学校から帰った私は、制服を着替えようとはせずに荷物だけを自分の机の上に捨てた。不意に視線を感じて振り返れば曼珠沙華が私を見下している。

『お前のせいだ』

「煩いなあ。」

鼻を鳴らす曼珠沙華に言い返して、私は早足に家を飛び出す。行きたい場所があった。昨日約束をしたのだ。
競歩にも近い早足で歩き、時折走る。運動は得意ではなかったけれど不思議と苦しくはなかった。魔法にでもかかったように足取りが軽い。足取りだけじゃない、気分も、頭も、私という人間全てが軽くなってふわふわと浮かんでいるようだ。現によく似た世界を進んでいるような、非現実的な現実。
ドアを開けた。

「こんにちは、」

「こんにちは。」

私を見た部屋の主があの黒い髪を揺らした。西日で真っ赤に染まる病室が血で塗られたように暗い。そこに逆らうかのように生きる彼女は左腕に点滴を繋げたまま微笑んだ。

「本当に来てくれたんだ。ありがとう。」

やつれて痩けた頬は昨日と同じく青白い。私は彼女のベッドの横にある丸椅子に座った。

「昨日はどうも。…親切とかじゃなく、話を聞きたいだけだから。」

「それでも会いに来てくれるのが嬉しいの。」

儚い笑顔が咲いた。私には咲かせる事の出来ないような、柔らかな笑みだ。

「どうして円堂くんと知り合ったのか、だったよね。」

頷けば彼女は虚空に視線を泳がす。思い出しながら紡ぐようにゆっくり唇を動かした。私はその唇から目を反らさないように力を入れる。

「昔、まだ体調が良かった頃に学校で体育の授業のサッカーを見学していたの。そうしたら、円堂くんが。」

『サッカーやらないのか?』

『ごめんね、私運動とかはあんまり出来なくて』

『大丈夫、俺が教えるから!』

手を引いた円堂くんに悪意はない。だけど彼は知らなかった、その少女が極端に身体が弱いということを。

「私ね、今も入院なんてしてるけど、別に病気じゃあないんだ。ただ身体が弱いの。…だから、治したりも出来ないの。」

円堂くんに半ば無理矢理サッカーに誘われた彼女は、今までで一番良かったらしい当時の自分の体調を過信してしまった。結果的に身体に無理をさせ、学校に登校することもままならなくなる。

「お母さんに怒られちゃってね。もう二度と運動なんてするくらいなら、病院に居て頂戴って…。円堂くんは悪くないんだよ、私だってサッカー楽しんだんだから。でも、責任感じさせちゃって。」

果たして彼女が言ったサッカーが本当にサッカーと呼べる代物だったかは分からない。それでも何を定義に名前を呼ぶのかが分からないから、彼女からすればそれはサッカーなのだろう。例え私が認めようと認めなかろうと、彼女のサッカーは変わらない。

「よくお見舞いに来てくれたの。お花とか持って、色々なお話を聞かせてくれたよ。」

私の知らない円堂くんが、ここで彼女だけを見つめていたのかと思うと苦しくて、悔しくて、私はにこりと笑った。

「そう、円堂くんは優しいからね。」

じりじりと燃えるこれはきっと対抗心というやつだろう。


知らないを訪ねた火曜

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