。先生の言葉を聞いても何があったのか全く分からなかったし、分からないと止めようが無い。これって、私が聞いても良い内容なのだろうか?

 恐る恐る先生、と呼び止めてみる。


「あの、何か言われたんですか?」
「……あぁお前はコイツが何言ってるか分からないのか、それもそうか」
「はい……なので何で先生が怒ってるのか全く分からないんですが」
「それはコイツが僕らの関係性に勝手に突っ込んできたからだ、僕はソイツみたいに自分勝手な事はしない」
「僕ら?」
「僕とお前だ、マスター」


 首を傾げれば、さも当然の様にサラッと返された台詞。

 僕ら。そっか、私とアスクレピオスの事だったのか。そして羊パパに関係性にあれこれ首を突っ込まれたから不快、といったところだろうか。
 でも私と先生の間にそんな突っ込まれて激怒する様な関係性は果たしてあっただろうか?
主従関係?それともパトロン?はたまた患者?どれなんだろう。

 気になってそれを先生に聞いてみれば、先生は驚いた様で目を見開いた。えっ、私そんな驚かせる様な事を言っただろうか?


「お前……もしかして気付いて居なかったのか」
「?何がですか?」
「僕は自身でも自覚しながら動いていたし、周りのヤツからも指摘されたから、もうとっくに知っているものだと思っていた……知っていて、いつも通りなのだと思っていた」
「え、え?」
「お前は色々な好意に囲まれ過ぎて、逆に鈍感になったのか」
「いや先生、本当に何の話、」
「僕が、お前の事を恋愛的な意味で好きだという話だが」


 簡単に投下されたその爆弾は、無防備な私に簡単に命中した。
 えっ、待ってこれそんな話してたっけ?というか、アスクレピオスが私の事を好き?しかも恋愛的な意味で?嘘でしょ、そんな様子、一度も感じた事無いんだけど。えっ私鈍いの?そんなに鈍いの??

 グルグルと頭がショートしそうになっている私を余所に、構わずそのまま喋るアスクレピオス。


「お前は僕が好いてもいない奴を、進んで手伝うお人好しとでも思っているのか」
「えっだって、気まぐれって」
「……お前のその愚直さは美徳だな」
「先生それ褒めてます?貶してます?」
「褒めてる褒めてる……それに茶だって自身の時間を削ってどうでも良い奴の所に行く程、僕は暇じゃない」


 お前が望むなら、これまでした行動を全てを分かりやすく言葉にして伝えてやろうか。

 フン、と呆れ混じりに鼻で笑うアスクレピオスに私は呆気に取られるしかなかった。ごめんねアポロン羊、今ちょっと手が汗ばんできてる。先生の表情は医療行為に携わっている時と同じ位に真剣な顔だ、そんな顔を見せられてしまっては疑いようが無い。
 本当、なんだ。アスクレピオスは私の事を好いていてくれたんだ。……どうしよう、凄く、嬉しい。

 そんな感情と共にふるりと勝手に震える口元を隠す様に片手で覆えば、それを見たアスクレピオスが口元を歪めて意地悪く笑う。


「どうしたマスター、心做しか顔が赤くなったが風邪でも引いたか?」
「そっ…れは、理由は先生が一番よく分かってますよね……!?」
「さぁ?僕は言葉にされないと察してやれないものでな、テレパシーなんぞ使えん」
「このアポロン羊とは意思疎通してたのに!」
「ソイツとは不幸な事に因果関係があるからだろ」


 ハッ、と吐き捨てる様にそう言うアスクレピオスに私は納得いかないという視線を投げた。むくれていれば、調子が戻ったアスクレピオスが楽しそうにニヤニヤとし始める。
 ぐ、その表情可愛いな……楽しそうにしおってからに……遊ばれているのは分かるんだけど、先生のこんな顔が貴重だから勿体無くて怒るに怒れない。

 あぁそうだ、と先生がまた口を開く。


「ずっと言おうと思っていたんだが、二人の時に先生呼びは止めろ」
「え、でも先生は先生ですし」
「名で呼べば良い、簡単だろう?」
「せ、先生の方が短いから楽ですし!」
「なら呼びやすく愛称にでもすれば良い、お前そういうの得意だろう」


 だが先生は付けるなよ、プライベートなのに仕事をしている気分になる。

 簡単な話だろう?と、言いたげな涼しい顔で飄々としている先生。
 いやいやいやいや、全く簡単な話では無いですが!?先生、急に暴露したかと思えば押し強いね!?あれかな、もう隠す事が無いからこんなにも清々しい押せ押せ状態なのかな。恋愛のスイッチ入ったギリシャ人怖い!凄い独断と偏見なのは分かってるけど!!今の基準ピオ先生だからね!!!!

