旅を終えた士郎くんが、この白銀の大地へと帰ってきた。学校では全校を挙げて英雄の帰還を讃えた。私はその中でひとり、帰らぬ人を悼んだ。
 溢れんばかりの歓迎を受け終えた士郎くんは、私にそっと近づいて言った。
「ただいま。」
 その言葉があまりにも残酷すぎて、私は何も言えなくなる。無言で立ち呆けている私に、士郎くんは苦笑しながら言った。
「待たせてごめんね、おなまえちゃん。」
 こんなに士郎くんが遠いと思ったのは初めてだった。日本中を旅する映像を見ていても、こんなに遠かったことはなかった。悲しみに暮れる私は、用意していた祝福の言葉を口にする気力もない。
「今までいつも、励まして…支えてくれてありがとうね。」
 改まった士郎くんがそう言った。私は必死で首を横に振り、俯いて足元を見た。私に向き合う士郎くんの足先が見える。そしてそれが一歩近づいた。
「これからは僕も、おなまえちゃんにそれを返せるように頑張るよ」
 嗚呼、この言葉がアツヤくんだったのならと、私もまた残酷なことを思う。そもそも士郎くんの中に居た「アツヤくんの人格」は、本当のアツヤくんでないことくらい理解していたはずだったのに。士郎くんの中に居た「アツヤくんの人格」は、今目の前に居る士郎くんと地続きのはずなのに。なのに何故こんなにも、私は悲しくなってしまうのだろうか。

 翌日、私は初めて1人でアツヤくんが眠る墓を訪れた。士郎くんに付き添ってお参りすることはあったが、ここに来るとアツヤくんの死を認めてしまうようで、1人で行こうと思ったことは今までなかった。けれど、士郎くんの中の「アツヤくんの人格」が消えた今、私はここに向き合わなければならない気がしていた。
 人気のない寂しい墓地と曇天が私の気持ちを表しているようだ。持ってきた線香に火をつけて、ふっと炎を吹き消す。静かに手を合わせ、そのまま静止した。
 アツヤくんは、どう思っているのだろう。彼を愛し、弱さから士郎くんの中の「アツヤくんの人格」に縋った私のことを。軽蔑するだろうか。
 それでもーー仮初めでも、昔のように私の手を引いてくれるアツヤくんの、あの温かさが私には必要だった。
 合掌し俯いたままの私の皮膚にぽつりぽつりと雨粒が当たった。目を伏せたままでも感じるその雨足が、徐々に強まっていく。全てがどうでもいい気がして、私は甘んじてその水滴を感じていた。
 不意に、私に降りかかる雨が消える。驚いて目を開けると、頭上には差し出された傘が見えた。振り返って傘の持ち主を確認する。申し訳なさそうな顔をした士郎くんが立っていた。
 左手に持つ大きめの傘で私と自身に掛かる雨を防いだまま、士郎くんは控えめに「盗み見するつもりじゃなかったんだ、ごめん。」と呟く。何と返事をするべきか私が考えあぐねていると、突然士郎くんの右手が私の肩を抱いた。少し背の高い士郎くんの肩に、私の顎が乗る形で抱きしめられる。またしても言葉を失う私に、士郎くんは絞り出すような声で言った。
「おなまえちゃん、好きだよ。…おなまえちゃんが僕の中のアツヤを認めてくれたおかげで、僕はこれまで生きてこられたんだと思う。ありがとう。」
 そこまで言うと、士郎くんは私から少しだけ距離を取る。それでも抱き合う前より近い士郎くんの顔を、きっと驚いた顔のまま私は見つめていた。
「もう、僕の中にアツヤは居ない。…ううん、僕とひとつになった。だから、きっとおなまえちゃんが望む形では無いと思う。それでも、…それでもおなまえちゃんと一緒に居たい。おなまえちゃんに、『士郎』を好きになってほしい!」
 段々とボヤける目の前の士郎くんが、私の冷えた左手を取る。そして目線は私に向けたまま、その手の甲に口付けをした。私は頬に流れる雨粒を感じながら、大きな傘の下で士郎くんを見つめることしかできない。
「おなまえちゃんが頼れるような僕になるから…だから、3ヶ月でいい。僕と付き合ってください。」
 いつのまにか大きくなった嗚咽に阻まれ、私は終ぞ何も伝えられない。
 けれど、私の左手を握るその手の温かさは、記憶の中のアツヤくんと同じだった。

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