26話 1/2

 あの日、任介はサッカースタジアムを見上げて驚嘆のため息を吐いていた。その大きさはもちろん、人の賑わいも相俟って迫力がある。初めて訪れた任介は、少しだけ気圧されていた。
「任にい、どうしかした?」
 隣から声を掛けたのは花音だった。なんでも、と返した彼に、花音は笑顔で「楽しみだね」と言う。任介もそれに倣って、目を細めて頷いた。
 花音は慣れた様子で小走りにスタジアムへと入っていく。任介が目で追っていると、背後から声を掛けられた。
「花音は放っておいても平気だぞ。」
 任介が振り向くと、肩下まである長い髪を後ろで結った少年ーー政が、花音とよく似た笑顔を向けている。
「むしろお前が迷うかもな。」
 おどけるように笑いながら、政は任介の隣に並んだ。
 政は任介の同い年の幼馴染で、花音の唯一の兄だった。サッカーの才能に恵まれ、幼い頃からジュニアチームで活躍してきた。当時は任介と共に帝国学園に入学し、サッカー部のエースストライカーとして活躍していた。ーー尤も、事故に遭う数日前に、周りの反対を押して退部したところだったのだが。
「行くぞ、任介?」
 政が数歩前で首を傾げていた。任介は足早に近寄り、並んでスタジアムへと入っていく。2人が花音の待つ観客席に着くと、彼女は試合前にアップをしている少年達を興味深そうに見ていたところだった。
「ね、お兄ちゃんが言ってたのってどの人だっけ?」
 花音の問いに政がコートを見る。1人の少年を指して、政が言った。
「あいつ。…凄いシュートなんだ。」
 へえ、と花音が期待の眼差しで見つめる。任介も目を向けると、赤いユニフォームに身を包んだ白髪の少年がドリブルをしていた。
「お父さんとお母さんも観たら良かったのに。」
 花音が不満げに呟く。政は慣れた様子で花音の頭を撫でながら、「用事があったんだから仕方ないだろ。」と諭した。
 場内アナウンスが流れ、いよいよ試合に向けての緊張が高まる。全国大会準決勝が始まろうとしていた。

 試合が終わり、客席から人の波が引いていく。3人は両親の迎えが遅かったこともあり、客席で試合の余韻を楽しんでからゆっくりと外へと出た。トイレを済ませ外に出た頃には、スタジアムに隣接する広大な駐車場には車も疎らだった。
「母さんだ。」
 駐車場の奥から政の母が歩いてくる。「試合、どうだった?」と問う母親に、花音と政、任介が思い思いの感想を述べた。その様子に満足げに頷いて、母が笑う。心底楽しそうな政の横顔を見て、任介は少しだけ感傷的になった。
 帝国学園に入学してから、サッカーをする政が少し辛そうにしていることに任介は気づいていた。強豪として知られるサッカー部なだけに、練習は厳しく大変なのだろう。これだけ晴れ晴れとした表情を見たのは、久しぶりだった。
「どこに停めたの?」
 政が母親に尋ねる。母は駐車場の奥を指して、「向こう」と答えた。
「車でお父さん待ってるから。」
 母の先導で皆が歩き始めたとき、花音は立ち止まったまま言う。
「お母さん、ジュース買ってきていい?」
 白熱した試合展開もあって、スタジアム内は凄い熱気だった。言われてみれば、確かに任介も喉が渇いている。
「俺もです。ちょっと自販機に寄ってもいいですか?」
 2人の提案に母親が頷く。それからふと、「じゃあ販売機の前で待っててくれるかしら?」と任介に言った。
「政は?」
「俺はいいよ。喉渇いてないし、母さん1人じゃ迷子になりそうだし。」
 冗談めかして笑う政に母も笑い返す。「じゃあ、ちょっと待っててね」と言い残して、2人は車へと向かった。
「任にい、自動販売機。」
 2人を見送った任介に花音が声を掛ける。花音の指さす先には、お目当ての自動販売機があった。
 それぞれ飲み物を買った2人が、少し飲みながら車の到着を待つ。出入口にほど近いそこでは、まだ少しだけ車の出入りがあった。
「あ、お父さんの車だ!」
 父の車を見つけ、花音が明るい声を出した。ゆっくりと駐車場を進むそれは、自動販売機前の直線へ入るため右折する。その時、出入口側から猛スピードで駐車場へ侵入するトラックが現れた。おおよそ一般道ですら出さないような速度で駐車場内の道を行くそれは、真っ直ぐ政達の乗る車へと突き進む。正面から衝突する形で、2つの車がぶつかった。
「政っ!?」
 任介は無意識のうちに叫んでいた。ほんの数メートル前で、友人の乗る車が大破した。非現実的な出来事に、冷静な判断もできず駆け寄る。花音も堪らず駆け寄って、割れたガラス越しに車内を確認した。広がったエアバックと無数に入るガラスのひび割れで、中の様子がよく窺えない。
 任介が車のドアに手をかけて引くが、中から鍵がかかっているようで開くことはなかった。何とかして3人を車外へ移そうにも、焦った頭では良い案が思い浮かばない。
「お母さん、お父さん…っ」
 花音叫びながら後ずさった。そして後部座席の窓から、眠ったような政の顔を見つける。
「お兄、ちゃん…」
 蚊の鳴くような細い声で呟いて、はたり、と花音は倒れた。

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