 先生はさて、と言いながら若干忘れていたアポロン羊を再度鷲掴みにした。


「それで、お前は何故まだマスターの腕の中に居るんだ?あ?」
「待って先生!私が抱えてるからこれに関してアポロン羊は何も悪くないです!」
「コイツは僕の心情を察した上でこうだぞ?お前はもう少し危機感を覚えた方が良い、忘れるなこの羊の中身はクソッタレだ」
「えぇぇえぇ……」
「それと、先生は止めろと言っただろう」


 グワシッと掴み、スポンッとアポロン羊を抜くとそのまま綺麗なフォームで振りかぶった。その手から放たれたアポロン羊は部屋の至る壁にぶつかり、跳ね回った。その姿はさながら毛の生えたスーパーボール。垣間見えたアポロン羊からは、涙がキラキラと舞っていた気がする。
 あぁああああ!羊さーーーん!!!!……羊パッパには強く生きてほしいと思う。

 未だバインバインと跳ね回るアポロン羊を余所にアスクレピオスは私の手を取り、何事も無かったかのように医療室を後にした。そしてそのまま向かったのは、元居たマイルーム。
 部屋に入れば、流れる様にベットに追いやられ座ってしまった。そして次の瞬間、アスクレピオスが崩れる様に前からもたれ掛かってきた。

 肩にアスクレピオスの額が乗る。その際に彼の銀糸も乱れ、私の体に落ちた。無意識に触りたいと願っていたその落ちた銀糸に指を通せば、スルりと流れていく。銀糸に触れられたのに気付いたアスクレピオスが私の手を取ったかと思えば、そのまま自身の頭に乗せた。これは、撫でろという事か?そうなのか?
 ゆっくりとその意志を確かめるように頭を緩やかに撫でれば、先生の肩から力が抜けたのが分かった。

 そろりと先生の手が、私の脇腹付近の服を握る。


「……はぁ、悪かった、流石に感情的になったのは認める」
「いえ……私よりもどっちかと言うと被害者はアポロン羊なので……」
「今その名を出すな、わざとか?」
「違いますわざとじゃないです!」


 眉を顰めジロリと睨まれてしまったので、私は慌てて否定した。ブンブンと首を振れば、先生は呆れた様に溜息をつく。そしてそのままズルズルと崩れ落ちていき、膝立ち状態になった。
 私の腿の上に彼の頭が到着したかと思えば、グリグリとお腹に押し付けてきた。いたい、痛いです先生。確信犯だろうけど、めり込んでます。

 色々な感情が混ざって複雑な気持ちだが、今は意外にも気落ちしているアスクレピオスの頭を撫で続けた。


「先生、落ち込んでるんですか?」
「……気落ちなんぞ誰がするか、ただ疲れただけだ」
「そうなんですか?」


 口から勝手に漏れ出てしまった控えめな笑い声に、先生は顔を上げると分かりやすくムッとした。……うぅん、可愛い。
 異議するように片腕を軽く上げ此方に振りかぶってきたので、私は無抵抗でベチリと袖の攻撃を受ける事になった。地味に痛い。

 へぶっ、と情けない声をあげれば向かい側からは鼻で笑う声。未だ顔面にある布をどかせば、意外にも柔らかな表情をしたアスクレピオスがそこに居た。


「ふ、お前は結構マヌケだな」
「……先生、酷い」
「避けられなかったお前が悪い」
「理不尽!」
「それに先生呼びは止めろと何度言えばお前は分かるんだ、愚患者め」
「今は診察中じゃないから愚患者じゃないです〜」
「ほぅ?それならば僕の意見も通る筈だが?」


 今は診察中じゃあないもんなぁ?

 ニヤニヤニヤと一気に笑みを深めていくアスクレピオス、その姿はとても楽しそうである。しまった、墓穴を掘った。まさか反論した筈がブーメランになって返ってくるなんて。気恥しいから何となく避けていたというのに!

 ぐぬ、と言葉に詰まればアスクレピオスは何を思ったかスルリと身を寄せて来た。身を起こしベットに片膝を乗せたかと思えば、服を掴んでいた片手を後ろに回して私の腰を引き寄せ、もう片方の手を私の頭の後ろに回した。そしてグッと彼は自身の整った顔を一気に近付けてきた。
 そうすれば元々そんなに無かった距離が、互いの鼻がくっ付くまでの距離となった。なんなら少し動けばお互いの唇が当たりそうな程だ。

 息をすればお互いの吐息が顔に当たる。二酸化炭素なんて人は吸えないのに、この至近距離だと今だけはまるでお互いの空気を交換して生きているよう。


「せんせ、」
「……違うだろう?ほら、」
「あ…すく、れぴおす」
「嗚呼……良い子だ」


 よく出来ました、と低音の落ち着いた声でそう言う先生。その声音は何処か慈愛に満ちていた気がした。子供の患者を診る時に似た様な場面を見た事があるけれど、これは全くの別物だ。
 だって、先生の、アスクレピオスの目の奥にはギラリとした鋭い熱が宿っている。

 喰われそう、と本能的に思えば、アスクレピオスの顔が迫った。それと同時にふにり、と頬に柔らかい感触が残される。口では無いのか、と無意識に思ってしまった自分がいるのは何故なのだろう。
 少し離れたアスクレピオスが何かの名残りを舐める様に、ペロリと舌を彼自身の唇に這わす。その姿はとても官能的で、彼に指摘される程に思わず魅入ってしまった。


「何だ、物足りないか?ならば今度はお前が好きな所にすれば良い……なぁ?ナマエ」


 そう言い何処か艶めかしく目を細めたアスクレピオスは、未だ動けずにいる私の方へ再度その綺麗な顔を寄せた。







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